「共に生きていく」足場を見つめなおす

2020.8.28

国際社会学部長 真島一郎

1.はじめに

 本年2月5日から7日にかけて、本学部の専任教員が担当するゼミで作成されたアンケートが、きわめて不適切な設問内容のままSNSを通じて公表・実施されるという事案が発生いたしました。本学ではこれを受け、同月14日に「本学国際社会学部のゼミの活動の一環として実施されたアンケートについて」の学長メッセージを発し、謝罪の意志を表明するとともに、再発防止に努めることをみなさまにお約束いたしました。

 2月の出来事は、本学が大学組織全体として受けとめるべき深刻な問題性を孕んでおりますが、とくに当該のゼミ指導教員が所属する国際社会学部では、このようなことがなぜ起きてしまったかを、個別のゼミ活動で生じた過ちをこえる教育体制全体の次元において、真摯に再考する必要があるものと判断しました。

2.当該「アンケート」の問題点

 作成者側の趣旨を尊重するかぎり、当初このアンケートは、「外国にルーツを持つ方が日本社会で直面する問題」の可視化を目的としているはずでした。そしてこの目的に少しでも近づくために、国籍や文化的背景の違いをめぐる本質主義的な偏見をあたかも自明視するかのような分類概念や質問項目を設定することで、アンケート回答者の深層にひそむ差別意識を逆に炙り出そうとした形跡は、あまりに稚拙な手立てであるとはいえ、そこに一定程度うかがえなくもありません。

 しかし、そうであるからこそただちに指摘せざるをえない問題点として、社会に遍在する差別や偏見を自らの手で先取りし誘導するかのような危うい質問設定が、現実の回答者にはどのように解釈され感受されるかという基本的な想像力を、今回のアンケートはあまりに欠いていました。設問に際し選びとられた分類概念が、他ならぬヒトの分類をめざした概念であることの暴力性も、基底的な認識から抜け落ちていたといわざるをえません。とりわけ、特定の国籍や文化的背景をもつ方々が設問内容に準拠した分類枠組の下でどれほど傷つけられる可能性があるのか、その想像力を欠くとき、質問者の意図とは裏腹に、当の質問こそが真に差別を助長しかねない帰結をもたらしてしまうからです。

3.本学教育への振り返り

 今回のアンケート文案を作成した学生のみなさんに対し、以上の指摘をもって非難を試みる意図は、もとより私たちにありません。みなさんひとりひとりが、本学にとってはかけがえもなく大切な学生であることにいささかも変わりはありません。また、今回起きてしまったことの直接の責任は当該ゼミの指導教員に帰せられるとはいえ、その点の確認のみによって、今回の事件が教育研究組織としての大学にたいして図らずも投げかけることになった課題を克服したことにはならないはずです。このたびの過ちはやはり重大な過ちであったことを真摯に認識したうえで、多文化共生への貢献をめざす本学、東京外国語大学が、他の教員も含めた大学全体の課題として、「共に生きていく」ための足場を教育面からいま一度見つめなおすことが必要ではないかと、私たちは考えるに至りました。

 たとえば今回のゼミ・アンケートには、「もしあなたに結婚を想定する相手ができて両親に紹介するときにためらいがあるとしたらどのカテゴリーですか」といった質問が含まれています。本学の学部におけるゼミ教育は、大学3年次から始まります。いいかえれば、学生はゼミに所属する以前の2か年をかけて、学部共通の世界教養プログラムと所属学部の専修プログラムの授業を数多く履修してきたことになります。特別な趣旨説明や留保の文言をなんら添えず、拡散可能なメディアを介して上記のようなメッセージを問いの体裁に代えて社会へと流通させることの危険性をかりに学生が僅かでも直感できなかったとすれば、それゆえ大学にとっての課題は、個別のゼミ指導における配慮やチェックのありうべからざる欠如を越えた深い根をもつのではないかと、私たちはこの事件の直後から真剣に危惧し、学部教育の足場をあらためて見つめなおすことからはじめました。

4.「ナショナリズム、レイシズム、排外主義」の教育へ

 第一に、私たちは今年度春学期の始業にあわせ、海外事情研究所および学内有志教員の支援のもとで「ナショナリズム、レイシズム、排外主義を考える授業リスト 2020年度」を作成しました。この種のリスト化としては初の試みですが、高度な言語運用能力と専門知識をふまえて多文化共生に寄与すべく、本学でかねて開講されてきた一群の授業を、今春の履修登録に際して学生の参考に供するよう、私たちはあらためて可視化することに努めました(リストの学部欄において「国」は国際社会学部、「言」は言語文化学部の教員による授業を示します)。

 ヒトの分類は、私たちが社会をいとなみ「共に生きていく」うえで、つねに両義的な価値を帯びざるをえません。たとえば男女の性別、すなわち性にもとづくヒトの分類は、私たちの日常的な社会生活がそれなくしては成立しえない、基底的な思考の基準といえるでしょう。しかし他方において、男女の別に特定の規範が固着することからジェンダー平等を阻害する差別が生じ、あるいは男女の社会区分には適合しがたいセクシュアリティをもつ人びとが当の社会から排除されかねないことも、私たちは知っているはずです。一見中立的にみえる「地域」や「民族」、「文化」、「国」などの区別を前提とした判断にしても、それがひとしくヒトの分類であるかぎり、この両義性から免れることはできません。むしろ、一見中立的にみえる概念区分の根拠こそを、私たちは問いつづけていく必要さえあるでしょう。ナショナリズムやレイシズム、排外主義の問題がけっして一筋縄ではいかず、思考と反省を兼ねそなえた深い省察がたえず必要となるのは、まさにこの理由によるものです。私たち教員もふくめて、差別と排除の害悪から「自分だけ」は完全に免れているという前提も、捨ててかかる必要があります。安定したポジションからはだれひとり発言しえないそうした困難の内実を、学生のみなさんと共にこれからも考えぬいていくために、私たち教員は、このリストにあるような授業の場を用意していることを、学生のみなさんにあらためて示したつもりでおります。

5.「調査倫理」の教育へ

 第二に、今回の出来事は、アンケートの手法を介した調査倫理の認識についても、本学の教育体制に大きな課題を投じるものでした。人間を研究対象とするいかなる調査に際しても、調査に協力し情報を提供してくれる人びとの基本的な人権と尊厳を、調査行為そのものがどの程度まで侵害する恐れをはらんでいるかということ、すなわち調査の侵襲性を、調査者が責任をもって事前に予測し、そうならないための方法論上の対策を講じておく作業は不可欠です。この点と合わせて、新規に調査を計画する際には、関連する先行研究や既存の社会調査を十分に検討したうえで、それでもなお必要と思われる調査項目を的確に選定し、実際の調査にあたっては調査目的をそのつど対象者にむけて明示的に限定することが、いかなる場合でも必要な手続となります。逆に、既存の調査結果を分析することで所期の研究目的がおおむね達成される場合には、侵襲性の観点に照らして、新たな調査の実施をあえて踏みとどまる姿勢も重要でしょう。今回のような事件の再発を防ぐために、「東京外国語大学における人を対象とする研究に関するガイドライン」の基本原則を大学院生にかぎらず学部の学生にも可能なかぎり広く周知するには、どのような教育プログラムが設定できるかについて、私たちは具体的な検討をはじめたところです。

6.「ソーシャルメディアの利用」に関する教育へ

 第三に、今回のアンケートは、不特定の相手にむけてネット上のリンクを拡散させる形式で実施された点において、調査内容の侵襲性とともに、調査手法からおのずと生ずる社会的影響についての想像力も、著しく欠けたものとなりました。そのため、このほど本学では、教職員と学生からなる本学のすべての構成員が、ソーシャルメディアを適切に利用し、かつ各自が責任ある行動をとるためのガイドラインを策定いたしました。本学の初年次教育に相当する必修科目「基礎リテラシー」でも、この春学期からは、ソーシャルメディアの適切な利用法に関する教育をさらに徹底するよう心がけてもおります。

7.終わりに―「共に生きていく」足場を見つめなおす

 以上で記しました一連の取組は、今回の事件で明らかとなった問題点を、必ずしも即座に克服しうる内容にはなっていないかもしれません。とはいえ私たち本学の教員は、このようなことが二度と起きないための努力を、いかにもどかしく迂遠とみえる道のりであれ、今後ともさまざまなかたちで堅実に積み重ねていくほかないものと考えております。起こしてしまった過ちをけっして忘れずに、教育の現場でできることをひとつひとつ果たしながら、国際社会で「共に生きていく」ための足場をたえず見つめなおしていく所存です。

 おりしも国内外を問わず、社会における疫学的な不安がかつてない上昇をみせている現在であればこそ、人間のあるべき通いあいを恣意的に分断しようともくろむ差別的な境界設定や排除の暴力に対し、私たちはいっそう注意深く抗していく必要があるものと考えております。このたびのアンケートが目にふれたことで不快な思いを強くされた方々、また言いようのない恐怖や衝撃におそわれた方々におかれましては、当該教育部局の部局長としてこの場を借りまして、かさねて心からのお詫びを申しあげるしだいです。

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