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タイトル-는가 について
記事No25
投稿日: 2009/12/03(Thu) 10:15:20
投稿者高杉
はじめまして。十月から韓国で働き始めたため、現在韓国語を学んでおります。『要訣・朝鮮語』や『朝鮮語小辞典』はとても勉強になります(言語学が趣味なので、素晴らしいサイトだと思います)。

二つ質問があります。『存在詞・指定詞』において、動詞の叙述形・疑問形語尾として -(느)ㄴ다 と -는가 が対になっています。実際、新聞などではそうなっていますが、プログレッシブ韓日辞典を見ると後者は等称の語尾となっており、下称の疑問形としては -니 や -느냐 が載っています。口語と文語で異なるということなのでしょうか。

もう一つ、語基の考え方は非常に分かりやすいのですが、なぜ日本でしか使われていないのでしょうか。変化や不規則性を担うのは動詞であって語尾ではない、というのは非常にまっとうな考えだと思うのですが。

タイトルRe: -는가 について
記事No26
投稿日: 2009/12/07(Mon) 12:46:23
投稿者趙義成
参照先http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/
当サイトをご愛顧くださり、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

「-는가」は一般的に等称に区分され、下称の疑問形は「-느냐」とされます。下称形は引用形「-고」の直前に来うるので、「-ㄴ다/-는다」(平叙形)や「-자」(勧誘形)などとともに「-느냐」が下称形だと言えるでしょう。

白水社の『コスモス朝和辞典』の巻末にある「文法概説」の1034~1038ページに、待遇法の使用場面について詳しく載っています。これが全て正しいと断言することはできませんが、大いに参考になると思いますので、いちどご参照ください。これによれば、書き言葉では下称形が用いられるが、「-는가」、「-나」など一部の疑問形は書き言葉として用いるとなっています(1037ページ)。

語基に類する概念を主張する論がなかったわけではありません。植民地時代に、朝鮮語学研究会を率いた朴勝彬などは語基に似た考え方で語幹を捉えていましたが、周時経学派との学問的論争に敗れて、この考え方は廃れました。

また、旧ソ連の朝鮮語学者だった故ホロドビッチは、『朝鮮語文法概説』の中で語幹を「第1語幹、第2語幹、第3語幹」に区分していますが、これは日本で言う「第I語基、第II語基、第III語基」と全く同じものです。

このように、語基に類する考え方は実はけっこういろいろあります。しかし、北も南も標準文法論ではそのような立場をとっていないため、それと異なる論が紹介されにくく、結果的に広く知られないというのが実情のようです。

タイトルRe^2: -는가 について
記事No27
投稿日: 2009/12/07(Mon) 22:49:02
投稿者高杉
ご回答ありがとうございます。
コスモス朝和辞典は評判が良いですね。初級者用とされているので躊躇していたのですが、次回帰国時に買うことにします。

タイトルRe^3: -는가 について
記事No28
投稿日: 2009/12/09(Wed) 17:30:46
投稿者趙義成
参照先http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/
『コスモス朝和辞典』は巻末の発音概説、文法概説が、朝鮮語学の入門として役に立ち、本編はまた文法辞典、発音辞典的な用い方ができます。

ただし、この辞書は語彙が圧倒的に少ない、漢字語に漢字が表示されていないなどの短所もあります。通常の辞書として用いるには、かなり物足りないですので、そのあたりをあらかじめ了解の上、お買い求めになるのがよいと思います。

タイトルRe^4: -는가 について
記事No29
投稿日: 2009/12/30(Wed) 09:37:09
投稿者高杉
先週帰国した折『コスモス朝和辞典』を買いました。確かに語彙が少ないですが、解説は良いですね。

> 下称形は引用形「-고」の直前に来うるので
とのことですが、「-는가고」も見ます。等称・中称がすたれたからかもしれません。

さてこの引用形について質問があります。辞書を見ると、「-다는」「-다니까」「-단다」など「-고 하-」が省略(?)された形がたくさん載っています。これらはすべて「-다다」という動詞接尾辞として説明できないのでしょうか。

タイトルRe^5: -는가 について
記事No30
投稿日: 2009/12/30(Wed) 15:05:06
投稿者趙義成
参照先http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/
  引用形については、実は問題がけっこう複雑です。

  まず、「-는가고/-ㄴ가고」という形ですが、これは確かに小学館『朝鮮語辞典』や『コスモス朝和辞典』に載っていますね。ところが、韓国で出された『標準国語大辞典』や『延世韓国語辞典』をみると、「-느냐고」は見出し語にあるにもかかわらず、「-는가고/-ㄴ가고」は見出し語にありません。これらの辞書では、「-는가고/-ㄴ가고」を標準的な形と見なしていないようです。

  朝鮮語の引用表現には、古くは引用の助詞「…と」に当たる要素がありませんでした。例えば、「いるかと言って」は「있느냐 하고」と言いました。つまり「있느냐(いるか)」の後ろに「…と」に当たる要素が入らず、すぐに動詞「하고(言って)」が続きました。(日本語の関西方言によく似ています。「~する言うたやん」などのように。)

  引用形の「-느냐고(…するかと)」という形は、語源的には上述の「-느냐 하고(…するかと言って)」が縮まってできたものです。動詞「하고(言って)」が「고」と縮まりつつ、それが引用の助詞となったわけです。これは、「-느냐 하고」が一息で発音されることにより、「ㅎ」音があたかも語中に入り込む形となって音が脱落し、「-느냐 아고」のように発音され、さらに「-냐아-」のところで母音「아」が連続するので1つが脱落して、最終的に「-느냐고」という形になったものと推測されます。

  つまり、「-느냐고」という形は、「-느냐 하고(…するかと言って)」の音が単純に縮まって「-느냐고」という形になり、それがさらに助詞化して「…すると」という意味の引用形になったと言えます。そして、「-느냐고」にはその双方の用法があると言えます。しかしながら、『標準国語大辞典』や『延世韓国語辞典』に載っている「-느냐고」は、後者(引用形)のみであって、前者(「-느냐 하고」の音縮約)ではないようです。

  「-는가고」という形が韓国の辞書に載っていない理由は、どうもこのあたりにあるようです。つまり、「-는가고」は「-는가 하고(…するかと言って)」の音が縮まったものであって、「…するかと」という意味の引用形ではないと見ているのでしょう。

  「引用形」と呼ばれる形は、いわゆる下称終止形に引用の助詞「고(連用形)」あるいは「ㄴ~는(連体形)」が付いた形と言えます。「고」の場合と同様に、「ㄴ~는」は「한~하는」に由来しますが、すでに本動詞としての意味は失われています。

  一方、「-느냐면서(…するかと言いつつ)」、「-느냐더니(…するかと言っていたが)」、「-느냐잖아(…するかと言うじゃないか)」等々といった諸形式は、いずれも本動詞「하다(言う)」が音的に縮まった形です。

  「-다는、-다니까、-단다」などをまとめて「-다-」という接尾辞と見るのはどうか、というのは、なかなか面白い考えです。ですが、これをやりだすと、例えば「-느냐는、-느냐니까、-느냔다」は「-느냐-」という接尾辞を認め、「-자는、-자니까、-잔다」は「-자-」という接尾辞を認めねばならないというように、それぞれの形にいちいち接尾辞を設定しなくてはならなくなるので、かなり煩瑣です。

  なお、世間的には「〈-고 하-〉の省略」という言い方がよく用いられているようです。確かに「있다고 하니까 → 있다니까」となるので、「-고 하-」が略されているように見えます。しかし、実は略されているのは「-고 하-」ではありません。「-고」の直前の母音から「하」の「ㅎ」までが略されています。「있다고 하니까」の場合は、「있ㄷ」の次の母音「ㅏ」から、「하니까」の頭の「ㅎ」までの省略、つまり「ㅏ고ㅎ」の省略なのです。その証拠に、「있다고 해요」の場合は「있ㄷ【ㅏ고 ㅎ】ㅐ요」が略されて「있대요」となりますし、「있느냐고 해요」の場合は、(ハングルでは表示できませんが)「냐」[nja]の最後の[a]から「해」の頭の「ㅎ」までが省略され、[nj]にの後ろに「해」の残りの「ㅐ」が続いて「냬」となり、全体で「있느냬요」と縮まります。

  このように、縮まり方さえ分かっていれば、辞書の見出しの縮約形をいちいち覚える必要もなければ、接尾辞のように考える必要もないといえますね。

タイトルRe^6: -는가 について
記事No31
投稿日: 2010/01/04(Mon) 22:50:56
投稿者高杉
「-고 하-」ではなく母音+「ㅎ」の省略なんですね。「고」が消えるのは変だと思っていました。

「-다 하는」などの「고」がない形は現用なのでしょうか。Google ではけっこう見つかります。標準語において短い形が「-다는」、長い形が「-다고 하는」だとすると、前者は後者の省略ではないということになり(「-다 하는」から来ているので)、「-다-」という動詞的接尾辞を立てる意義が大きくなりますが…。コスモス朝和辞典第二版 pp.1026-1031 に出ている引用形の語尾を別々に立てるのはむしろ煩瑣に思えます。「-려」は、「-려 해(요)」が「-ㄹ래(요)」になるとのことなので、単なる省略とは言い切れないようですね。

タイトルRe^7: -는가 について
記事No34
投稿日: 2010/01/05(Tue) 15:00:18
投稿者趙義成
参照先http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/
なかなか鋭いところを突いて来られますね。

まず、「-다 하는」などの「고」がない形は、現代語においてもしばしば用いられます。私の感覚では、「고」のない形のほうが書き言葉的ではないかと思うのですが、書き言葉/話し言葉という要因の他にも、語呂の問題などもあるかもしれません。

「-다는」はおそらく「-다 하는」が元の形でしょう。「-지 않-」の縮約形である「-잖-」を接尾辞のように見立てる見解があるのと同様に、引用形も接尾辞のように見立てることは可能でしょう。ただし、いずれにしても形の体系は複雑になりそうです。

なお、「-려 해-」が「-ㄹ래-」になるのは、「-려 하다」の話し言葉形「-ㄹ라 하다」に由来しているものと思われます。

タイトルRe^8: -는가 について
記事No35
投稿日: 2010/01/07(Thu) 12:54:54
投稿者高杉
説明どうもありがとうございました。

それにしても韓国語には縮約が多いですね。
よく使う 괜찮다 も、元をたどれば 공연하지 아니하다 なんですね。
제일 が 젤 になるのは、漢字を使う限り表記され得なかった縮約かもしれません。