4.戦後の教育と教育基本法

<戦後の教育>

 第二次世界大戦が終結し、日本はアメリカ軍の占領・指導のもと新しい体制が築かれることになりました。その政策は、非軍事化・民主化・教育改革を柱とするものでした。教育改革は、これまでの軍国主義的な教育を改め、民主主義と平和の思想を教えるものにしようというものでした。アメリカ教育使節団というのが日本にきて報告書を書いていまして、修身の授業をはじめとして、それまでの日本の教育に対して徹底的に批判を加えました。その報告書が戦後の教育改革の基本構造を示すことになります。

 戦争直後ですので、同じ過ちを繰り返してはいけない、という思いがあったんでしょうね。それまでの軍国主義的な国家体制に対して反動的なところもあったので、極端に民主主義思想や平和思想が色濃く出ているという指摘も可能でしょう。それが現代では形骸化し、骨抜きになったとしても、その精神を考えておくことは必要でしょう。

 一つ留意すべき点は、戦後の教育改革はアメリカによる押し付けだと断言するのは微妙だということです。いまだに何かとアメリカを目の敵にして批判する人がいますが、自国の利益を優先的に追求するアメリカの外交政策はしょうがないのです。自国の利益をもたらさない指導者は、結局役立たずと言われてしまうからです。で、戦後の教育改革は日本側にもイニシアチブをもって行っていたことを無視するわけにはいきません。

 「教育を民主的・平和的なものにしましょう」ということになって、問題となったのは教育勅語の取り扱いです。なんせ勅語というのは、「天皇から賜ったことば」なので、うかつに「アレはいかん」などと言おうものなら、極度に旧体制側に傾いている人に背後から刺されかねません。教育勅語が軍国主義的思想を国民に植え付けるための要であったことはみんなわかっているのですが、頭ごなしになくせとか言えないわけです。国側の見解は、「教育勅語を悪用した人のせいであって、教育勅語の内容そのものが悪いとか、天皇の責任じゃあないんだよ。だって教育勅語の内容って間違ったことが書いてあるわけじゃないんだから」と無難な言い方ですね。

 関係ないんですけど、この手の議論をしていると、青少年に有害な図書やインターネットのサイトとか、ナイフとかスタンガンとか、そういったものの処遇に関する議論を思い出します。道具そのものに罪はない、それらを規制するよりしっかりと子どもたちを教育するほうが大事だ、と。それは正論ですね。が、気軽に言うけどそれ誰がやるんじゃいと思います。結局現場の教師に負担をかけさせるわけで。家でやれ、家で。

<教育基本法の成立>

 「教育勅語そのものが悪かったわけじゃなくて、悪用した人のせいだった」という見解で落ち着いたものの、じゃあこれからどうすんだ、ということがまだ決まっていませんでした。天皇は神であり君主だという思想は、「人間宣言」によって否定されてましたし、教育勅語と同じようなものを作ることは到底無理でした。教育の指針を国民の決議・宣言という形で出すことになり、その内容が審議されるようになったのでした。

 そして1947年3月31日に教育基本法が公布されます。


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