雑記
(随時更新)

あれこれ思ったことを書き連ねます。


最近のマイブーム
 最近の私のマイブームは満洲語である。満洲語は中国最後の王朝である清を建国した満洲民族の言語で、アルタイ諸語の中のツングース諸語の1つである。朝鮮語との系統関係がささやかれることもある満洲語は、以前から気にはなっていたのだが、なかなか手を出す機会がなかった。それがひょんなことから満洲語の教科書を入手し、目下独学中である。
 

「manju gisun tacirengge
umesi amtangga(満洲語の
勉強はとても楽しい)」と
書かれている

 実は、満洲語に接するのは今回が初めてではない。大学院時代に満洲語を扱う授業があり、そのとき一度かじっている。この授業、李氏朝鮮時代の中国語教科書である「老乞大諺解」と、モンゴル語教科書である「蒙語老乞大」、そして満洲語教科書である「清語老乞大」という3つのテキストを読み比べる授業で、朝鮮語・中国語・モンゴル語の大学院生と先生が一丸(?)となって朝鮮語・中国語・モンゴル語・満洲語の4言語を同時につき合わせるという壮大な授業だった。知的好奇心をそそりまくる、たいへん面白い授業であったが、やはり凡人には4言語を同時に見るのは無理であった。多少の知識のあった朝鮮語と中国語は何とかついて行けたが、モンゴル語と満洲語は全く初めてだったので、文字を覚えることすらままならず、結局この2つの言語は全く身につかなかった。
 そのような「遺恨」もあって、ふとしたきっかけから再度満洲語にチャレンジすることになったのであるが、右も左もわからず必死について行っていた大学院時代の勉強とは異なり、心にゆとりをもってこの言語を学んでみると案外面白い。まず、モンゴル文字を改良したあの独特の文字が美しくて、覚えるのが楽しい。この文字がアラビア文字の遠い親戚だという事実も興味をそそる。また、アルタイ諸語の1つなので文法が日本語や朝鮮語と似ていて、習得も容易である。
 それから、満洲語の数奇な運命も、この言語を知りたいという欲求をそそる。清を建国し中原を征服した満洲民族は、その後次第に漢化していき、満洲語ができない満州民族が増えていく。ある資料によると、現在では1000万人近い満洲民族が中国にいるのに、満洲語の話者はわずか数十人だという。
 先日、東京・神保町の中国書籍店に行ったら、モンゴル語書籍の中に満洲語とおぼしき本が1冊あった。表紙を見ると「ilan gurun i bithe(3つの国の書)」とある。これはもしやと思い手にとってパラパラとめくると、劉備だの関羽だの趙雲だのが挿絵に描かれていた。そう、満洲語版の三国志だったのである。巻末の奥付を見ると「錫伯(シベ)文」とあった。シベ語は満洲語の1方言で、むかし新疆に遠征に行った満洲人が当地に残り、その末裔が話している言語で、話者は数万にのぼるという(中国では満洲語とシベ語を別の言語と見なしている)。ともあれ、意外なところで満洲語に出会い、何とも不思議な気分だった。
 このように日々楽しく満洲語を独習しているのだが、唯一の不満は学んだことを実践(会話)に移せないことである。何しろ、本場でさえ母語話者が数十人しかいないのだから。
(2005/08/08)
「東方礼儀の国」
 朝鮮の社会では、年齢が上か下かということが人間関係を決める上でひじょうに重要な要素となっている。いわゆる「長幼の序」という儒教の倫理観念で、目上に対する礼節にとかくうるさい。韓国のバスや電車の中で、老人が入ってくると若者がすかさず席を立つのも、この長幼の序を守って老人に礼を尽くしているのである。
 私は、これで一度ヘマをしそうになったことがあった。韓国の学会に参加したとき、以前日本にいらしていた長老格の韓国の先生が、私たちを食事に誘ってくださり、兄弟子ら数人と食卓を囲んだときのことである。まずは一杯ということで、杯に酒を汲み、再会を祝して乾杯をした。ここまではよくある光景である。杯を高く掲げて乾杯を唱え、いざ飲酒をというときである。卓を囲んだ兄弟子たちは、みな一斉に横を向いたかと思うと、左手で杯を隠すようにし、長老の先生から顔をそらして酒を飲むではないか。そのとき「はっ」と我に返り、そうだ、ここは韓国なんだと思った瞬間、口元にまで来つつある杯とともに、こうべをグイッと横にそむけ、慌てて左手を添えて酒を口にした。滑り込みセーフで、長老先生への礼を守ったのである。
 朝鮮の儒教社会では、長らく目上の前では酒・たばこを飲むことができなかった。今でも韓国では、目上の前でたばこを吸うのはご法度である。酒についてはかなりおおらかになってきているが、やはり長老先生のようにかなりお年を召した年配の人の前では、面と向かって酒をあおるのは避けられ、上のように顔をそむけ、杯を手で隠して、ひそかに飲むのがよいとされる。
 バスや電車で、老人が目の前に来ても席を譲らない日本とは大違いである。老後は韓国で過ごすのがいいかもしれない、などとひそかに思ったりする。
(2001/11/10)
足を洗え
 韓国人の日常生活では、「足を洗う」という行為がふつうに行なわれる。日本だったら、外から帰ってきたら手を洗うなりうがいをする習慣があるが、韓国ではなぜか外から帰ってきたら足を洗う。私自身も、本国人のカミさんに、毎日のように「帰ってきたら足を洗え」と口やかましく言われるが、足を洗う習慣のない私としては、帰ってくるなり風呂場に直行して足を洗うというのは、なかなか習慣化できるものではない。
 外から帰ってきて手を洗ったりうがいをするのは、手のバイ菌を落としたり、うがいで風邪を予防するなど、それなりに理にかなっていると思うのだが、足を洗うというのは、どういう理屈があってそうするのか分からない。韓国人に言わせれば、外から帰ってきて足を洗わなかったら、風邪にかかってしまうというのだが、まさか風邪の菌が足の裏から入り込むことはあるまい。
 私の想像するところ、これは朝鮮と日本の生活習慣に根ざしているのではないかと考える。日本では風呂に頻繁に入り、最近では1日に2度風呂に入る人もいると聞くが、朝鮮では日常的に風呂に入る習慣がない。入浴は週に1度ほどで、日々の生活ではシャワーを浴びたり、上半身だけの行水や洗髪だけということが多い。そうなると、足を毎日洗わなければ足の臭いがきつくなるため、あえて帰宅して「足を洗う」という行為をとりたててするのではないかと考える。
 帰宅して足を洗う習慣のなかった私であるが、カミさんの毎日の攻勢によって、実は最近になって、家に帰ってから足を洗わないと、何か物足りないように感じるようになってしまった。習慣とは恐ろしいものである。
(2001/04/18)
職質好きの韓国警察官
 韓国の警察官は職務質問が好きである。職質のターゲットは、きまって若い男性である。軍事政権時代は学生デモなどが日常茶飯事に行なわれていたため、若い男というだけで職質の対象となっていたらしい。その名残か、若い男は何もしていないのに、いきなり職質を食らうことがよくある。
 私もご多分にもれず、何度か(何度も?)職質にあった。大学に入ろうとすると、その日は正門前に警官がうようよいて、一人一人チェックを入れていた。もちろん私に対しても「身分証みせなさい」という。ここで「身分証」というのは、韓国の本国人なら誰でも常時携帯している「住民登録証」のことである。在日朝鮮人である私は、もとよりそんなものは持っていない。ここで登場するのが日本の外国人登録証である。日ごろ目の敵にしている外登証が、ひょんなところで役に立つ。彼らは日本の外登証を見るや、「あっ、こいつは在日だ」と悟り、すぐさま「行っていい」と手を振って促してくれる。この職質、本国人でない者(外国人や在外同胞)に対してはあまりうるさくないらしい。
 何度も職質にあっていると、だんだん証明証を出すのが面倒になる。そうなると、「身分証は?」と聞かれたら日本語でベラベラまくしたてる。すると、警官は「うわっ、こいつ日本人だ」と思い、そのまま放してくれるのである。職質をするのは新米の警官らしく、日本語でまくしたてられてあたふたして、後ろに控えている先輩警官に「こいつ日本人みたいですよ」などと言うこともある。するとその先輩警官は「構わず見せろと言え」と新米警官にけしかけるが、こっちも構わず朝鮮語を知らないふりをして日本語でまくしたてる。最後は先輩警官が根負けして「行け、行け」ということになるのだが、朝鮮語を知っている私としては、警官のやりとりの一部始終が分かっているので、かなり面白い(かなり意地悪か)。
 ときどき勘違いをする警官もある。ある日、鍾路の裏の夜道をひとりトボトボ歩いていたら、例のごとく警官の職質にひっかかった。これまた例のごとく日本の外登証を見せたら、その警官は外登証に「国籍:韓国」と書いてあるのに、何を勘違いしたか、日本語で「あなたは日本人ですか?」と尋ねてくるではないか。私は正直に「いえ、在日僑胞です」と答えたが、その声は耳に入らず、今度はすごみをきかせた声で「日本人ですか!」と言う。さすがにうっとうしくなり、「はい」と言ったら、その警官はニカッと笑って、「は〜い、日本人ですね〜」と叫び、私を放してくれたのである。たぶん、習った日本語を使いたかったのであろう、その警官はいたく満足そうな顔をしていたが、すごみをきかされた私のほうは、いい迷惑だった。まあ、こういうところを見ると、韓国の警官も時にはおちゃめである。
(2000/12/15)
韓国にいて恋しかった食べ物
 日本を離れると日本の食べ物が恋しくなる。以前は、梅干とみそ汁が恋しいという話をよく耳にしたが、私の場合、梅干は主たるおかずではないので食べたいと思ったことは1度もなかったし、みそ汁にしてもそれ「らしき」ものは韓国にもいちおうあったので、これも恋しいというほどではなかった。
 で、私が韓国滞在4年の間、食べたくて食べたくてうずうずしていたのが、冷し中華である。ほろずっぱいスープに芥子を解かし、千切りのきゅうりと卵焼きを麺にからめて一気にズルズルっとすすりこむあの味が恋しくて、夏になるたびに冷し中華に思いをはせた。冷し中華というからには、ひょっとして中華料理屋にあるかもしれないと思い、中華料理屋に駆け込んでみた。すると「中国式冷麺」なるものがあるではないか!これはきっと冷し中華に違いないと、私は大喜びで中国式冷麺を注文した。が、出てきたものは、確かに「冷し」ではあるが、ピーナッツスープの異様な麺ではないか。それはどう見ても冷し中華とは遠いものだった。韓国の「中国式冷麺」はあくまでも「"韓国式"中国式冷麺」だったのである。こんな具合で、結局、韓国ではほとんど冷し中華に巡り合うことはなかった。一ヶ所だけ、新村で日本人がやっているというラーメン屋で冷し中華を賞味したが、やはり日本で食べる冷し中華に比べたら味は格段の差だった。
 だが、その代わりに私はおいしいものを開拓した。「コンククス(khong-kwuk-swu)」という麺である。「豆乳麺」とでもいおうか、豆乳に麺を浮かべたこの麺は、夏の食べ物としては絶品だ。スッカラク(さじ)で塩をすくって汁に溶かしこみ、そうめんとおぼしき麺をズズッとすするこの味がまた格別。夏の昼飯は毎日のようにコンククスを食べていた。ただ、店によってかなり味のばらつきがあり、まずい店は食えたものではない。下宿のすぐそばの粉食店のコンククスがこの上なくおいしかったのは、まったくの幸いであった。
 日本に戻ってきて、冷し中華をたらふく食べられる身の上になり、いたく満足しているが、代わりに最近はコンククスが恋しくてたまらなくなってしまった。
(2000/06/30)
地名と漢字
 朝鮮は漢字文化圏に属するにもかかわらず、漢字をめっきり使わなくなった。共和国では建国早々に漢字を全廃したし、韓国でも街ではほとんど漢字を見かけない。韓国人の中には自分の名前さえ漢字で書けない人もかなりいるという有り様だ。我々日本に住む者にとっては漢字を使ってくれたほうがありがたいのだが、漢字を使わなくても読み書きが充分に事足りるハングルの威力は今後も変わらなさそうである。最近、韓国では漢字を使おうという動きが現れ、街路表示などに徐々に漢字が併記されるようになってきた。しかし、一般の市民は地名を漢字でどう書くのかなどということには全く関心がない。
 私には地名の漢字についての思い出が2つある。1つは、留学で金浦空港に第一歩を踏み入れたときのことだ。日本からコンピュータを持って行った私は、運悪く税関にひっかかってしまった(当時は486のコンピュータということだけで税関でひっかかった)。空港でコンピュータを取り上げられた上、1枚の紙切れを渡されたのだが、それには「電波研究所」なる所へ行ってコンピュータの輸入許可証をもらって来ないと関税をかけるとあった。引っ越し荷物に関税をかけられてはたまったもんじゃないと、しぶしぶ紙切れの指示どおりに「ミョンハク(myeng-hak)」という駅へ向かった。この駅はソウル駅から1号線で水原方向に行く途中にある駅だが、一帯は工場が立ち並び実に殺伐としたところだった。ソウル到着早々まあ重い気持ちで駅に降り立ったのだが、ふと駅の表示を見ると漢字で「鳴鶴」とあった。「鶴の鳴く町」というその地名にいたく趣を感じ、朝鮮の地名の奥ゆかしさを実感したものである。
 もう1つは、私が下宿していた新林洞の近くの話である。ソウル大学の学生街であるこの町には、あちこちからバスが来るが、その中で「ナンゴク(nan-kok)」という所から来るバスがある。そこは新林洞から冠岳山のふもとに入った町で、聞くところによると「タルトンネ(tal-tong-ney;低所得者のバラックが多い町)」だそうだ。「タトンネ」といえば、一般にあまりいいイメージではないのだが、ある日その近辺に住む知り合いから「ナンゴ」は漢字で「蘭谷」と書くと知らされた。ああ、何と美しい地名なのだろう。この「タトンネ」が実は「蘭の咲く谷」であるとは。それ以来、「ナンゴ行き」とあるバスを見るたびに、蘭の花が咲き乱れる「ナンゴ」を頭に思い描いて独り悦に入っていた。
 おそらく、今の韓国の若者は地名の漢字を見て美しさや趣を感じることなど、ほとんどないのだろう。こんな愉快で豊かな気持ちが味わえないとは、まったく残念である。
(2000/03/30)
1000円からお預かりします
 私が大学院の修士論文を練っていたころのことである。私は修士論文で朝鮮語のエソ格を題材に研究を進めていた。エソ格は日本語の「…で」「…から」にあたる格である。ある日、コンビニに入って買い物をしたとき、数百円の買い物をして1000円札を出したところ、レジの店員がこう言った。
「1000円からお預かりします」
 エソ格を調べていた私はこのおかしな「から」に聞き捨てならない不自然さを感じた。少なくとも私の語感では、「預かる」という動詞は「知り合いからお金を預かる」のように「誰々から」と言うことはあっても「いくらいくらから」と言うことは、どう考えても不自然極まりないからである。つまり、私の頭の中では「預かる」は「(人)から(物)を預かる」なのであって、「(金額)から預かる」というフレーズは存在しなかったのである。
 それで、注意して見てみると、これと似た表現が以前から使われているのが分かった。例えば大型書店などに行くと、レジカウンターで接客店員とレジ係が別々にいる店があるが、このような店では例えば800円の本を買って1000円を店員に渡したとき、接客店員は
「1000円お預かりします」
と客に言った後、レジ係に向かって
「800円、1000円から」
といったような指示を出す。これはたぶん「800円を1000円から引いて釣りをよこせ」という言葉を端折って言ったのだろう。さすれば「(金額)から(金額)を引く」というフレーズは何ら不自然ではなく、ごくふつうの表現である。そして客に言った言葉も「(金額)を預かる」というごく当たり前のフレーズである。
 ところが、コンビニで聞いた「1000円からお預かりします」というフレーズはこれとは異なる。「1000円から預かる」というのなら「何を」預かるのかがまるで分明でない。いろいろ人に聞きまわったりしたが、ある人は購入代金を預かるのだと言った。しかし「1000円から800円(購入代金)を預かる」というフレーズ自体、尋常ではない。
 結局、コンビニ店員のこの言葉がどういういきさつで出てきたのか解明できないまま、私は留学の途についたが、再び日本に戻って来てみると「××円からお預かりします」がもうすでに市民権を得ている有り様だった。今やこんなフレーズに首をかしげる人間も私くらいなのだろうか?
(2000/02/14)

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