トルコ共和国におけるラマザンにみる娯楽

                          トルコ語学科3年   新妻幸恵

 

T ラマザンについて

 ラマザンとはアラビア語のラマダーン、つまり断食のことである。イスラームには六信五行という6つの信じるべきものと5つの信者として行う義務がある。ラマザンはこの五行にも含まれており、ムスリムが行うべき義務のひとつである。ラマザンはイスラーム暦9月の1ヶ月間、日の出から日没まで一切の飲食を断つ行為である。このように、ムスリム全体で断食をし、その苦しみを体験することによって、共同体の更なる連帯と団結が生まれるのである。トルコ共和国の人々にとってラマザンは、断食の苦しさと共に、断食があけることを共同体でお祝いしたり、楽しんだりすることで娯楽という性質もみてとれる。このトルコ共和国にみられる、ラマザンでの娯楽について検証していく。

 

U オスマン帝国時代のラマザンにみる娯楽

 オスマン帝国時代もラマザンは行われていた。まず、オスマン宮廷においてのラマザン期間中の娯楽はイフタールと呼ばれる断食期間中の日没後、断食を終えた直後の食事であった。イフタールには宮廷に仕える全ての役人、過去のスルタン、宮廷に関する全階層の人々、マドラサ(イスラーム学校)の先生が招待され、彼らはスルタンからプレゼントやお金をもらい、食事を楽しんでいた。ラマザン期間中の夜は、3回から5回食事が行われ、5から10品の盛大な料理が並べられ、普段の料理人では人手がたりず、臨時に料理人が雇われ、給料は普段の2倍払われた程である。さらに宮廷の中心には円形に屋台が並べられ、チャイハーネ・カフベハーネ(紅茶、コーヒーを飲める場所)の屋台と共に演劇や曲芸も行われており、人々が断食期間の苦しみと共にこのような楽しみを享受していたことがわかる。次に、一般の人々(都市の人々)の娯楽であるが、宮廷同様に食事が普段より盛大に行われことと共に夜に街で遊ぶことが娯楽の中心であった。普段、街で夜に出かけることは無いが、ラマザン期間中は、日没後の礼拝を終えた後、親戚・友人を訪問したり、通りで話し込んだりしていた。さらに、街区の広場のテントでのカラギョズ(影絵)、曲芸、演劇、モスクでの様々な品を扱う出店などに行くことで人々は楽しんでいた。しかしタンジィマート以降になると、ラマザンに関する諸法が出される。例えば、ギュルハネ勅令の後レシット・パシャによって出された法は、夜に通りに座り込んで話しこんだり、集まったりといった礼儀をわきまえない無遠慮な状況を取り締まるための法律であった。このように、オスマン帝国末期にはラマザンでの楽しみを一部制限することも行われたが、帝国期を通じて、ラマザンは宗教義務であると同時に人々の楽しみでもあった。

 

V 現代のトルコ共和国のラマザンにみる娯楽

 トルコ共和国成立時に世俗主義の方針がとられたが、ラマザンは人々の生活に強く根付いていたために、ラマザン明けのお祭り(シェケルバイラム)が国民の休日として残されることとなった。現代では世俗化が進んだ都市部では断食をする人は減っているようであるが、このような人々でもラマザン期間中は友人・親戚を訪問したり、共に食事をしたりとイフタール習慣は受け継がれているようである。ラマザン明けに3日間おこなわれるお祭りであるシェケルバイラムには、各種の砂糖菓子など甘いお菓子をもって日ごろ世話になる上司や親戚、友人を訪問する習慣がある。