要旨

「日本語研究における『モダリティ』論の問題点―モダリティは『主観的』な意味要素か―」

日本語研究における一つのモダリティ論(益岡 (1991) )についてその問題点を指摘した。その定義に従い「モダリティ」を「 "主観的" な判断・表現態度を表す要素」であるとするならば、従来モダリティ表現であるとは考えられていない迷惑の受身や補助動詞「しまう」など、話者の感情・評価的な事態のとらえ方を表していると考えられる形式もそのモダリティを表す形式であると考えてもよいことになる。また話者が言語表現を行う際にはたらく "imagery"(Langacker (1987, 1988) )の能力を考えれば、「雨が降るかもしれないなあ」という表現のうち「かもしれない」と「なあ」だけが主観的な判断・心的態度を表すのではなく、「雨(が)fur-」という「命題」部分にも話者の主観的な事態のとらえ方が反映されていると見なければならない。

「主観」対「客観」という二項対立の前提を取り払い、言語による表現は本稿で検討の対象としたモダリティ論において「命題」とされる部分も含めすべてが話者による主観的なとらえ方を反映したものであると考えれば、上記の問題が解消されることを指摘した。

キーワード:
モダリティ、命題(内容)、主観性と客観性、"imagery"