3.教育勅語が生んだ精神構造

 教育勅語によって国民の道徳は改善されたでしょうか。当時の体制側の人にしてみれば「改善」でしょうし、少なくとも暴力的な抑圧関係の中で国民の道徳観が形成されていったことは間違いありません。しかし、一方的な押し付けによる徳育というのは、一部のそれを信奉する人間と、表面的に従うふりをする多数の人間を生む結果となります。本人がそれがいいんだと望んで教育勅語で挙げられた徳目を行動の指針にするならいいのですが、表面的に従うふりをするということが問題になります。つまり、自分の行動を自分で決定せず、(1)外的な権威に依存して自分の行動を決定するということ、そして(2)無責任な精神構造を生む、ということが指摘されています。

 「教育思想史メモ」のジョン・スチュアート・ミルのところでも述べたように、価値観を一方的に押し付け、それに対する抵抗や批判を許さないという方針で育てられた子どもは、人の言われた通りに行動するのが得意になりますが、逆に自分の内側に行動の契機をもたないため、何もできなくなってしまったり、自己崩壊の危険性があります。教育勅語とミルの例が同じだというのはあまりに乱暴な言い方ですので、これ以上の言及はしませんが、「本人が望まないのに無理やりやらせることは、無責任な精神構造を生む危険性がある」ということは認識しておくべきことでしょう。

 子どもの責任感を養うためには、本人が望まないことはさせない、もしそれが本人にとって必要なことであれば必要性を理解してもらえるための努力をするということ、そして言うまでもなく本人がやりたいということは、その責任を負うことを了承させた上でやらせるということのように思います。


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