駄洒落の基本構造と笑い

 

KOBAYASHI Yoshitomo

 (Master of English Teaching Course: M1 5303060)

 

 

1.       概要 (Abstract)

駄洒落とは、同じ音から多数のイメージを生成して笑いを誘う、高度な言葉遊びである。その笑いのメカニズムは、先行研究や筆者の直観によって、1つの音声による外的刺激によって、異なるイメージが作り出されることによる、脳の混乱が引き起こす反射的な反応であると考えられる。しかし、駄洒落による反応の範囲は限定的であるものの、誰もが笑うというわけではなく、人によって反応が異なったり、文化差によってそもそも駄洒落であることが認識できないこともある。文化が違えば、言葉も変わり、音声的特徴等も変化するので、ある文化圏、ある言語における駄洒落が、必ずしも伝わらないということは往々にしてある。その他にも、駄洒落の理解には特定の共有知識が必要だということも明らかである。このレポートは、駄洒落によって笑うメカニズムをモデルとして図式化し、また、その駄洒落の基となっている言語的刺激の分類を試みることによって、その構造を明らかにしようとしたものである。

 

 

 

2.     研究の動機 (Introduction)

コンピュータで漢字変換すると、奇妙な変換ミスに出くわし、思わず笑ってしまうことがある。コンピュータのほうが自分よりも駄洒落がうまいのかと思わざるを得ない瞬間である。駄洒落という言葉遊びの特徴を考えたときに、なぜ人は面白がったりするのか、駄洒落とはそもそもなんなのかといった疑問が浮かんでくる。明らかに、おもしろくなさそうだが、周りが笑っているから笑うものだと思っていたら、自然に笑えるようになってしまったという経験がある。結果として、つまらない駄洒落にも過敏に反応してしまい、自分自身もそんなくだらない駄洒落をいっていることもしばしばある。駄洒落には一体どんな種類があるのだろうか。このレポートでは、その基本的な構造について、様々な視点から考察していくとともに、駄洒落によって引き起こされる反応とそのメカニズムに関しても提唱し駄洒落の持つ特性を総合的に把握していく。

 

 

 

3.     先行研究 (Background)

滝澤(2000)は駄洒落というものについて例を挙げて以下のように述べている。

 

「委員会に欠席しても、いいんかい?」のような駄洒落表現の場合、これを駄洒落だと理解するためには、後者の「いいんかい」が、「委員会」との発音上の類似性を持つことと、「良いのでしょうか」という意味を持つこと、の2つを理解する必要があります。

 

これは、駄洒落というものの構造について、音と意味の関係論によって論じているものである。このように音が同じで意味が変わってしまうものを駄洒落として認識している傾向があり、その逆に、イメージは同じなのに音が違うものは駄洒落とは取られない傾向がある。例えば、豊田(2003)は英語の駄洒落をまとめた『punctionary』という辞書を大修館書店から出版したが、この補遺版として同氏の執筆した記事でも、同音異綴の駄洒落(豊田:2001)を取り上げていたり、同じ単語で意味が2重にとれる言葉遣い(豊田:1999)を取り上げていたりしているが、その反対に、イメージが同じで音だけが違うといったものは掲載されていない。従って、本文では駄洒落を、音が同じで生成されるイメージの異なるものという前提に立って分類等を行っていくこととする。

ところで、笑いの仕組みに関しては足立(2000)の記事でFig.1のようなモデルが掲載されていた。つまり、笑いとは外的な刺激を感覚器官が捕らえて脳に運び、そこで脳が笑いという反応を示すよう顔に命令するというモデルである。このモデルのなかで、駄洒落によって本当に引き起こされる笑いとは、「快の笑い」として述べられているものに該当すると考えられる。それは、駄洒落があまりにもくだらなくて笑えない場合、右記のモデルが示しているような「社交上の笑い」を引き起こす必要性はないし(この場合たいていは白けるか怒り出すかどちらかである)、初対面の人ににこやかな笑顔を作って接するような「緊張緩和の笑い」を作り出す必要もないからだ。つまり、自分の意志によって笑うのではなく、笑わざるを得ないという種類の笑いが、駄洒落を聞いたときの反応の1つとして引き起こされるものであるとの前提で論を展開する。

 

従って、ここで研究課題となるものは、駄洒落によって笑う仕組みの解明と駄洒落の分類の2つである。

 

 

 

4. 議論 (Discussion)

4.1 駄洒落によって笑う仕組みの解明

駄洒落によって笑うのはなぜか。人が笑うときには、社交上意図的に笑う場合と、反射神経によるものであるということが、足立(2000)からわかったが、その、反射的な笑いをもたらすものとは何だろうか。駄洒落の構造に着目して考えると、駄洒落が2つの刺激語によって脳に負荷をかけるということが思い浮かんでくる。上記で紹介した先行研究からもわかるように、同じ音声で異なるイメージのものは駄洒落として考えられるが、同じイメージで異なる音の場合は駄洒落として認識されない傾向にある。これは、音声と意味の処理過程の時間差によるものではないかと考えているのだが、認知心理学では、人間の脳が受容的に何かのイメージを作り出す時には、言語による外的刺激を受けた後にイメージを構築することがわかっているようだ。従って、イメージを変えずに音声化しても脳に目立った混乱はなく、それを聞いた相手も、異なる音声による刺激で同じイメージを描き出したところで特に目立った反応はしない。ということは、同音による刺激で、異なるイメージを生み出した時に限って、何らかの反応を示すということになろう。つまり、最初に外的刺激としてインプットされた言語情報(上記の例では委員会)によって、脳はある特定のイメージを描きだしたが、そのイメージが同じ音で意味の違う外的刺激(滝澤氏の例ではいいんかい(良いのですか))を受けることで、先にできていたイメージを新しいイメージと置き換えようとする。しかし、先の外的刺激と同じ刺激であったために、結果的に1つの刺激に対して2つのイメージが共存してしまうことになりここで混乱が起こる。この結果、脳は、混乱しているということを意思表示するために、何らかの反応を起こすことになる。経験的に、必ずしも笑うという行為によってその混乱を表現するとは限らないことも事実であるが、駄洒落に対する反応は一般的に、「defense(笑う・話に乗ってくる)」「offense(白ける・怒り出す)」「escape(相手にしない・無視する・わからない)」の3種類しかないと考えられる。これは、Fig2に示すように、時間の経過によって、変化する。また、個人の経験、駄洒落への慣れによって、次の反応に移る速度は変化する。ここで、以下の例に示すように、仮に聞き手がショックを受けたり、悲しんだりといった反応を示した時は、それは駄洒落として通じていないときであると考えられる。それは、駄洒落はあくまでも言葉遊びであるからだ。

 

(1) 息子:お母さま。さっき父さんから電話があったんだ。

(2) 母親:なんて?

(3) 息子:会社が倒産したって。

(4) 母親:えっ!?

 

この談話において、明らかに母親は、駄洒落を受け止める余裕がない。母親にとって夫の会社の倒産と、それに続く失業は、自分たち家族の平穏な暮らしを根底から覆す災難中の災難であるという社会的観念がある。

 

(5) 大学院生K:実は父さんの会社が倒産したんだ。

(6) 大学生U :つまんない。

 

テキスト ボックス: 時間の経過この場合の大学生Uの反応は、だいぶシビアであるが、自分には関係のない内容になっているので、駄洒落として受け取る余裕があり、反応しているのである。今回のレポートにおいて「一般の人」は後者のような、特にある駄洒落に対して深刻な反応を示さない、駄洒落を駄洒落として受け取れる人であると定義し、また、「反応」とは、脳の中のプロセスではなくて、外からもわかる、アウトプットによって分類するものとする。この後者のやりとりは、実際に筆者が直面した会話のやりとりであるが、聞き手である大学生Uは正常で、駄洒落であることもわかっているのに全く笑っていない。反応は人それぞれであるし、おそらく体調や心理状態などの付加的な要因によっても左右されるであろう。

この大学生Uの反応は上記の3文類によると「offence(白け)」に当たる。そこで、このような反応をわかりやすく図式化してみると、Fig.2のようになる。(5)の中の「父さんの会社が倒産した。」において、S1(以下S1)は、「父さん」にあたり、S1’S1’)は「倒産」に当たる。アクセントの違いはあるにせよ、どちらも「とうさん」と読むには変わらない。最初のS1によってもたらされたイメージは、おそらく、

 

 

 

であり、次のS1’によってもたらされるイメージは、

 
 


 

のようなものであると考えられる。脳が受け取る刺激は「とうさん」という4つの平仮名によって表記される音からなる言葉だが、使われ方によって意味が異なり、ここでも、2つの意味が生成されている。この結果、脳の中では同じ刺激による2つのイメージが共存することになり、それによる違和感から、反射的に何らかの反応を示すのだが、この種の駄洒落になれてしまうと、脳が混乱から解放される時間が早くなり、その分次の行動を起こしやすくなると考えられる。従って、白け(offense)たり、無視(escape)したりといった能動的な行動を引き起こすこともできるのだと考えられる。それは、一種の慣れの問題ということにもなろう。例えば、日本語を第二言語として学習しているある中国人に、同じことを言っても、反応は(4)の母親の例と同じであった。

 

(7) 日本人大学院生K  :父さんの会社が倒産しちゃったんだ。

(8) ベトナム人大学院生T:そうなんだ。お大事にね。

(9) アメリカ人教授G  :Oh, really? That’s too bad.

 

これは、言葉の問題よりも、これが駄洒落であることに気づいていなかったか、真に受けたかどちらかであると考えられ、駄洒落がその機能を果たしていない例と考えられる。もし、(7)の日本語を母国語に翻訳して頭の中で考えていたとしたらどうなるであろうか。例えば、英語に翻訳された(7)’は、

 

(7)Graduate student KMy fathers company became bankrupt.

 

となり、発話者の意図に反して本当に悲しい内容になっている。

それでは、どういうものが駄洒落として認識されるのであろうか。その分類を、以下で試みたいと思う。

 

 

4.2 駄洒落の分類

上記の例からもわかるとおり、ある言語の駄洒落によって脳の混乱が起こるのは、万人に共通のことではないようだ。身近な例だと、私は、アメリカで放映されているコメディー番組を見て、観客が笑っているのに自分は笑えないということがあるという事実に直面した。例えば、登場人物が、私の知らない悪人と勘違いされて呼ばれたり、英語の駄洒落ととれるような言い回しが出てきて、何がおかしいやらと思ったり、ということがあるのである。このことをふまえると、実は駄洒落が万国共通ではなくて、ある特定の知識を共有しているものの間でしか通用しない「何か」が、根底にあると考えざるを得ない。その「何か」を探るために、駄洒落をその構造と通用性という2つの観点から分類し、特徴を見ていきたいと思う。

 

4.2.1 駄洒落の通用性

上記の分類は、駄洒落の構造をその内部に存在する特徴によって分類したものであるが、駄洒落の分類にはもう一つ、「通用性」という区分があることも事実である。それは、具体的に次の3つに区分できる。1国だけでなく様々な国や言語においても通用するであろうと考えられるものは、Global type、ある特定の言語内、文化圏内でしか通用しないものをNational type、そして、ある特定言語のある特定の集団でしか通用しないものをLocal typeと呼ぶ。つまり、通用する順にGlobalNationalLocal という区分をもうけたということである。以下で、各分類について具体的に見ていこうと思う。

 

4.2.1.1 全地球型(Global type)

これは、ほぼどんな国でも通じそうな駄洒落である。基本的に各言語において特有の音声に頼ったものではなく、1つの音が2つ以上のイメージを含みうる場合に発生し、音声によるS1に対して別の形でS1’を与える形のものが多い。例えば、

 

(10) Руский АУ вас есть цветный телевизар?

(11) Руский Б Да, есть. У меня зерёный телевизар.

 

(10) Russian ADo you have a colour TV?

(11) Russian BYes, I have a green one.

 

(10)” ロシア人A:カラーテレビある?

(11)” ロシア人B:あるよ。緑色だけど。

 

これらは、「カラーテレビ」というものが、白黒のテレビに対して用いられているのに、外見がカラーかどうかという答え方をしているという点が駄洒落である。厳密には、ロシア語のほうは「アネクドート」を紹介するホームページからの引用なので、駄洒落とは若干違う可能性もあるが、本質的には同じであると見て良いであろう。英訳、露訳は筆者によるが、この談話を見てどう思うだろうか。おそらく、カラーテレビという文明の機器を共有している文化圏の人間なら、ほぼ同じ内容で受け取るに違いないであろう。このように、1つの言語だけではなく複数言語にわたって全くイメージを変えない駄洒落は、全地球型(global type)の駄洒落と分類する。このタイプの駄洒落は、様々な言語ないしは文化において、イメージが共有知識として有されているために理解が可能であると解釈することができる。

 

4.2.1.2 特定言語型(National type)

特定言語型(National type)に分類されるべきものは、ある特定の言語内においてしか通用しないものである。(5):(6)の 対話文や、(21):(22)の対和文に見られるような、各言語内でないと駄洒落としての機能を果たせないものがこの分類に当てはまるが、これは上記の全地球型よりも音と意味の結びつきが強く、駄洒落が、イメージよりも音声に依存している場合に起こるものである。別の例を挙げてみると、

 

(12) What is the keynote of good manners?

(13) B natural

  Key: B be                          豊田(2001

 

この例を日本語に訳すと、

 

(12)’ 音階の中でマナーが良いのは?

(13)’ 本位のシ(嬰記号も、変記号もつかないシ)

   鍵:B(シ) ⇔ 〜である

もしくは

(12)” 良いマナーの核となるものは?

(13)” 本位のシ(嬰記号も、変記号もつかないシ)or 自然体でいけ!

 

となり、二重の解釈が可能となる。このように、特定の言語によってのみ駄洒落として判別可能なものが特定言語型(National type)の駄洒落ということになる。これは、駄洒落が同じ言語、音声体系、意味体系という共有知識をお互いに持つ民族同士にしか通じないという特性を持っているということを示唆している。

 

4.2.1.3 特定集団型(Local type)

最後に、言語を共有していても特定の共有知識がないと理解できないものがこれに当たる。以下に示す例だと、(23):(26)に用いられている「原級」「比較級」「最上級」という文法用語は、この会話が中学生を対象にしている学習塾の会話だから理解できるようなものであり、英語を習ったことのない人やこの方面に対する知識の全くない人には理解不能である。そう考えると、(19):(22)の会話の流れは、リビアで大量破壊兵器が取りざたされているという国際的な社会事情を知らないとわからないものである。幸いにして、相手が国際コミュニケーション系の学生だったのでたまたま通じたということになるだろう。次の対話は理解できるだろうか?

 

 (14) 大学院生K:米良さんって裏声で歌ってるんでしょう?

(15) 中学生  :さすが火の玉だね。

 

この対話の鍵は2つある。1つは、宮崎駿監督の映画『もののけ姫』の主題歌を歌っている米良良一がわかっているかどうか、もう1つは、テレビゲームのソフトウェアで『ドラゴンクエスト』シリーズが旧ENIX®から販売されて一世を風靡していたが、その中に出てくる「メラ」という火炎系攻撃魔法の一種で、敵に火の玉を投げつける呪文であるということがわかっているかどうかである。ここまでくると、日本人で日本語を使用していてもわからなくなってくるであろう。このタイプは、共有知識がないと駄洒落を理解できないということを最も明確に表した例である。

以上の分類に共通して見られたことは、駄洒落を理解するには、その駄洒落で使われている言葉について、話し手と様々な共有知識を持っていないと通用しないということである。このように駄洒落は、S1とその言語外の情報に依存しているということが明らかになった。

 

 

4.2.2 駄洒落の構造

駄洒落の構造は、駄洒落の構成に関わっている人の数で分類した。1人の時は、発話者がS1S1’の両方を提示し、聞き手は受身的に聞いているだけの状態で、この状況によって引き起こされる駄洒落を「自己完結型」の駄洒落と呼ぶ。2人の人間が関わり、相手の対話の中にあるS1に対して、偶然ないしは、意図的にS1’を与え、結果として2人がいて完成された駄洒落を、「対話型」の駄洒落と命名する。最後に、2人以上によって連鎖的に構成された駄洒落を、「連鎖型」の駄洒落と呼ぶことにし、それぞれの具体例と、特徴について詳解する。

 

4.2.2.1 自己完結型 (monologue type)

このパターンは、自分一人がS1S1’を両方とも与える形であり、偶然性というよりも意図的に駄洒落をいっているととられることが多く、よほどのことでない限りは、母語話者を笑わせることはできない。先程の、

 

(5) 大学院生K:実は父さんの会社が倒産したんだ。

(6) 大学生X :つまんない。

 

というもので、(5)の中にS1S1’の両方が含まれている。ここで、先の

 

(1) 息子:かあさん。さっき父さんから電話があったんだ。

(2) 母親:なんて?

(3) 息子:会社が倒産したって。

(4) 母親:えっ!?

 

という対話が思い起こされるが、これも、S1S1’が息子によって提示されているという点において、自己完結型 の駄洒落に分類する。(5):(6)(1):(4)の違いは、ただ単にS1S1’が1回の発話行為によってもたらされていないというだけの話である。

 

4.2.2.2 対話型 (dialogue type)

このパターンは、相手の出したS1に対して突発的にS1’を発話する時と、S1’を言いたいもしくは言わせたいがた めに発話を誘う場合がある。対話型の駄洒落は、自己完結型のものとは違って、意図的に駄洒落にすることが容易ではないため、外的刺激は比較的強くなり、一人で何かを言っているときよりも笑ってもらえる確率は高いようである。次の例を見てみよう。

 

(16) 大学院生O:昨日「トリビア」見た?

(17) 大学院生K:いや、そのときリビアにいたから。

(18) 大学院生O:いやいやいやいや。

 

これは、典型的な対話型の駄洒落であるが、(16)に対して(17)で大学院生Kが予期しない支離滅裂なことを言っている。この会話が仮に、

 

(19) 大学院生O:昨日「トリビア」見た?

(20) 大学院生K:え?大量破壊兵器が見つかったの?

(21) 大学院生O:なんや? それはリビアの話なんとちゃうん? 

(22) 大学院生K:ははは。

 

となったとしても、これは対話型の駄洒落に分類する。それは、(21)におけるS1’(リビア)は、(20)という発言がなかったら起こり得なかった発話であるからだ。つまり、これが、「誘発された対話型」の駄洒落ということになる。

 

4.2.2.3 連鎖型 (multi-logue type)

連鎖型の駄洒落は、基本的にはS1に対してS1’S1” …をそれぞれ別の人が言うタイプの駄洒落である。普通の対話では起こり得ないのだが、それは、ある刺激S1が他の要素をそれほど多く持っているというわけではないからであるということと、そうそう駄洒落ばかり言う人が何人も集まるということがあまりないからである。連鎖型の具体例は、

 

(23) 大学生U :遅れてすみません。

(24) 会社員K :また遅刻か!おまえは減給だ!!

(25) 大学院生K:じゃあ僕は、比較級で。

(26) 大学院生I:では、私は最上級で!

 

のような、三段階以上に分かれるものでないと不可能といって良いだろう。上記の例の場合は、(24)の発話における「減給(げんきゅう:原級)」がS1となり、(25)の「比較級」というS1’を発した。ここまでは、対話型の駄洒落と構造的に同じだが、その後で別の人が(26)において「最上級」というS1”を発している点で異なる。駄洒落は、一人ないしは、対話の中での言葉のやりとりによって発生し、S1に対してS1’で完結することがほとんどであるが、S1’S1と同じ品詞や用法である場合は、このようにS1”以降が存在することもあり、構造は複雑になっていく。

これらの分類の中では特に触れなかったが、S1が省略されて、いきなりS1’が発話されることがある。その場合、

 

  (27) ShellyAre there any colors you can actually touch?

  (28) ChunkOh, yes, I’ve often felt blue.

Focus: 1) It was a sky of deepest blue.

   2) He’s been feeling really blue since he failed the exam.                豊田(1999)

 

上記の駄洒落には、S1なるものは見つからないが、blueという単語を事実上2つの意味で使用しており、これがS1S1’となっている。そもそも、(27)の発言の意図が妖しいともとることはできるが、このように、S1がなくても駄洒落としては立派に成立することがある。また、S1と思われるものが別のイメージであったりすることもある。日本語の例だと、

 

 (29) 大学院生K:このコンピュータはうまくきょうしない。

 (30) 会社員K :は?

 

(29)は下線を引いた「きょう(今日)」が「きのう(機能:昨日)」から来ていることを説明しないと、S1が見えてこない。このような解析困難な駄洒落もあることを最後に付け加えておく。

 

 

 

5.結論 (Conclusion)

駄洒落は、同じ音声という外的刺激が脳の中で2つ以上のイメージを描き出させる言語による遊戯であるが、このような同一の言語的刺激を脳は2つのイメージが生成されるために混乱を起こし、反射的な反応の1つとして笑いが起こると考えられるのである。自己完結型、対話型、連鎖型といった駄洒落に内存する構造を縦の分類、global typeNational typeLocal typeといった駄洒落の理解に必要な共有知識の幅である通用性とは横の分類と考え、駄洒落を多角的に見ていくと、駄洒落が、いかに複雑に構成されているかがわかってくるであろう。この複雑さの中にも、共有知識によって導かれる部分が多いことが特徴として挙げられていることからもわかる通り、その根幹にあるものははっきりしている。駄洒落をただの言葉遊びとして片づけるのではなく、人間の言語使用の重要な側面として目を向けてみる必要があるのではないだろうか。

 

 

 

6.限界と今後の研究への示唆Limitation and Implication

   本文には、先行研究に対する調査が甘いと思われる。駄洒落が学問分野になるとは思われず、主にインターネットに頼ったため、限られた資料や文献から情報を集めたことと、筆者が直感的に思うことをつらつらと述べただけにとどまってしまっている。今後の研究には、自然言語処理などの関連文献の的確な収集と、理論に裏付けられた証拠の提示がよりいっそう必要であろう。その際には、ここで筆者が行った分類をさらに掘り下げたり、様々な特徴によってその本質をつかめるようなモデルを提唱することが、求められることであろう。

 

 

 

7.引用・参考文献等 (List of works cited and quoted)

滝澤修(2000)、「コンピュータによる駄洒落の研究」 http://takizawa.gr.jp/lab/index.html (アクセス日20031213日)

足立則夫(2000)、「笑いが心身にプラス効果」日本経済新聞、2000年9月16

豊田一男(2003)、Punctionary、大修館書店

豊田一男(1999)、「Punctionaryの試み(9)---punctionary ()補遺(その2)---」、東京家政学院筑波女子大学紀要第3集、217-231

豊田一男(2001)、「Punctionaryの試み(11---punctionary (2)補遺(その2)--- 同音異綴語による駄じゃれ」、東京家政学院筑波女子大学紀要第5集、125-139

 

談話(24)(25)は、下記ホームページ(アクセス日:200423日)による。

http://www.nemuro.pref.hokkaido.jp/ne-hrtsk/enjoy/seikatsu/anekdot.htm

 

写真、画像はMicrosoft®Microsoft Media Contentsによる。

 

 

 

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