■■ 重複法について ■■


重複法には驚きです。日本語の特許かと思っていました。
重複法のようなものは同じようなものがアラビア語にもある。日本語にもあるので、世界中にあるのでは?と思った。
"kupu-kupu"のような重複法は、日本語でもみられるので、これはどちらかが影響を受けたのか、それとも偶然なのか、疑問に思った。

 というわけで、日本語の特許ではありませんでした。
 重複法はオーストロネシア語族、特に西部語派の諸言語には共通した特徴です。
 ただ、世界中にあるとまでは言い切れないと思います。たとえば英語では "very, very nice" と言うことはありますが、形態論的特徴として重複法があるとは言えません。
 またどちらかが影響を受けたのか、というのも私にはわかりません。

jalan-jalan が2本以上の道を表す、という説明の時「単に複数とは言いたくない」と言っていたのはどうしてか知りたい。
複数形の作り方は2つ重ねるだけのようですが、数詞がつくと単独でよいのか疑問に思いました。tiga orang-orang にはならないのでしょうか。

 「重複」イコール「複数」ではない、とまず言っておきます。インドネシア語の重複の機能は、語によって複数以外にも様々です。その一つの例が、授業で取り上げた baik「よい」に対する baik-baik 「よく」です。
 また「複数」を示す重複語も、ヨーロッパの言語などに見られる「複数」の概念とは異なります。「3人」は、tiga orang であり、tiga orang-orang にはなりません。数量を表す語を伴う場合は、複数を表す重複形を用いないのです(日本語で「多くの人々」と言うことができるのとも異なります)。

(トルコ語)kitap mitap / kitap 「本」mitap 「特に意味のない語」のように語の一部を変化させて繰り返す表現は多く使用されるのだろうか。

 授業では単純な例にとどめましたが、重複の際に音の変化を伴う語もあります。
 (例)sayur 「野菜」,sayur-mayur 「種々の野菜、野菜類」
 また、語頭の一音節(の頭子音)のみの重複という形態もあります。
 (例)laki 「夫」,laki-laki, lelaki 「男」

重複語は中国語にもあって「見る」の「看」を「看看」とすると「ちょっと見る」という意味になり、このように重なるときは「ちょっと....する」という意味です。

 インドネシア語では、melihat 「見る」に対して、melihat-lihat 「あれこれと見る、目的もなく見る」という表現があります。
 この表現は、ウィンドウショッピングを思い浮かべてもらえればわかりやすいかと思います。

双数や複数の概念は「重複法」だけなのか?複数形には、名詞の尾に文字を加えたり、不規則に変化した複数形があったりしないのは私には特殊に思われた。

 特殊と思う前に、日本語を考えてみて下さい。
 これまでに習った他の言語に「複数形」や「双数形」があったとしても、日本語には文法概念としてはないですよね。
 実際、文法概念として「複数形」がなくても、数を言うとか、語を繰り返すことで複数であることを示す手段はいろいろな言語にあり、それが特殊というわけではないのです。

日本語の場合すべての単語には使えない。例えば、山々とは言っても川々とか海々とは言わない。何故?

 これはおもしろいですよね。是非考えてみて下さい。私も考えてみます。

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