2002年10月
ミッリイェット紙トップ記事

2002年10月1日

TBMMの総局はSPANAPYTPと不機嫌な人達と呼ばれている国民議会委員の反対票を得ることにもかかわらず、再び休止状態となった。この結果11月3日付けでトルコ選挙へと進行することが決定した。議会は自身が設置した投票箱を自分で片付けることはしなかった。

2002年10月2日

2002年10月3日

2002年10月4日

2002年10月5日 Ecevit:"Kuzey Irak'ta ileri gidilirse gerekli önlemleri alırız"
「北イラクでの助長には適切な防御策を取る」

首相ビュレント・エジェビットは北イラクに基盤を置くクルド議会に対して一国家としての議会というイメージを与えることは絶対に承認されないことであり「もし度を越すようであればおそらくトルコは適切な防御対策をとるであろう」とのべた。首相はイスタンブル移動前のエセンボア空港で記者達の質問に答えた。

近く行われる可能性のあるイラクへの干渉のために、アメリカ側によるトルコの基地を望む要求があったかなかったかという質問には首相はなかったと答えた。

もしアメリカの基地要求があった場合、トルコがどういった姿勢を示すかという質問に対しては「未だ検討中である」との返答であった。
(山口 南)

2002年10月6日

2002年10月7日 Şivas davasında idamlık hükümlüye insan hakları ödülü
シワスの事件の死刑判決に対し人権賞賛

シワスでの裁判で死刑の判決を下されたエルケン・チェティンバシュは内閣に関係のある人権教育委員会などによって整備された和解闘争の一人目になった。
これを受けて、シワス刑務所にいるチェティンバシュを、内閣補佐ムフメト・アルトゥンタシュらが褒め称えた。

この事件は1993年7月2日に、シワスのマドマクホテルで火事が起き、37人が死亡したものである。
<訳:藤尾大輔>

2002年10月8日 憲法裁判所有効性の停止要求を拒否

憲法裁判所はEU採用法の数項を廃止するMHPの要求により開かれた法廷でその有効性停止の要求を拒んだ。
高等裁判所はこの決定を満場一致で採択した。
MHPは4771項定款における変更実行に関する数項の中止とその有効性の停止を求めていた。<訳:幡野>

2002年10月9日

2002年10月10日

2002年10月11日

2002年10月12日

2002年10月13日 “手段は我々が離党しないことだ”

首相のビュレントエジェビットは、“民主左派党の目標に対する方法は、夫人とともに活動的な政治に留まること”であると言った。エジェビットのこの言葉に、議員候補者の集会に参加した党員たちは嘆いた。(訳;菊地君枝)

2002年10月14日

2002年10月15日 バイカル:対策を取れ、票を与えるな!

CHPの党首デニズ・バイカルは、若い政党の対策がばら撒かれることに反発しながら、「対策を取れ、しかし用心しろ、票を与えてはダメだ!本当の罪はこれらを広げる人たちに票を与えることだ。票は誠実であるべき。売ることはやるな!」と言った。
<訳:永井>

2002年10月16日

2002年10月17日

2002年10月18日 Sezer'den maaşına yüzde 184 rekor zam
「セゼルは彼の給料を184%に賃上げした」

大統領のアフメット ネジデット セゼルは、2003年のために自分の給料を184%の比率で賃上げする用意をした。その増加によって来年のセゼルの給料は全部で150億リラになるだろう。
大統領であるセゼルの給料の賃上げから昔の大統領からスレイマン デミレルとケナン エブレンと昔の大統領夫人たちも利用するだろう。
大統領府の2003年の予算は23兆6800億リラとして提案された。このように2002年で17兆7090億リラあった大統領府の予算が33.7%の比率で増やされた。大統領府の2001年の予算はというと13兆4910億リラのレベルで指定されていた。

2002年10月19日

世論へ穏健なイメージを与えるため奮闘しているAKPは、選挙まで耐えられずに、分裂した。(大内)

2002年10月20日

2002年10月21日

2002年10月22日

2002年10月23日

2002年10月24日 Kanadoğlu'ndan AKP'ye kapatma davası
検事総長カナドール氏からAKPへ解散訴訟

最高裁検事総長カナドール氏が正義進歩党(AKP)が憲法裁判所の警告命令を無視した件を引き合いに出し、同党を閉鎖させることを要求する訴訟を起こした。

カナドール氏は憲法裁判所の、エルドアンを創設メンバーから離脱させる方針の決定に対して正義進歩党(AKP)が「法に対しいんちきを行う」ような態度で対応した(エルドアン氏が党首でい続けた)ことを理由に政党法104条2項により党の閉鎖を求める訴訟を起こした。
カナドール氏は同党が2001年8月14日の内務大臣への党の創立申請のあとに法人であることが発覚したことを指摘した。エルドアン氏の国会議員、党員資格を疑わせる前科(97年に行った演説により刑法312条で有罪となった)があることにより創設メンバーからの除去を求める訴えが憲法裁判所にあったこと、また、高等裁判所が2002年9月に控訴を認めたもののエルドアン氏の創設メンバー除名の命令があり、同命令の公式発表以降6ヶ月の猶予期間を与えた事を明らかにした。今回の訴訟は同党がその6ヶ月の猶予期間を越えてもエルドアン氏が党にい続けたことによる。
(山口 南)

2002年10月25日 Terimin yorumları ile uygulamaları çelişiyor
テリムの言動と現実は矛盾している

メフメト・ポラトは非常に良かったのに、なぜ後半から代えたのか?
バリッチとピントはとても疲れていたのに、なぜ代えなかったのか?
90分間、がらタサライが試合を支配していたのに、なぜゴールを決められたのか?

ブルージュ戦の敗北はヨーロッパでの試合に勝つのに慣れていたガラタサライの近年見られなかった面を明らかにした。新監督(“皇帝”ファーティム・テリム)は、戦術レベルでのバランスをいまだに取れていなかった
このベルギーでの試合で起こった戦術の失敗は、シーズン当初から溜まってきたものが一気に爆発しただけである。トルコで最も優秀な監督の一人であるテリムがやってきた矛盾が、この爆発の導火線となったことは言うまでもない。
<訳:藤尾大輔>

2002年10月26日

2002年10月27日

2002年10月28日

2002年10月29日

2002年10月30日

2002年10月31日 トルコの選挙で10人が死亡し、86人が負傷した

政党の選挙活動が広く行われた10月、選挙活動の間に、たくさんの事故と政党間の衝突が起こった。トルコで政党が伝統的に行っている派手な集会は、今回もまた残念な事件を引き起こすきっかけとなった。この事件に政党間の争いも加わり、選挙をひかえたトルコでは、10月は苦々しく過ぎた。選挙活動人が精力的に動いていた月末、10人が命を失い、86人が負傷した。(訳;菊地君枝)