Tokyo University of Foreign Studies
東京外国語大学【2001年度カンボジア文献講読ゼミ】

カンボジア缶〜開けてびっくり!?12のインタビュー〜


私にできること

〜谷山由子さんさんへのインタビュー〜

聞き手:佐伯風土 齊藤有希
文責:佐伯風土
2001年6月26日 JVC東京事務所にて

【谷山由子】
1981年より湘南学園幼稚園に1年間、1983年からは聴能言語訓練室「静岡母と子の教室」に5年間勤務する。1988年4月FIA日本語学校勤務の後、1988年9月よりタイ難民キャンプにおいて日本国際ボランティアセンター(JVC、現在は特定非営利活動法人)
[1]の日本語学校プロジェクトで日本語を指導。1990年JVC東京本部にてカンボジア事業を担当。1992年カンボジア現地でJVCの社会福祉事業を担当。1994年JVCカンボジア事業担当兼開発教育担当。現在に至る。


◆ ◇ ◆ ◇

言語指導から難民キャンプへ

佐伯  日頃、カンボジアに積極的に関わっていらっしゃる谷山さんに一番聞きいてみたいことは、「カンボジアに対する思い」です。谷山さんは幼稚園、聴能言語訓練、日本語学校での勤務、そしてタイ難民キャンプでのJVCプロジェクトに携わるという経歴をお持ちですが、その経緯はどのようなものだったのでしょうか。
谷山   「どうして国際協力の活動をするようになったのですか」という質問に、よく「カンボジア難民の惨状を見て」という答えがありますよね。でも、私の場合はカンボジアではなく、むしろ日本にあったんです。5年間耳の不自由な子どもたちの言語訓練を通して見てきた現実は、耳が聞こえないというだけで聞こえる人たちの社会に入っていけないというものでした。そういう実状をみて、「みんな一緒」という綺麗な言葉の中で、実は一緒じゃない人たちを排除している、とても歪んだ日本の社会がある と思いました。それを外側から見たいと思ったことが、日本脱出のキッカケでした。日本語教師の勉強をしていたので、よく『日本語』という月刊誌を読んでいました。そこに難民キャンプで日本語を指導してくれる人を募集するJVCの広告があったん です。青年海外協力隊にも申し込んだりしていました。別にNGO[2]と決めていたわけではないの。
佐伯   その当時の、アジアや難民に対する谷山さんの関心はどのようなものだったのでし ょうか。
谷山   正直言ってそんなに無かったですね。でもだんだん「何かしなくちゃ」という思い が湧き上がってきたんです。JVCに入って、日本にも定住している難民の人たちが いる、そして大変な思いをしている、ということを初めて知りました。

民と官の連携した開発協力

佐伯   NGOは地域に深く入り込み現地住民と同じ視点に立って、受益者に的確な援助が できるというイメージがあるのですが、実際はどうでしょうか。
谷山   現場で活動していると、JICA[3]職員であっても、青年海外協力隊員であっても、み んな「そこにいる人たち」なの。みんな同じように目の前にいる人のことを考えよう とするので、現場では組織という考えはないのです。
 でも組織になると、国益を考えなくてはいけないJICAや日本政府機関、国連の各 機関にもポリシーがあるので、どうしてもそこに引っ張られてしまうということは感じます。組織の枠組みではNGOの方が柔軟性はありますね。見てきたものをどう活動に生かしていくのか、そのためにはどうやって現地の人たちのニーズに沿ったものにしていくのか。規模は小さいけれど、現地の人たちの中に入り込んで、彼らのニーズを組み込んだ形の活動ができる。まさに彼らに「届く」協力活動が出来ると思います。
佐伯   NGOには柔軟性があって、官の組織には無いのは何故なのでしょうか。
谷山   (佐伯と齊藤に)何故だと思いますか。
佐伯   NGOの方が国益に囚われにくい、ということですかね。
齊藤  NGOの人はボランティアであって、それなりの信念があって活動しているわけで すよね。その信念に基づいているからということが一番大きいのではないでしょうか 官の組織だと、上からの命令で働いている人もいます。その違いもあると思います。
谷山   そうですね。個人だと本当に意欲のある人たちは沢山いるけれども、組織に縛られ てしまう。まさに国益とかね。JICAの場合、個人としては現地の人のニーズに合わ せてやりたいと思うけれども、「誰がやっても同じ成果が出るプロジェクトをして下 さい」と言われるそうです。突出してもいけないし、怠ってもいけない。
佐伯   NGOの場合は、組織の中で個人の意見は潰されてしまうということはないのですか。
谷山   無くはないです。各組織によってちゃんとポリシーがありますし。組織によって 「緊急救援しかやらない」とか「教育は得意分野だ」とか決めた場合には、枠組みに 囚われてしまいますよ。ただ、それでも専門性を持ちながら、柔軟に対応していく 「速さと的確性」が、NGOにはあると思います。
佐伯   (ODA[4]賛成派の佐伯としては黙っていられず)でもNGOには出来ないODAの 利点もありますよね。
谷山   私たちは大規模なことは出来ないけれど、ODAは出来る。だから国全体の安定を 考えた時、必要な援助ができるのはODAなんだろうと思います。それをよくしてい くのは、私たち一人一人が意見をきちんと伝えていくことだと思いますね。
 ODA、あるいは国際機関の側にも市民の声を聞くという姿勢や仕組みをきちんと作って欲しい、持っていて欲しい。それから一般市民もきちんと発言していく責任や義務を意識しなくてはいけない。両方がお互いに連携し合う必要があると思います。
佐伯   官の側は市民の声をあまり反映しないで、開発を進めているのでしょうか。
谷山  カンボジアの場合は、政府がNGOの声を聞く姿勢があります。それは歴史的な経 緯があって、そうせざるを得ないのです。
佐伯   と、言いますと・・・。

カンボジアにおけるNGOの可能性

谷山   谷山 NGOは1980年代からカンボジアに入っているんです。そこに何故意味があるか というと、カンボジアは国際的に孤立「させられた」期間[5]がありますよね。10年以上孤立させられていて、当然日本を始めとした西側諸国とも国交が無かった。そういう状況の中で、カンボジア政府は自力で復興していくしかなかったんです。ゼロ、あるいはマイナスの状態から。
 そこで日本は国交こそ無かったものの、市民レベルでの協力としてNGOがポル・ ポト政権崩壊直後から国内に入り、孤立させられている政府の状況、そこで暮らす数 百万の人たちの実状を、日本政府や世界に発信してきました。そうしてやっと、「国 交はなくても、人道的な援助が必要なのではないか」「カンボジア国内に暮らす人に 対して今支援をせずに、一体なにが実現するのだ」と叫ばれ始めたのです。
佐伯   情報発信の他には、どのような活動をなさっていたんですか。
谷山   NGOがやることではないような、道路作りや灌漑システム整備、あるいは公共事 業のシステム作りなども一緒にやりました。だからカンボジア政府はNGOに支えられてきたという思いは持っていますよ。フン・セン首相とか。そういったこともあり、NGOからの意見はきちんと聞かなければいけない、と思っているようです。ただ、それが実施段階に入ると除外されているということを私は実感します。
佐伯   実施段階と言いますと、どういうことでしょうか。
谷山   実施段階というのは…、そうですね、昨年のことですが、土地法の原案を作り、す ぐに国会で通そうとする思惑がカンボジア政府にありました。何故かというと、ADB[6]が融資の段階で「土地の個人所有が明確になっていないから「融資は出せな い」と言い、土地法の整備をADBが融資する条件にしていたんです。
佐伯   コンディショナリティ[7]ですね。
谷山   カンボジア政府は慌てて改正案を作り、国会で通そうとしたわけです。そこに私た ちNGOが駆けつけ、未だに通過を引き伸ばし、原案の作り直しをしているところなのです。もし国会で通っていたら、貧困削減どころか、貧困を創出してしまう事態になっていました。
佐伯   どういうことですか。
谷山   識字能力が無く土地の登記が出来ない人たちは、その保証書を持っていないことで 土地を取られてしまうわけです。特に山岳民族の人たち、彼らはまだきちんと土地の 登記をしていません。彼らは広い範囲で焼畑をし、森を管理していたりするのですが、 その権利さえも奪われてしまうような法律案だったんです。
 カンボジア政府には二つの大きな問題があります。政府は開発や復興を急ぐために NGOの声を聞くという今までの姿勢を崩してしまっている、ということが一つ。そして、開発を急がせる援助機関の圧力でバランスを崩してしまうということが、二つ目の問題です。あとは、カンボジア政府と一言で言っても色々な人で構成しているわけで、「自分のポケットにお金が入ればいい」という考え方も当然ある。不正が蔓延してしまっているんです。
佐伯   そこをNGOがサポートしていくわけですか。
谷山   それらはNGOだけではどうにもできないですね。彼らのモラルを見直してもらう しかない。私たちに出来ることは、「そのままではいけない」と直接政府に呼びかけること。それから、政府や国連の援助機関に「急がせないでくれ」「きちんとモニタリングをした方がいい」と言うこと。両方に声をかけることですね。
 それと同時に、私たちは実績を作っていく。「こうやって住民の声を聞いた」「こう いうプロジェクトを達成して、こういう改善ができた」ということもやっていかなくてはいけない。
佐伯   声を上げてアドボカシー(政策提言活動)をしているだけではダメなんですね。
谷山   ええ。現地住民の人たちと一緒に、声を汲み取れるような関係を作りながら、実績 も作っていく、という両方をやらなくてはいけない。NGOには、地域に入り込んで いるからこそ聞こえる声を政府や国際機関に対して伝えていく役割があるんです。

Riceの援助からRightsの援助へ

佐伯   カンボジア政府は国家財政が赤字で、公務員の給料もろくに払えていない。開発問 題に対しても「お金がないから」と対処できていない。統治機能が麻痺していて外部 に助けられて運営しているような感じで、本当に政府のイニシアティブはとれるのか と不安になります。このまま援助に依存したままではいけないと思うのですが、どう 思われますか。
谷山   どうでしょうね。私はカンボジア政府の人ではないから分からないけど。(齊藤 に)どう思いますか。
齊藤   私は援助やボランティアは、正直言うと好きではないんです。当人たちでやらなく てはいけないところに踏み込んでいいものか考えます。カンボジアは放っておいても 結構やっていけると思うのです。そこに「お金が無い」と言って周りからお金を集め ても、実際のお金の行き先は役人の懐だったりする。だったら、自分たちの国で頑張 って、実力をつけ、政府がルールを作っていった方がいいのではと思うのですが。
谷山   それ賛成!本当にそう思いますよ。私たちがよく感じるのは、物を持ち込むのはマ ズイ、ということです。私たちが逆の立場だったらどうですか。困っている時に「ペ ンも持ってないの。じゃあ、あげるよ」と言われたら、「ああ、悪いな」と思いなが らも貰っちゃいますよね。そこから始まってしまうとマズイよね。
 私たちJVCは農村で活動してもう十年近くになるんですけど、最初の頃は「井戸 を掘ってくれ」「学校を建ててくれ」「橋を作ってくれ」などが多かったです。確かに困っているのなら、やってあげたいなと思いますよ。だって、本当に悲惨な状況ですから。目の前で子どもが死んでいく。一週間前は「元気だけど、少し病気かな」くらいに思っていた子どもがですよ。何とかしてあげたいと思うじゃないですか。
佐伯   だからといって、お金をあげたり、物をあげたりといった短期的に出来ることをし ても、問題の根本的な解決にはならないんですね。
谷山   相手に依存しなくてはいけなくなりますからね。そこで、現地で暮らしてきた人た ちがいるのだから、その人たちの知恵がある、工夫がある、積み重ねがある。何もで きない、ゼロ、マイナスという視点ではなく、何かが「ある」と。「無い」ではなくて「ある」というところから入っていこう、ということになったのです。それで、村の人たちの声を聞くことを始めました。1992年です。
佐伯   村の人たちの声を聞くとは、実際にどういうことを聞くのですか。
谷山   村の人たちに、「この村の水源はどこですか」「水はどこから汲んで来ているのです か」と聞くことから始めました。子どもが死ぬ原因は不衛生な水を飲むことでしたから。「今まではどうしてたんですか」と聞くと、「二キロ離れた川から汲んできます」「雨季には近くの自然の池から汲んできます」とか、「井戸はあったけれど、内戦時代に物をいっぱい投げ込まれて、使えなくなった」という話しが色々出てきました。でも結局それだけでは問題解決にはならなくて、「どうしたらいいでしょうね」と、こっちからは答えを出さずに村の人たちに聞いたんです。
佐伯   (だから、こちらが聞いた質問をそのまま返されたのか・・・)
谷山   そうしたら「自分たちに出来ることは、やはり井戸を掘ることかな」ということか ら始まり、「何故皆さんで掘れるのに、掘らないのですか」と聞いたら、「掘りっぱな しでは崩れてしまって水が汚れてしまう。周りにセメントリングをはめないとダメだ が、セメントを買うだけのお金がない・・・。そこか!それさえあれば自分たちで井戸 を掘れる」。そこで初めて「私たちは何が出来ますか」と聞きます。そうしたら、「じ ゃあ、セメントを提供してくれませんか」となったわけです。こっちは作ってあげな い。セメントと、セメントリングを作る材料は提供して、後は村の皆さんでやって下 さいねと言いました。
佐伯   出来るものなのですか。
谷山   みんなで井戸掘り委員会を作って、掘る場所も自分たちで決めて掘る。リング作り も自分たちでできるように、同じようにリングを作っていた別の村に行って学んできました。そして自分たちでセメントリングも作ってはめ、みんなが協力して出来上がったんです。
 そういうプロセスを経ていく中で、「自分たちにも出来る」という自信が出てきた みたいです。これは私たちが彼らから学んだことです。そしてこれをキッカケに「み んなで考えていけば問題解決が出来るかもしれない」という雰囲気が出来てきました。 そこから発展したのが、今私たちが「米銀行」と呼んでいる、米の貸し借りをする相 互扶助の活動です。
佐伯   出来ないと決め付けているのは、援助する側の人間の傲慢な思い込みなんですね。
谷山   CG会合(カンボジア支援国会合)[8]でカンボジアのNGOの代表が、「国際機関がそれぞれ、このお金をやるからこれをやりなさい、と決め付けてしまうが、私たちは物乞いではない。私たちが欲しいのはライス(rice)ではなく、ライツ(rights)である。自分たちで進めていく力や自信はあるから、それを認めてくれる権利が欲しい」と言っていました。土地法にしても仕組みを作っていく力も自信もある、それを守っていく環境を作るお手伝いをして下さい、ということなんですね。その二つがあってやっと自転車の車輪のようになって走れるから、その両方の応援をして下さい、と言われます。
佐伯   NGOが彼らの能力を引き出し、セッティングするということですか。
谷山   出来る能力はある。チャンスが無いだけなんです。
佐伯   チャンスが無い一番の理由は何でしょうか。
谷山   (佐伯に)何でしょう。
佐伯   チャンスは巡ってくるものではなく、自分自身で作るものだと思います。その本人 にやる気がなく、アウトサイダーがやってきて何もかもやってくれると期待している。 意思を持つという環境が無いことが一番の問題ではないでしょうか。
谷山   「意思を持つ環境が無い」ということは、重要な問題だと思います。彼らは持ちた くないわけではない。自分たちの問題を自分たちで見つけて解決したいと思って欲しいし、個人で無理なら組織を作って解決すればいい。ところが、村に入って様子を見てみると、人のことなんて考えていられないんですよね。だって自分が食べられないのだから。だから最初に手がけたのは、米銀行のような食べられる米が得られる手段です。それから家庭菜園作りのような個別のニーズに合わせたアプローチです。食べられる分の野菜を作って、その余剰を売るんです。まず自分たちの生活が安定する。そうすると隣の人に目が行くようになります。「女性相互扶助グループ」という活があります。自分たちの家庭を支えるため小額の資金を借りてスモールスケールビジネスを始める活動です。そのメンバーが苗木を作ったのですが、その苗木をグループだけで共有するのではなく、村の人にあげようということになったんです。家庭菜園や米銀行で工夫や関心が広がり、徐々に自信が積み重なって、意思につながったのです。
 私たちはよそ者だからこそ「むこうにこんな人がいたよ」と人々をつなぐことがで きる。物をあげるのではなく、機会や情報を与えるのがNGOです。

直面したカンボジアの現実

佐伯   谷山さんの12年間に渡る活動の中で、最も印象的だったことを教えてください。
谷山   すぐ忘れちゃうんですよ(笑)。その時その時で精一杯やっていたから。何だろうな ぁ・・・。例えば難民キャンプで同じ歳の人が死にそうな目にあっていたり、戦火を潜り抜けてきたと聞いた時。それまで戦争は歴史上のこと、テレビ画面の向こうにあることだと思っていて、実際に今起きていて人が死んでいるということにびっくりしました。
 もう一つは、カンボジアで活動を始めたときに孤児院で働いていたんです。でもそ こは孤児だけでなく、ホームレスや物乞いの人が強制収容されるところだったんです。 1991年社会主義政権下で、地方から出てきた人は強制的に送り返す政策で、一時的 な滞在場所として孤児院に拘留されていたんです。悪い事してないのに。それに、ホ ームレスや物乞いがいると街の景観が悪いでしょう。外国から偉いお客さんが来ると なると大量に捕まって、70人しか入らないところに200人位詰め込まれるんです。 なんだこれは、とびっくりしました。
 他にも、路上にいたホームレスの人で風邪をひいたから治療費を出してやってくれ と頼まれた人がいました。一人一人を相手にしていたら、全員を病院に入れてあげな くてはいけなくなるので、組織としては個人に構っていられないと言わざるを得ませ んでした。私は辛かったので、個人的にお金を出して病院につれて行ったんです。し かし、その人は次の日に亡くなりました。ただ風邪をひいただけで・・・。(遠くを見つめて、沈黙)・・・何なんだろうな、と思いましたね・・・。

 生きていく事すら出来ない状況が起きてしまうんだな、と驚きました。彼らが暮ら す根本的な状況が改善されないと、この状況が続いていく。チャンスを奪われてしまうことが、彼らにとって一番辛いことです。これは作り出された貧困です。貧困削減と言って、既にある貧困をどう無くしていくかではなく、貧困にならない状況にしていかなければどうしようもない。現金収入ではなく、自然に魚を捕ったり、米を作ったりで食べて生きていける人たちがいるにもかかわらず、土地法みたいなもので枠をはめてしまい、そこで暮らせないようにしてはマズイのです。
佐伯   自然資源をうまく活用していくにはどうしたらいいでしょうか。
谷山   北東のラタナキリ州では山岳民族が伝統的に行ってきた焼畑の方法で、森を破壊す るのではなく、人の手を加えることで逆に森を守っていくという暮らしをしていま す。自然資源が豊かで、こういう暮らしが残っているカンボジアは希望があると思い ました。人間が生態系を守りながら生活していくお手本ですね。私のスタンスは「今 あるカンボジアの自然資源を上手に守っていく」というもの。日本みたいには経済的 に成長しませんけど。
齊藤   経済成長が目的の開発は必要ないと思われますか。
谷山   それを決めるのは私たちではなく、カンボジアの人たちです。経済一辺倒ではいけ ないけど、周辺諸国が経済開発をする中で潰されないようゼロでもいけない。ある程 度の力は持っていた方がいいです。人材やシステムなどきちんとした土台が確立され た上で、自然資源も保たれるようなバランスのいい開発が出来ると理想的ですね。カ ンボジアにはそれが期待出来ます。 

職業ではなく場としてのNGO

佐伯   NGOで働きたい若者が多いですが、NGOだからこその働き甲斐はどのようなこ とでしょうか。
谷山   NGOは仕事や職業という捉え方ではなく、「生き方」みたいなところがあります。自分が社会を変えていきたいという意思があればとてもやりがいを感じます。私のような常勤のスタッフではなく、他に仕事を持ちボランティアとして関わる人もいます。そういう意思のある人が集まる「場」なんです。仕事というより、チャンス、オポチュニティーかな。
    実際NGOで働いてみて、沢山お給料を貰えるわけではないので経済的には期待できないけれども、意思を持って関わった場合、手ごたえを感じますね。出会った人たちが次に何か特別なことを始めてくれるかもしれないと感じたり、新たな運動の可能性が感じられることが面白い。他には、歴史や社会の動きに関わっているなと感じますね。歴史が過去の物でなく、自分たちが作り上げていく、変えていくということが出来るだけでも醍醐味がありますね。
佐伯   大学を卒業してすぐにNGOに入れるのですか。
谷山   その団体によります。だけど、経験があった方が自分のためになります。やはり色々みてからNGOに来る方が、活動が広がると思います。
 私の場合は教育でしたが、やはり戻ってくるところは教育です。開発教育といって、日本国内で国際協力を初めて知る際に、(部屋のむこうを指し)今修学旅行中の子どもたちも来ていますが、初めて国際協力に触れ合う場を印象付けるためにも、体当たりで私という人間を見て、私が何をしてきたかを知ってもらいたい。やはり自分が戻って来る軸を持っていた方がいい。言葉でもいいんです。カンボジア語ならカンボジア語にこだわり、「自分はカンボジア語を通してカンボジアと日本をつないでいくんだ」と思ってもいい。
佐伯   カンボジア語だけでなく、プラスアルファで専門性を持っていた方がいいと聞きますが。
谷山   専門性というより、関心事だと思います。例えばUNTAC[9]の国連監視でカンボジア語を学び、JICAの現地採用で法整備に関する通訳をしなくてはならなくなった人がいました。彼は法律を一生懸命学び、今はエキスパートです。言葉からカンボジアの法律、日本の法律と勉強していったそうです。それは彼の関心と重なったからだと思います。関心があるところを追求していけば、一つの拠り所が見つかるのではないですか。やはり言葉だけでなく、言葉を使って何を伝えたいか、ですね。
佐伯   谷山さんの原動力は何でしょうか。
谷山   すべて「出会い」です。どこに行っても一人一人に触発されます。その人の意気込みを貰って次につなげていく。人と会うことで「自分も頑張らなくちゃ」「自分に出来ることをやらなくちゃ」と思うんです。だからここにいるだけではダメで、色んな所に出て行きたい。カンボジアだけでなく日本国内でも。それが原動力になっているのかな。今こうして話をしていても、次にあなた方は何をしてくれるのかな、と思います(笑)。
齊藤   「日本では豊かな生活をしているのに、カンボジアはあんなに貧しくて」と、日本の生活が嫌になったりしませんか。仕事と割り切れればいいのですが、一個人として感情が入り、嫌になることはないのでしょうか。
谷山   葛藤や矛盾を感じることはありますが、逃げてはいけないと思います。逃げないで直視する。私も思い詰めると辞めたいと思うことはあります。でも今辞めて解決になるのか。カンボジアの今の生活に大きな開発が入らず安定していて、彼らがそれを守りたいと言うなら、お手伝いをする人が必要だと思うのです。いつも揺れながら、今私に出来る事で関わっていこうと思っています。
 「日本は右手で頬を叩いて、左手で撫でている」とよく言われます。つまり日本企業が進出し、ODAで開発していくところに、NGOが「すいませんね」と助けに行く。国益を背負うつもりは無いけれど、日本人としてこういう状況を背負っていることは意識しなくてはならない。これには答えが出ない。常に自分の中で意識しなければならないこと、と思っています。
佐伯   最後に、私たちカンボジア語を学ぶ学生にメッセージをお願いします。
谷山   カンボジアの人が来た時に、ぜひ通訳をして下さい(笑)。もう本当にお願いしますよ〜という感じ。やはり英語で話をさせてしまうのは申し訳ないから。カンボジアの声を直に日本に伝えて下さい。

◆ ◇ ◆ ◇

谷山さんは私たちがした質問を逆に私たちに質問し、ただ答えを得るだけのインタビューではなく、インタビュアーの私たち自身も考える時間を与えてくださいました。「与えるだけでなく、一緒に考える」というNGOの精神を、谷山さんは感じさせてくださいました。



    【注釈】

  1. 日本国際ボランティアセンター(JVC)…1980年インドシナ難民の救済をきっかけに設立。近年その活動を緊急救援から開発協力、環境保護に発展。現地に根付いた活動経験を生かし、政府や国際機関等に提言するなどもしている。[本文に戻る]

  2. NGO(Non−Government Organization)…非政府組織、民間援助団体。非政府の立場から海外協力や地球救済問題に取り組む市民レベルの国際組織。[本文に戻る]

  3. JICA(Japan International Cooperation Agency)…国際協力事業団。1974年日本による技術協力実施を目的に設立。日本政府による二国間援助のうち贈与に当たる部分を担当する。活動は技術協力だけでなく、青年海外協力隊派遣や開発協力、また人材育成にまで及ぶ。[本文に戻る]

  4. ODA(Official Development Assistance)…政府開発援助。日本政府から途上国政府を通して行う援助。経済開発や福祉の向上を通して国民の生活向上に役立つことが目的。[本文に戻る]

  5. カンボジア政府の孤立…1979年カンボジアへのヴェトナム軍侵攻で、それまでのポル・ポト政権は崩壊。社会主義国ヴェトナムの援助でできた新政権(ヘン・サムリン政権)を西側諸国は承認せず、世界中から政治的にも経済的にも孤立させられていた。[本文に戻る]

  6. ADB(Asia Development Bank)…アジア開発銀行。1966年アジア太平洋地域の経済・社会発展促進のために設立。途上国への貸し付け、技術援助などを行う。[本文に戻る]

  7. コンディショナリティ(Conditionality)…融資に当たり途上国政府が取るべきマクロ経済政策を内容とする経済調整プログラム。(『国際協力用語集』国際開発ジャーナル)[本文に戻る]

  8. CG会合(カンボジア支援国会合)…カンボジアを支援する17ヶ国と世界銀行を含む6国際機関が参加し、カンボジアのマクロ経済、構造改革および統治に関する課題、森林保全、紛争後の課題、援助調整に関わる課題などを議論しあう。[本文に戻る]

  9. UNTAC(United Nations Transitional Authority in Cambodia)…国連カンボジア暫定行政機構。1991年10月23日のパリ和平協定締結により設立され、1992年3月から1993年9月まで行われた、約2万2千人の軍隊と文民による大規模な国連平和維持活動。[本文に戻る]

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