平成13年度林ゼミ後期課題:『トルコの娯楽』

「オスマン帝国時代における娯楽としてのスポーツ:相撲について」

(Tr3年 高井 博子)


 

 

1.はじめに

私は今回のオスマン帝国のスポーツにはどのようなものがあったのか、

またそれらは帝国のどんな場所で、どんな人々によって楽しまれていたのかを

調べるにあたり、相撲について調べました。

 

2.相撲(ギュレシュ)について

□その歴史と語源□

オスマン・トルコ帝国の相撲は油相撲(ヤール・ギュレシュ)とよばれ、

牛の皮のズボンを履いたレスラーがオリーブ油を体に塗って相撲を取ります。

どうして油を塗るのかには

・レスラーが自分の体を美しく見せるため

・ヌルヌル滑る油によって体を掴みにくくするため

・オリーブ油によって体を清める、虫除けにする・・・など諸説があります。

弓矢や乗馬などの遊牧民起源のスポーツの一つです。

階級分けなどの専門用語にはペルシャ語が使われています。

□オスマン宮廷内における相撲□

相撲は王子たちの教育・娯楽の一環としてのスポーツに取り入れられ、

レスラーの中にはスルタンたちからの敬愛を受け軍人として出世する者もいました。

帝国後期にはその屈強な体が帝国の強さの象徴としてみなされ

西欧各地へ派遣され、相撲を取ることもありました。

また、宮殿に仕えたレスラーたちは

小姓達と同じ内廷ではなく外廷に勤務し、相撲を取ることで俸給を得ていました。階級分けされ

戦いに勝った強者だけがスルタンに拝謁し、御前相撲に参加出来たようです。 

 

□宮廷の外の相撲□

相撲はまた、庶民の娯楽としても発達していました。

・定期市での相撲大会

各地の市や近隣の富裕層の援助や警備で開催され、

新人にとってはテストの場だったようです。

中でもエディルネのクルクプナルで行われていた大会はとても長い歴史を持ち、

現在でも毎年夏には大規模な大会が開かれています。

・結婚式での相撲

結婚式は当時、娯楽の少ない地方の村での最大のお祭りであって、

そのプログラムの中にはスポーツの競技会も含まれ、相撲はその中でも最重要競技でした。

ちなみに賞品は羊やヤギなどの家畜だったそうです。

・ラマザン月の相撲

1897年にイスタンブールの夜の街で、レスラーがサーカス小屋で体操選手と

偶然取ったのがきっかけになり、やがて週末の夜に各地で行われるようになりました。

・チャリティーを目的とした大会

1897年ブルサ クレタ島からの難民援助のために開催

1907年イズミール 国技として利益を慈善事業へ(スルタンも観戦)

・相撲道場(ただし神秘主義などの宗教色は無し)

ブルサ、イスタンブール、マニサなどの大きな都市に

スルタンのワクフ(宗教寄進)として建てられました。

 

参考文献 アティフ・カフラマン「オスマン帝国のスポーツ」1995,アンカラ,p105-190

新井政美「トルコ近現代史」2001,みすず書房,p84-112