格

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1. 格とはどういうものか?
 (1) ヨーロッパ諸言語の格
 (2) 朝鮮語の格
2. 朝鮮語の格語尾の数
3. 格の意味とその分析
 (1) 格の意味をどう整理するか
 (2) 意味分析の方法論
 (3) 統辞論的視点からの意味分析
4. 朝鮮語の格研究の論著

 1. 格とはどういうものか? 
(1) ヨーロッパ諸言語の格
 名詞の「格」は一般に、文中において名詞が他の単語と結ぶ関係を表す文法範疇であるといわれる。例えば「私がハングルのホームページを作る」という文では、「私が」は「作る」に対して動作をするものであることを表し、「ハングルの」は「ホームページ」に対して属性を表し、「ホームページを」は「作る」に対して動作の及ぶ対象であることを表す、という具合である。何やら回りくどい説明ではあるが、もっとぶっちゃけて言ってしまえば、格とは文中での「名詞の形」といえる。
 ヨーロッパ諸言語では、名詞は語形変化をする。いわゆる「格変化」というやつで、「曲用」とも呼ばれる。ヨーロッパ諸言語は名詞のしっぽの部分(語尾)がいろいろに変わって変化するが、その体系が格変化である。ヨーロッパ諸言語では、名詞にいくつの格があるかは、言語ごとにあらかじめ決まっている。ロシア語には6つ、ラテン語には5つ、ドイツ語には4つの格がある。英語は通格と所有格の2つの格(代名詞は主格・所有格・目的格の3つ)がある。例えば、ロシア語の「dom(家)」という単語は、下のように格変化する。
単 数複 数
主 格 dom doma
生 格 doma domov
与 格 domu domam
対 格 dom doma
造 格 domom domami
前置格 dome domakh
 これを見るとどの形も「dom」という部分が共通しており、その後ろにさまざまな語尾がついているのが一目で見てとれる。ただ、ややこしいことに、どの単語でもこれと同じ語尾がつくわけではない。名詞が男性か女性か中性か、あるいは単語の末音が何かなどによって、つく語尾のパターンはいくつかのバリエーションがある。「-が」はどんな単語についても常に「-が」である日本語とは大違いで、このあたりがヨーロッパ諸言語の複雑なところだ。しかしながら、ヨーロッパ諸言語は格の数が決まっているので、その決まった数の形さえ覚えてしまえば名詞の変化はおしまいである。
(2) 朝鮮語の格
 さて、では朝鮮語の格はどうか。朝鮮語の格は格語尾によって表される。格語尾は日本語の格助詞に当たるもので、名詞の後ろにくっつく接辞である。単語の形そのものが変化するヨーロッパ諸言語とは異なり、朝鮮語や日本語の場合は名詞本体の後ろに、接着剤でくっつけるようにして、接辞をくっつけるのである。朝鮮語・日本語のような言語が「膠着語」と呼ばれるゆえんはここにある。
 格が名詞の語形の体系であるので、単純に考えれば、名詞に何らかの接辞(語尾)がくっつけば、できあがった形は全て格の形になることになるが、果たしてそんなに単純なのだろうか。例えば日本語の「私」という単語に接辞がくっついた形を挙げてみると、「私が、私は、私の、私に、私へ、私から、私まで、私で、私と、私も、私だけ、私すら、私とか、私のみ、私ほど…」というように、いくらでも挙げることができる。これらを全て格と考えると、日本語の格の数は膨大な数になる。このような事情は朝鮮語でも全く同じだ。
 ここで「格」の定義をもう一度思い出してみる。「文中において名詞が他の単語と結ぶ関係を表す」ということだが、上に挙げた「私」の例の中には、「他の単語と結ぶ関係」を表していないものがいくつか含まれているようだ。例えば「私は」なんていうのは、一見すると文中で主語を表す形のように見えるが、ちょっと考えればそうでないことがすぐわかる。  このように、「は」は他の単語との関係を表すのではなく、何か別のことがらを表すものであるようだ。さらにこの「は」が格と見なすのが難しい理由として、「カレーを食べてはいる」「値段が高くはある」「甚だしくはこんな例もある」のように、動詞・形容詞・副詞などさまざまな単語にもつくことができることが挙げられる。格が「名詞の語形変化の体系」であるとするならば、動詞・形容詞・副詞をも巻き込んでしまう「は」は、もはや「名詞の語形変化の体系」とは言えない。このようにして、「私も、私だけ、私すら」などの一連の形が格から除外されることになる。これらのものは日本語では「副助詞(あるいは係助詞)」、朝鮮語では「とりたて語尾」に分類される。
 とりたて語尾を除いた形が全て格の形かというと、実はさらに見ていくと、また変なものが見つかる。「定食は刺身とか天ぷらとか焼き魚があります」というときの「とか」などである。これは「刺身とか天ぷらとか焼き魚」というように確かに他の単語と結びついてはいるが、格が表すような関係とは異なり、単なる「羅列」を表している。換言すれば、「刺身とか天ぷらとか焼き魚があります」と言ったときには、「関係」からいえば実は「刺身が、天ぷらが、焼き魚があります」というように、「刺身」も「天ぷら」も「焼き魚」も「ある」に対して存在の主体という関係である。したがって、それらは全て主格に相当するのであるが、羅列の場合には「主体」という関係を表す格の形で表されない。このような「とか」のたぐいを日本語では「並立助詞」、朝鮮語では「並立語尾」というが、これもまた格を表すものではないので、格の体系から除外される。
 しかして、朝鮮語や日本語の格は、名詞につくさまざまな語尾のうち、とりたて語尾や並立語尾を除いたものが格を表すものとなるわけである。このようにみると、朝鮮語の格はその膠着語的な特性のゆえに、ヨーロッパ諸言語のように純粋に名詞それ自体の形から格を確定するのは難しく、他の単語との関係などの観点と併せて確定せざるをえないことが分かる。

 2. 朝鮮語の格語尾の数 

 上記のように、名詞につく語尾のうちどれが格語尾であるか確定されれば、その数は容易に定まりそうなのであるが、現実には学者によって格語尾の数はさまざまである。以下に代表的な論著に現れる格語尾の規定を挙げてみよう。
金敏洙(1970)
主格 -ga/-'i
属格 -'yi
対格 -ryr/-'yr
具格 -ro/-'y-ro
与格 -('ei)gei
位格 -'ei
奪格 -('ei)se
共格 -'oa/-goa
呼格 -'ia/-'a
述格 -'i-
許雄(1995)
主格 -ga/-'i
 -('ei)se, -'i-ra-se/-'i-ra-sa
 -ggei-se, -ggei-'ob-se/-ggei-'o-se
対格 -ryr/-'yr/-r
位置格 -'ei, -('ei)se, -'ei-ro
 -'ei-gei, -'ei-gei-se, -'ei-gei-ro
 -han-tei, -han-tei-se, -han-tei-ro
 -ggei, -ggei-se, -ggei-ro
方便格 -'y-ro, -'y-ro-se, -'y-ro-sse
比格 -goa/-'oa, -ha-go
 -bo-da/-bo-dam
 -ma-niaq, -'i-raq, -'i-na, -'ei-se, -ma-dda-na
菅野(1988)
語幹格 (ゼロ語尾)
主格 -ga/-'i, -ran/-'i-ran, (-ggei-se)
対格 -ryr/-'yr, (-r)
属格 -'yi
向格 -'ei, (-'ei-da/-'ei-da-ga)
与格 -'ei-gei, -han-tei, -ggei
 (-'ei-gei-da/-'ei-gei-da-ga)
 (han-tei-da/-han-tei-da-ga), (-de-re)
処格 -'ei-se, (-ro-bu-te/-'y-ro-bu-te),
 (-'ei-se-bu-te, -se-bu-te), (-se)
奪格 -'ei-gei-se/-'ei-gei-se-bu-te,
 -han-tei-se/-han-tei-se-bu-te
具格 -ro/-'y-ro, (-ro-se/-'y-ro-se),
 (-ro-sse/-'y-ro-sse),
 (-ro-da/-'y-ro-da;-ro-da-ga/-'y-ro-da-ga)
共格 -'oa/-goa, -ha-go, (-raq/-'i-raq)
起点格 -bu-te, (-ro-bu-te/-'y-ro-bu-te)
到達格 -gga-ji
呼格 -'ie/-'i-'ie, -'ia/-'a, -'i-si-'ie
様態格 -ce-rem
比較格 -bo-da
言語文化研究所(1961)
主格 -ga/-'i
属格 -'yi
対格 -ryr/-'yr
与=位格 -'ei, -'ei-gei, -'ei-se
造格 -ro/-'y-ro
具格 -'oa/-goa
呼格 -'ia/-'a, -'ie/-'i-'ie
絶対格 (ゼロ語尾)
金敏洙(1970) 「國語'yi 格'ei dai-ha-'ie(国語の格について)」『gug-'e gug-mun-hag(国語国文学)』49, 50合併号
許雄(1995) 『20sei-gi 'u-ri-mar-'yi hieq-tai-ron(20世紀国語の形態論)』saim mun-hoa-sa
菅野裕臣(1988) 「文法概説」『コスモス朝和辞典』白水社 所収
言語文化研究所(1961) 『jo-sen-'e mun-beb 1(朝鮮語文法1)』
 この4つを比べて見ても、いちばん少ないのは許雄(1995)の5格、いちばん多いのは菅野(1988)の15格で、両者の間には10もの開きがある。金敏洙(1970)の体系は非常にすっきりしていて、1つの格に対して1つの形が与えられている(ただし -'i と -ga などのように異形態は認めている)。格が名詞の文法範疇である以上、それは形の体系であるので、ヨーロッパ諸言語の格の体系と照らし合わせてみても、このように1つの格に対して1つの形が与えられるというのが望ましくはある。ところが、朝鮮語の語尾には実にさまざまなものがあり、それらをどう処理するかということが常に問題となる。菅野(1988)ではさまざまな形を異形態と処理して、できるだけ1格1形態に収めようとしている。例えば与格は -'ei-gei を基本形とした上で、-han-tei を話し言葉の異形態、-ggei を尊敬の異形態、-'ei-gei-da/-'ei-gei-da-ga などを一部の意味における異形態と処理した。また、許雄(1995)では1つの格に対し複数の形を認めている。
 これらの見解は格をどのように捉えるかという視点の違いから、それぞれが違った格をはじき出しているといえよう。金敏洙(1970)や言語文化研究所(1961)の体系はヨーロッパ諸言語の格の概念になるべく忠実に従おうとした形跡が見られる。確かに表自体はすっきりしているが、ここに漏れている数多くの形をどう処理するかが問題となろう。許雄(1995)の体系は格を形式よりはむしろ意味の観点から分類しており、その結果として1つの格に複数の形が与えられたり、また -'ei-se のように1つの形が複数の格に分類されていたりする。意味を重視した分類は、格とその形の関係が曖昧である。-'ei-se は果たして主格なのか、位置格なのかという問題が生じよう。菅野(1988)の体系は形式を重視しつつ多様な形をなるべく1つに凝縮しようというものである。形の体系としては整理されているが、さまざまな形が本当に異形態といえるのかは議論の余地があろう。
 また、上の4つのうち特筆すべきは、菅野(1988)の「語幹格」と言語文化研究所(1961)の「絶対格」である。これらはともに名詞にいかなる語尾もつかない形、名詞語幹そのままの形を指すが、格が形の体系である以上、何らかの語尾を伴った形とともに、何の語尾もつかない形を格の体系に含めることは非常に重要な視点であるといえる。

 3. 格の意味とその分析 
(1) 格の意味をどう整理するか
 格の意味とは何かという問いは、実はそんなに易しい問題ではない。例えば「学校に」と言ったとき、「に」はどんな意味かという問いに対して、明確に答えることは難しい。「学校にある」と言うときの「に」は存在場所の意味であろうし、「学校に行く」のときは到達点であろうし、「学校に興味がある」と言ったら態度の向けられる対象という意味であろう。したがって、ある1つの格にはさまざまな意味が含まれているということができる。
 このような格のさまざまな意味を整理する方法の1つとして、ある人は「中心的意味」と「周辺的意味」という分類を用いる。1つの格で表されるさまざまな意味のうち、最も一般的で主要なものを中心的意味とし、一般的でないものを周辺的意味と捉える考えである。またある人はさまざまな意味の全体を統合する「普遍的意味」を求める。1つの格に現れる全ての意味から抽象される、ある1つの根源的な意味を抽出するという考えである。しかしながら、前者の場合、何をもって「中心的・周辺的」とするかは非常に恣意的で、論者の主観が多分に介在するだろうし、数量的に多用される意味がすなわち「中心的」であるといえるのかということに関しても議論を呼びそうである。後者の場合、ある1つの格が持つ全ての意味から、何らかの1つの意味を抽象しようというのだから、論はさらに恣意的にならざるをえない。
 ここで、格それ自体のみならず、格をとりまく他の単語との関係をも視野に入れた研究が必要となってくる。すなわち、格を統辞論的な観点から捉えなおすのである。例えば「に」の場合、それが「到達点」を表すのは「行く、来る、集まる」など、移動を表す動詞と連結したときであるが、このように格と結びつく他の単語との関係を見ていく研究が韓国国内においても盛んになっている。このような流れは、すでに西欧のヴァレンツ理論、アーギュメント構造理論、あるいは東欧の単語結合理論などで展開されているものである。
(2) 意味分析の方法論
 分析の方法論の観点から見ると、既存の研究では、ある格の意味を分析するのに論者が用例を創作して論じることが多かった。このような研究方法の最大の弱点は、意に添う用例だけが創作され、意にそぐわない用例が(意図的にせよ意図的でないにせよ)現れにくいという点である。1つの格の意味を分析するとなれば、その格の持つ全ての意味に対して分析を加えてこそ、しかるべき結論が導き出せるのだから、ある種の意味に対する分析が欠落した議論は、格の意味の研究としては非常に不充分なものといわなければならない。
 そのような研究方法のアンチテーゼともいえるものが、近年盛んになりつつあるコーパスを用いた分析である。新聞・雑誌・小説など、膨大な書かれた言語資料の中から該当する用例を片っ端から抜き出して分析するこの方法は、自らの意にそぐわないものだからといって、用例を排除することは少なくともできない。ただし、この方法の最大の弱点は、コーパスの用例に現れなかったものは扱うことができないという点である。したがって、コーパスを用いる場合は、なるべく多様な用例が収集できるように莫大な量のコーパスを扱わねばならないということ、万一用例として収集できないもののために、論を補填するための手段を講じなければならないことが必須条件となるであろう。
 後者の方法論と関連して出てくるものとして、言語事実に依拠した方法論ということがある。言語を分析する理論はいろいろあるが、言語研究とはあくまで言語そのものを分析するのであって、言語理論を分析するものではない。「初めに理論ありき」ではなく「初めに言語ありき」なのである。ときどき、言語理論を重視するあまり、言語事実を言語理論に強引にひきつけようとする議論が見受けられるが、このようなやり方は言語研究の方法としては正攻法でない。言語理論は言語事実を分析する過程で打ち立てられるものであり、言語理論は言語事実に従属するものであって、言語事実が言語理論に従属するのではない。
(3) 統辞論的視点からの意味分析
 統辞論的視点から格を分析する場合に重要となることは、格がどんな単語とともに用いられているかということである。より厳密にいうと、格がいなかる単語と関係を結んでいるか(場合によっては、いかにして他の単語と関係を結んでいないか)ということである。
 1つめの例の場合、「se-'ur-'ei-se」は「'oass-da」と関係を結んでいるが、2つめの場合の「se-'ur-'ei-se」はどの単語と関係を結んでいるのかはっきりしない。あるいは「manh-da」と関係を結んでいるのかもしれないが、「se-'ur-'ei-se-nyn」以降の部分全体と関係を結んでいると見ることもできる。多くの場合、格は1つめの例のように述語用言と関係を結ぶことから、韓国などでは格と述語用言との関係を見る研究が盛んに行なわれている。しかしながら、格は必ずしも「述語」と関係を結ぶとは限らない。2つめの例がそうであり、また3つめの例は格が名詞と関係を持っているし、4つめの例は関係を結んでいる単語が用言ではあるが述語ではなく連体形である。このように見ると、格と他の単語との関係を見るといった場合、関係を結ぶ単語を述語用言だけに絞るのは少々難があろう。
 格と他の単語との関係を見ていくと、2つのことが見えてくるだろう。1つは格と関係を結ぶ用言の種類であり、もう1つは格の形をとっている名詞の種類である。前者の場合、例えば「-'ei」格が到達点の意味になる場合、関係を結ぶ用言は「'o-da, ga-da」などの移動動詞である。しかし、ここで注意すべきは、「移動動詞」なる部類があらかじめ存在し、それが「-'ei」格と結びついて到達点を表すのではない。格と用言の結びつきと格の意味は相互的なものであって、格と用言の結びつきが始めに存在するものでもなければ、格の意味があらかじめ存在するのでもない。従って、「この格はこの動詞と結びつく」とか、「この格にはこれこれの意味がある」ということをア・プリオリに設定してはならないのである。格と関係する用言の部類にせよ格の意味にせよ、それらは格と用言の結びつき具合を分析する過程で抽出されるものであって、両者ともあらかじめ存在するものではないということを念頭に入れて分析を進めなければ、論の展開が本末転倒になってしまう。
 言語は形式である。従って、言語分析とは、その形式の分析でもある。それは、格の意味を分析する際にも言えることである。意味を分析するからといって言語の形式をなおざりにしては、言語分析としては不完全なものであろうし、形式を軽視して意味だけに頼っては、論自体が恣意的で主観的になってしまうおそれが大きい。格の意味を形式の面から分析するために、どのような観点が必要であろうか。まず、当該の格が他の格へ置き換えることができるか否かという点が考慮される。
 上の3つの -'ei-se はそれぞれ異なる格語尾への置き換えが可能である。これによって、この3つの -'ei-se がそれぞれ別個の意味であることが確認され、付随的に格を支配している動詞の部類も区別することができる。このような格語尾の置き換えは、格の意味を形式の面から分析する1つの方法として利用することができる。
 また、共起する他の語形、すなわち単語の連結に加わる他の語形のあるなしも、格の意味を形式面で分析するときに重要な役割を果たしうる。上の例のうち3つめの例は、-gga-ji 格が加わることが必須である。この場合、-gga-ji 格なくして -'ei-se 格は用いることができず、-gga-ji 格があってはじめて -'ei-se 格は起点としての意味を表す。
 その他、格の形をとっている名詞が単独で用いられているか連体修飾節があるか、などということも問題となることがあるかもしれないし、また格と結びつく動詞が終止形か連体形か接続形か、アスペクト形式が何であるか、などといったことも何らかの関係があるかもしれない。そのようなさまざまな形式的観点が導入されてこそ、格の意味分析が確かなものとなるであろう。

 4. 朝鮮語の格研究の論著 

 朝鮮語の格を研究するために、以下に代表的な論著を挙げておく。

▲『'u-ri-mar-bon(国語文法)』崔鉉培著、正音文化社、1994
初版は解放前に出ているが、版を重ねて現在に至っている。意味の観点から格を分類しているので、1つの形がいくつかの格に分類されている。崔鉉培氏の議論は解放後の韓国の朝鮮語研究の1つの流れでもあるので、この1冊は押さえておくべきである。また許雄、金昇坤氏らの議論は基本的に崔鉉培氏の理論を基にしているので、彼らの論著と比較してみるのもよい。
▲『gug-'e jo-sa-'yi 'ioq-beb(国語助詞の用法)』南基心著、博而精、1993
韓国で初めて、コーパスを用いて分析を試みた論著で一読の価値大いにあり。-'ei、-ro の2つの格を扱っている。アーギュメント構造理論を土台として論を展開しているが、意味の分類や方法論は日本の言語学研究会がロシアの単語結合論をもとにして行なった格分析と比べてみると面白い。近年、韓国ではアーギュメント構造理論やヴァレンツ理論を用いた研究が多いが、それらを1つ1つ調べてみるのもいいだろう。
▲『gier-hab-ga-'i-ron-goa gieg-'i-ron(結合価理論と格理論)』'i-jem-cur著、中央大学校出版部、1996
ヴァレンツ理論の解説書。解説中の用例は全てドイツ語であるが、これ1冊あればヴァレンツ理論の流れを押さえることができる。
▲『jo-sen-'e-mun-jaq-ron-'ien-gu(朝鮮語文章論研究)』gim-gab-jun著、科学百科事典総合出版社、1988
共和国の論著。統辞論に関する論著であるが、実質的には単語結合論に関するものである。共和国の単語結合論はロシア語の理論を基にしているが、導入から現在に至る過程でかなりの変遷を遂げている。単語結合にまつわる歴史的な流れも解説があるので、共和国の単語結合論の流れを知る上では役に立つ。
▲『jo-sen-'e dan-'e-gier-hab-goa dan-'e-'e-'ur-rim 'ien-gu(朝鮮語単語結合と単語結びつき研究)』baig-cun-bem著、社会科学出版社、1992
共和国の単語結合論に関する論著。単語結合論の基礎的理論から朝鮮語における単語結合の分類まで、かなり念入りに説明している。旧ソ連科学アカデミーの単語結合論と見比べてみると楽しいかもしれない。
▲『日本語文法・連語論(資料編)』言語学研究会編、むぎ書房、1983
旧ソ連の単語結合論を基礎にして日本語の格を統辞論的に研究した論文集。膨大な言語資料を使用しての分析は評価に値する。ソ連アカデミー60年文法(下を参照)の単語結合論に依拠しているので、ところどころ理論的に古い個所はあるが、全体を通してみれば、今日的意義を充分に持っている。朝鮮語の格を考える上で、日本語の格研究は知っておくとよいが、その中でも特にお薦めの1冊である。
▲『日本語の格をめぐって』仁田義雄編、くろしお出版、1993
日本語の格に関して、さまざまな論者がさまざまな観点から論じている。最近の日本語の格研究を知る上でもおさえておくとよい1冊である。
▲『Grammatika russkogo jazyka(ロシア語文法)』、Izdatel'stvo akademii nauk SSSR(ソ連科学アカデミー出版社)、1954
いわゆるソ連アカデミー60年文法と呼ばれる本。第1巻が音韻論・形態論編、第2巻が統辞論編となっているが、第2巻の第1分冊に単語結合に関する記述がある。この単語結合論はビノグラードフ(V. V. Vinogradov)の手によるもので、共和国の文法論や日本の言語学研究会の連語論に多大な影響を及ぼした。一般にはすでに入手できず、図書館などで閲覧するしかないが、共和国の文法論の源流を知る上で目を通しておきたい書籍である。
▲『Argument Structure』、Jane Grimshaw著、The MIT Press、1990
アーギュメント構造理論の概説書。近年、延世大で盛んに行なわれている格研究で必ず参考文献に挙がっている基礎文献で、韓国の格研究を理解するのに助けになる本である。1999年に韓国で翻訳版『non-haq-gu-jo-ron(論項構造論)』(gim-hyi-sug・'i-jai-goan訳、han-gug-mun-hoa-sa)が出たので、それを読んでもよい。
日本での朝鮮語の格研究としては、以下のようなものがある。
▲「現代朝鮮語における格助詞-eigei(-ege)について」韓南洙、1966 (『言語の研究』、むぎ書房、1979 所収)
▲「現代朝鮮語の対格と動詞の統辞論」野間秀樹、1993 (『言語研究III』、東京外国語大学語学研究所 所収)
▲「現代朝鮮語の-eise格について」趙義成、1994 (『朝鮮学報』第150輯 所収)
▲「現代朝鮮語の-ro格について――単語結合論の観点から」陳満理子、1996 (『朝鮮学報』第160輯 所収)
▲「hien-dai-han-gug-'e-'yi dan-'e-gier-hab-'ei dai-ha-'ie(現代朝鮮語の単語結合について)」趙義成、1997 (『朝鮮学報』第163輯 所収)

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