要旨

「現代日本語研究における『モダリティ』の定義―『主観性』をキーワードとすることの適切性について―」

現代日本語研究においては、日本語の文の意味構造を「命題」と「モダリティ」という二つの質的に異なる構成要素から成るとする考え方(益岡 (1991) )が広く受け入れられている。その「モダリティ」の概念を規定するための重要な要素として考えられているのは、判断・表現主体の「主観性」である。「モダリティ」とは「主観性」の言語化されたものであり、厳密な言い方をすれば「表現者の表現時での主観的な判断・表現態度を表す要素」であると定義されている。本稿では、「モダリティ」を規定するにあたり、このように広く「主観性」なる概念をそのキーワードとして用いることにより、いくつかの問題点が生じると思われることを指摘する。そして、現代日本語研究の枠組みにおいて「モダリティ」についての的確な議論を行っていくためには、「主観性」をキーワードとするその定義を、まず見直すことから始めることが必要ではないかとの指摘を行う。

キーワード:
現代日本語研究、「モダリティ」論、モダリティの定義、「主観性」、命題との境界