Tokyo University of Foreign Studies
東京外国語大学【2001年度カンボジア文献講読ゼミ】

カンボジア缶〜開けてびっくり!?12のインタビュー〜


そして今たどり着いた、カンボジア

〜小川佳子さんへのインタビュー〜

聞き手:ゼミ生一同
協力:上田広美教官 岡田知子教官
文責:会田敦子
2001年11月2日 東京外国語大学にて

【小川佳子】
1961年兵庫県西宮市生まれ。学部では日本民俗学を、大学院修士課程では応用言語学を専攻。公務員としての勤務を経て、国際交流基金からマレーシア、オーストラリアへ日本語教育専門家として派遣される。その後、国連ボランティアとして、カンボジア王立プノンペン大学で、1999年10月から2001年10月まで、日本語教育の仕事に携わり、今後は、博士課程でカンボジアの女子教育について研究する予定。


◆ ◇ ◆ ◇

2001年11月2日(金)
インタビュー集の試作版印刷まで、残り数週間。さぁゼミ兼編集会議だというところに、岡田先生からゲストがいらっしゃいましたと告げられる。その方は、プノンペン大学で日本語教育をなさっているという小川佳子さん。是非お会いしたいと全員が心を一つに、小川佳子さんとの懇談会が始まった。

―マレーシアやオーストラリアの学生と比較して、カンボジアの学生は何か違いはありましたか。

 それぞれの国で教えた対象が違うので、比較するのは難しいですね。マレーシアには、5年間滞在したのですが、そのうち3年間は高校を出たばかりの学生の予備教育を行いました。全寮制で、厳しく指導し、学生も素直でした。高校レベルの受験勉強そのもので、学生は聞いて書くのが中心。2年間日本語を学び、試験を受けて合格すると日本に留学できるようになっていました。
 一般人、及び大学生を教えていた時は、中華系の学生がたくさんいました。マレーシアでは、マレー人を優遇する制度があって、大学に入るにも中華系の学生の数は決められています。ですから、マラヤ大学に通っている中華系の学生は大変優秀で、教えやすかったです。
 オーストラリアでは、小・中学校で教えているオーストラリア人の先生たちのサポートをしていました。ニューズレターを作ったり、教材を作ったり。語学力を高めるというよりも、小・中学校レベルなので、日本文化を紹介し、日本語を楽しく勉強しましょうという内容のものでした。
 カンボジアでは、一般成人に教えています。教える側から見て、やりやすいです。学生の性格を単純にアジアと西洋に分けるのはよくないと思うのですが、学校教育でしつけられている授業態度は明らかに異なりますね。一般にアジアでは、学生は座って静かに聞きなさいという感じで、とてもおとなしいです。カンボジアもやはり同じアジアだなと思いました。でも、語学教育では話してもらわなくてはならないので、少し困りますが。一方、オーストラリアは幼稚園から自分を表現するように言われているので、自己表現には抵抗がなく、盛んでした。

―カンボジアへ行く前と、3年間生活した後でのイメージはどのように変わりましたか。

 そもそもカンボジアに住みたいと思ったのは、カンボジアにはまだ簡単には入れない時代でした。ジャーナリストぐらいしか入れないことにも、何かそそるものがあったんですね(笑)。内戦、クメールルージュ、同じ民族同士で殺し合ったとはどんなものか、知りたいと思いました。しかし、行ってみると、互いに殺し合った国というこちらの身構えとは違って、特別な民族ではなく、普通でした。そこが変わりましたね。
 いろいろな出来事の組み合わせの結果として、カンボジアは「普通」とは言えない状況にあるけれど、変な身構えは必要なかったと感じました。マレーシア、オーストラリアとこれで3か国目ですが、日本も含め、嫌なところもいいところもありますね。新聞を読んでいて、なんて国だと思うこともあります。

― 一般成人向けの授業というのは、どのような人が来るのですか。

 日本大使館に勤めている人、大学生、高校生、観光関係などですね。動機としては観光関係の仕事がしたいとか、日本語が出来ればお金になる、できれば日本企業で働きたいというのが多いです。しかし、実際に企業で働く程のレベルには達しないし、企業も日本語よりも英語を必要としています。
 それと、お坊さんも必ず来る(笑)。新聞やテレビで日本の援助が出ているので、日本とはどんな国か知りたいと興味を持つみたいです。私の学生の中に、将来日本語教師になりたいという若いお坊さんがいます。一生お坊さんでいるとは限らなくて、英語やコンピュータを勉強しておいて、後で還俗する場合もあります。法律経済大学にもお坊さんはモトドップで通っています(笑)。私の学生は、年取ったお坊さんは還俗しないから、お経をあげてもらう時は、年取ったお坊さんがいいと言っていました(笑)。

―カンボジアでいやだなと思うことは、どんなことですか。

 いろいろありますが、たとえば有力者や有力者と関係のある人が悪いことをしても、みんな知っているのに、捕まらない。プノンペン・ポストの犯罪記事を見ると、くだらない理由で簡単にすさまじい殺し方をする。日本語の学生の中にも、弟が金を持って逃げたから追いかけるために学校を休む学生とか、誘拐されて殺された学生もいました。力があるかないかで将来が決まってしまう、というのも腹が立ちます。幸い個人ベースでは嫌な思いをしたことはありませんが、社会全体を見ると何という国なのだと思います。
 そしてカンボジアで生活していて辛いのは、物乞いをする人、脚がない人を見ることです。社会全体が構造的ににっちもさっちもいかないことを考えると重苦しく、つらい。私が住んでいるところの近くに小さな市場があるんですが、そこは雨が降るとドロドロになるんです。その泥の中に両手両足のない人が転がって物乞いしていたりすると、通るのが辛いですよね。でも狭い道なので横を通るしかない。

―どうやって再びカンボジアで教え続ける気持ちになれるのですか。

 楽観的であることだと思います。最近、国連ボランティアをなさっていた方の話をお聞きした時[1]、心に残った言葉が二つあって、一つは「健全なオプティミズム」[2]という言葉です。楽観的過ぎても困りますが、よくなるかもしれないという気持ちが大切だ、必要なのだと思います。
 きちんと現実を見て、現実に対応しながら、これで終わるのではないはずだと信じる気持ちが、現地でカンボジアに関わる仕事をしている人にはあるのではないでしょうか。
 このまま、変わることがないとか、これより悪くなるしかないと思うことは絶望ですよね。そうなったら生きていけないと思うのです。

―もう一つの言葉とは何ですか。

 「元気の搾取」という言葉です。ボランティアで村人と一緒に仕事をしていく中で、双方向の関係を築いていく、つまり片方から一方的に何かを与えたりもらったりするのではなく、互いに与え合い、もらい合うことが大切だ、という話の中で出てきました。相手の立場を考えない一方的善意や、先進国の物質的に豊かな人が途上国に行って村の人々に接触し、彼らの笑顔や素朴さに触れて「感動」し「満足」してしまうことに以前から抵抗があって、この言葉を耳にした時、これだ!と思ったんですね。現地で生活している人々について理解するには、相手の立場までもう一歩踏み込んでみることが大事だと思います。

―援助の双方向とおっしゃっていましたが、小川さん自身が得たものは何ですか。

 「相手を見ろ」っていうことですね。相手を見る、相手の価値観もあるということを以前にも増して実感できるようになりました。頭だけでなく、感覚的に、もっとわかってきましたね。前よりも自分と違うことを受け入れやすくなりました。違うのが当然というスタンスになったわけです。
 どこの国でもよかったと思いますが、たまたまカンボジアにいただけで、日本でも良かったのだと思います。でも、日本にいるより外国にいるほうが、違いが目に入る機会が多いでしょう。オーストラリアだと仕事に関してはわりに考え方が近いと思いました。

―最初は民俗学、その後言語学に変わったのはどうしてですか。

 民俗学のフィールドワークでは、民家にいってお話をきかせてもらう実習をしました。今そのことが、少なからず役に立っていると思います。卒業して県立高校の事務の仕事をし、その後日本語教育の勉強を始めました。修士を取得したのは最近のことです。自分へのご褒美として大学に行き、学生になるのもこれが最後と思って、マスターを取って。日本語を何年か教えた後だったのですが、日本語教育に閉じこもりたくなかったので、応用言語学を選びました。

 そして、カンボジアで日本語を教えるというプロポーザルを書き、王立プノンペン大学を通じて国連ボランティアに出しました。日本政府が日本語教師を送るのならともかく、国連ボランティアとして日本語を教えることに、どんな意義付けをしたらいいのかと考えましたね。
 日本語観光ガイドのコースは収入につながりますから、職業訓練といえます。教師コースは日本語を教えるだけではなく、教えるということを広い意味で学んでほしい、実用的な日本語を覚えるコースというよりは、教える側と学ぶ側にいい経験をしてほしい、そのための教育全体の部分としての日本語ということを強調しました。
 そういう考え方があるので、識字教育にも興味があり、徐々に興味が基礎教育に向いてきたわけです。知人が基礎教育のためのプロジェクトを、中でも女子教育のプロジェクトをしているので、そのプロジェクトについて書けたらと思い始め、今にいたります。このプロジェクトは、学校をドロップアウトした女の子たちのためのもので、学校に行っていたが、字を忘れたという子のために、識字プログラムで教え、農業についても教えるようになっています。

 計画してたどり着いたわけではなく、その時の関心を追っていったら、こうなったんです(笑)。もう長い間お世話になっている先生に今後のことを報告しに行ったら、あなたのアイデンティティはどうなるのかと言われてしまいましたが、自分としてはつながっていないわけでもないんです。民俗学を学んでいる時も、人類学に近い手法を使い、対象にはりついてみることを知りました。数字のデータより人類学的な方法に現在目が向くのは、この最初の民俗学を学んだことにルーツがあるのかもしれませんね。


◆ ◇ ◆ ◇

 約一時間の懇談会だったが、あっという間のことのように短く感じた。小川さんは、今度は私が質問する番だと、私たちのこれまでのインタビューについて、一人一人の声に耳を傾けてくださった。
 カンボジアの抱える問題について考えると、どれも難題ばかりで何を改善すればカンボジア社会が良くなっていくのだろうか、という疑問が浮かぶ。そして、いつもこの答えが分からない。一つの問題を解決しようとしても他の問題に複雑に絡んでいたりして、結局どうしたらいいのだろうと暗くなってしまう。しかし今回の小川さんのお話で、カンボジアに希望を失わずに関わっていくことの大切さを教えてもらった。絶望してはおしまいなのだと。現実に向き合いながら、少しずつでも良くなるカンボジアの未来を信じるのだと。



    【注釈】

  1. 2001年10月31日に行われた国連開発計画と国連ボランティア計画主催の「ボランティア国際年記念セミナー−ボランティアの貢献と将来像の検証−」での元国連ボランティア藤崎智子さんのプレゼンテーション。[本文に戻る]

  2. 藤崎智子さんがプレゼンテーションで使った言葉は「適度なオプティミズム」。[本文に戻る]

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