Tokyo University of Foreign Studies
東京外国語大学【2001年度カンボジア文献講読ゼミ】
カンボジア缶〜開けてびっくり!?12のインタビュー〜
聞き手:門田拓野 浜野哲成
文責:門田拓野
2001年5月20日 阿部隆一氏自宅にて
【阿部隆一】
1960年生まれ。学習院大学法学部法学科卒。1988年、「難民を助ける会」のカンボジア語教室に参加し、現在莫大な量のカンボジア・ポップスのコレクションを誇る。その数、千枚以上。
5月20日、日曜日。よく晴れた昼下がりの午後だった。安部氏の自宅を前に、門田と浜野は緊張していた。美麗なカンボジア語を書し、並々ならぬカンボジア歌謡の知識を擁すると噂には聞いていたが…。ただでさえメジャーとはいえないカンボジアのCDを千枚。その情熱、只者ではない。
| 「何が楽しくてカンボジアの音楽をコレクションしているのだ?」 |
我々の脳裏にそのような疑問が木霊した。おりしも今若者間では、一昨年に爆発的なヒットを飛ばしたインド映画「ムトゥ踊るマハラジャ」以来、ある種「胡散臭いアジア」ブームとなっている感がある。古典的かつお約束、それでいて日本人には発想出来得ない能天気な物語の展開。それが「胡散臭いアジア」の最も魅力的な部分だ。しかし「カンボジア音楽」にこだわる理由はなんだろうか。そのような疑問を抱えつつ、我々はインタビューに臨んだ。
玄関で快く迎えてくれた阿部氏は、大きな目が印象的な、全身に趣味と好奇心がつまったような方であった。中で迎えてくださったお母様もやわらかい雰囲気の方で、温かい家庭の空気が感じられた。
| 門田 | 「…都都逸(ドドイツ)入門がある」 |
| 本棚が目に入ったらしい。 |
| 門田 | 「都都逸を、歌われるんですか(笑)」 |
| 阿部 | 「いえいえ(笑)結構面白そうだから買ってしまった。この辺りも。これは漫画です。韓国の。ここら辺はみんな古本雑誌」 |
| 門田 | 「本当だ。全音歌謡曲全集。かなり、そろってますね(笑)」 |
| 阿部 | 「ええ…結構、元歌探すのに便利なもんだから」 |
| 二人 | 「ああ。(やたら納得)」 |
| 浜野 | 「カンボジアのCDって結構、日本のカバー曲が多いらしいですね」 |
| 阿部 | 「そうなんですよ」 |
| 阿部 | 「最初やっぱり一番、カバー曲で、まあハマるきっかけになったのは『思案橋ブルース』なんですけどね。シン・シサモットが歌ってる。これがやたら(笑)、日本の曲なのに、向こうの曲で向こうの歌手が歌ってても違和感ないみたいな感じで。ええ。ちょっとそれ、かけてみましょうか」 |
| 門田 | 「はい、お願いします」 |
| 昔懐かしい歌謡曲のような、管楽器イントロが流れる。シン・シサモットの歌声。 |
| 門田 | 「…やたらしっくりしますね」 |
| 阿部 | 「でしょう。やたらそうなんですよ(笑)」 |
| 門田 | 「(笑)面白いですね、うん」 |
| 阿部 | 「これの他にも変なのずいぶんありますよ。何でこんな曲を向こうで歌うんだっていうの。『ウサギとカメ』とかね。後はあれかなー、『ズンドコ節』。『ソーラン節』なんかも歌ってたりするんですよ。そういうの聞いてくと、割と面白いもんだからCD買いあさっちゃって、それでたまっちゃった」 |
| 浜野 | 「それでこんな沢山あるんですか」 |
| 阿部氏いわく、こういった日本の楽曲は香港などを経由して、東南アジアに持ち込まれた日本映画から市場に流れたのだろうということである。 |
| 阿部 | 「特に日本の歌謡曲なんちゅうのは、結局そのメロディーラインだけで。向こうで勝手に歌詞つけてやってるから(笑)」 |
| 浜野 | 「意味は別に考えてないと」 |
| 阿部 | 「意味はまったく考えずにやってる。だからそれが結構ね、ミスマッチでおかしかったりするんですよ」 |
| 門田 | 「本当は暗い曲なのに、なぜかやたらスガスガしいとか」 |
| 阿部 | 「ありますよ、そういうの。『ルージュ』。聞きますか」 |
| 「ルージュ」。中島みゆきのこの曲は香港のスター歌手がカバーしており、またタイなどでも爆発的なヒットを飛ばした。アジアの超メジャー曲である。しかし中島みゆきと言えば、あの愁いを帯びた声。罪。戦う人生。そんなイメージの歌手だ。それをどのようにアレンジしていると言うのか。 |
| 阿部 | 「普通ああいう曲ちゅうのは、しっとり歌うようなもんだと思うんですけどね。これはやたらディスコアレンジにしてるんですよ」 |
| ディスコ風のドラムビートにシンセなどの楽器がのる。しかし、音使いはあくまで歌謡曲調。女性歌手がアジア的な高い声で歌い上げる。それはもう、ノリノリだ。 |
| 阿部 | 「出だしからしてこうですから(笑)」 |
| 門田 | 「むう(笑)、確かに」 |
| 阿部 | 「これ最初聞いたとき『ルージュ』だってわかんなかったんですよ。ただなんか、いかにもなんか日本の歌みたいだなって言う(笑)。これがね、中島みゆきのなんだから笑っちゃうんですよね。国が違えば全然解釈が違ってくるみたいな」 |
| 日本でいえば、『蛍の光』などもその部類だ。日本人は『蛍の光』を聞くと条件反射的に「店が閉まる」、とイソイソと立ち去って行く傾向にあるが、スコットランド人にしてみればアレは友との再会を祝う歌である。…そしてなおもテクノなリズムは続く。 |
| 阿部 | 「もろディスコアレンジですよね(笑)。結構、こんなのでね、はまっちゃったとこがあって。それで、ええ。今CDも結構あるんですよ(笑)。これ全部そうなんですよ。上から下まで」 |
| 箪笥の引出しを開ける阿部氏。そこには恐るべき量のCDが詰まっていた。 |
| 門田 | 「なんと」 |
| 浜野 | 「すごい」 |
| 門田 | 「これはすごい」 |
| なんと、その箪笥のみならず、我々の周りにある棚、収納ボックスのほとんどはCDを収納するためのものだったのである。その数たるや、四桁は下らないだろう。 |
| 阿部 | 「これもみんなそうだし」(横のガラス戸を指す) |
| 門田 | 「おお」 |
| 阿部 | 「そこにも結構入ってんですよね」(我々の背中のあたりを指す) |
| 門田 | 「おおう」 |
| 浜野 | 「これだけ多いと、どこに何があるのか分からないなんて事が」 |
| 阿部 | 「ありますね、結構」 |
| 阿部 | 「結局CDも枚数がやたら増えちゃったり、曲が増えてくると自分でも管理できないもんだから。今はデータ・ベースにまとめてるんです」 |
| パソコンをいじる阿部氏。なんだか微妙にパソコンの処理速度が遅い。 |
| 阿部 | 「これメモリ80つんでても遅いんですよ。(笑)」 |
| 二人 | 「アハハハハ」 |
| 阿部 | 「そのうち多分でてくると思います。(笑)」 |
| そうして出てきたのは、我々素人の想像をはるかに越えた強力なデータベースだった。 現在の収録数は実に6423曲。しかしチュロンダエン社、リアスマイ・ピアン・ミアス社など4社分しか入っておらず、すべてを網羅するにはまだまだ時間が足りないとのこと。しかしこのような莫大な資料を、どのように作り上げたのだろうか。 |
| 阿部 | 「最初データベースを作り始めたのは、CDの曲を管理するっちゅうよりも、カンボジアの単語とかをまとめようと思ってやったんですよね」 |
| 門田 | 「ほほう」 |
| 阿部氏は現在、コンピューター用の辞書データの編纂を手がけている。この手のデータベースの編集はもはや生業といえよう。 |
| 阿部 | 「こっちは字引になってますね。今ちょくちょく作ってるというか。適当に」 |
| 門田 | 「おお、なるほど」 |
| 阿部 | 「結局普通の字引見てても、自分で文作ろうと思うとなかなか作れないじゃないですか。だから結局こういう風に自分なりに作っといて、何かまた向こうへ手紙書くようなことがあったら、そん時には(笑)使おうかなという、ええ。ただこれもねー、そうそう毎日やれるようなものでもないし」 |
| 門田 | 「いやー毎日じゃなくてもこうコツコツとここまで作り上げたということがもう」 |
| 浜野 | 「カンボジア語専攻の学生でそんなこと出来るやつが何処にいるかと」 |
| 門田 | 「いや、いはしない(笑)」 |
| カンボジア語は語彙の活用がない代わりに、文章の構成が非常に重要な意味を持つ。単語の並びひとつでその言葉が動詞であるか、名詞であるかも変化してしまう。日本人にとってはトリッキーな言語と言えよう。 辞書は単語の意味が基本だ。用法までカバーするのは限界がある。そこで阿部氏は新聞などの記事を元に、独自の構文集を作り上げた。 |
| 阿部 | 「結局普通の辞書にある単語だと、もうあんまり登録する必要もないし。割と変な単語ばっかり入れてあったりね。そんな具合で、ええ、(笑)」 |
| 浜野 | 「最初新聞記事を見たんですよね。難民を助ける会の」 |
| 阿部 | 「そうです。朝日新聞かな、載っていたんですけど」 |
| 当時在日カンボジア難民の子供達が日本での生活に適応するあまり、自国語を忘れてしまうと言う問題がおこっていた。それを重視した「難民を助ける会」がカンボジア人の子供達のためにカンボジア語教室を開き、その記事が新聞に載っていたのである。 資金繰りのため日本人向けの教室も開いたのだが、ふたを開けてみれば日本人ばかり集まってしまった、とか。 |
| 阿部 | 「ええ、で、カンボジア人の子供達はみんな遊びたい盛りなわけですよ。(笑)で、カンボジア人のクラスの方は全然だめになっちゃって、日本人クラスだけ残っちゃった。(笑)」 |
| 門田 | 「なるほど(笑)」 |
| 浜野 | 「あの新聞記事、なんで目が止まったんですか。普通の人はみても別にこうああ、こんなのがあるなーぐらいで流す人も結構いると思うんですが」 |
| 阿部 | 「結構ね、アジアの言葉とか、なんか習ってみようかなっていうのが」 |
| 1988年。当時バブルに沸いていた日本は、エスニックブームのまっただ中だった。 「そういえば、カンボジア語をやっている人は少ないな」、とそんな折。大学書林から『カンボジア語会話練帳』(坂本恭章・著)が刊行された。書店に並んでいたそれを、阿部氏は発見してしまったのである。 |
| 阿部 | 「何か文字見たら面白いじゃないですか。やたらグにゃグにゃして(笑)」 |
| 浜野 | 「何だこの文字はって最初思いますよね」 |
| 阿部 | 「それが結構なんか気に入っちゃって。ええ、だから動機としたら本当にそれだけの動機なんですよ。結構なかにはボランティアなんかで、『向こうと日本との為に』なんていう人もいたんですが、僕の場合全然そういうのでなくて(笑)。ただそういう軽い感じで」 |
| 浜野 | 「習ってこれどうでした、実際」 |
| 阿部 | 「そうですね、教える方も大学生で。語学の教師としての経験は無かったものの、熱意にあふれてましたね」 |
| 先生は当時東海大学の学生だったメアス・トミーさん(当時の仏教自由党党首ソン・サン氏の右腕だったメアス・チャン・リープ議員の子息)。トミーさんの帰国後は、義足作りの研修にきていたソック・チョムラウン氏が教えてくれたという。 |
| 阿部 | 「先生もとにかく、そういう学びたい日本人がいるんだったらなんとしてでも教えたいって言う情熱を持ってたわけで。でもそれだけで押し切ってるとこが結構あったんですよね。ええ。だから、本当にそのメソッドみたいのが全く無い状態でやってました」 |
| 門田 | 「なるほど」 |
| 阿部 | 「ええ。文法を段階的に、文型ごとに説明していくとかじゃなくって。それにみんな文字で脱落しちゃうんですよね。どうしても難しいじゃないですか」 |
| たしかに、小さいころからヨーロッパ言語に慣らされてきた我々にとって、文字は一番最初に苦労するところだ。カンボジア語はローマ字のように子音と母音で表記する表音文字だが、初めてのときはどこが字だか探し当てるのも大変である。 |
| 浜野 | 「文字と発音の対応とかも難しい…。いざ読んでみるとどっちだっけなー、とかなりますよね」 |
| 阿部 | 「テキストは、カンボジアの小学校の教科書のコピーや、カンボジアの新聞の記事とか、先生が作成したプリントを使ったり。後は在日インドシナ難民向けの新聞みたいなのがあって、中にカンボジア語で書かれている記事もあったので、それも使ったり。ただ生徒の方もほとんど社会人で皆さん仕事をもっていたので、どうしても授業について行けなくなってしまったりして。だから結構、教材も変わる事が多かったですね」 |
| 浜野 | 「シン・シサモットはやっぱりかなり人気があるんですかね」 |
| 阿部 | 「向こうじゃやっぱりまだ人気あるみたいですね」 |
| シン・シサモットは1970年代に活躍した、カンボジア音楽界の大スタアである。伝統音楽からポップスまで幅広い才能を見せていた彼だが、その楽曲はポル・ポト政権下で大半が失われ、また彼自身も行方不明となった。しかし海外に残されていたテープを元に、レアスマイ・ピアン・ミアス社などが復刻版を発売。現在でも絶大な人気を誇る。彼自身作詞・作曲もこなすが、「潮来笠」など日本の楽曲も多くカバーしていたそうである。 カンボジアに行くと昭和四十年代の日本の歌謡曲がディスコアレンジされていたりするのは、そこらへんに原因があったりする。 |
| 阿部 | 「昔の歌手は75年ぐらいまでは歌ってたみたいですね。昭和でいうと昭和47年ぐらいまでのヒット曲が、カバーされてるんで。ただそれ以降の曲はカバーされてないんで、それまでにみんな、やられちゃったっちゅうか。残ってる人はわずかにいるみたいですけどね。ただ、ロ・セレイ・ソティアも、シン・シサモットもそうだけど、やっぱポル・ポト時代に亡くなっちゃった」 |
| ロ・セレイ・ソティアは、シン・シサモットと双璧をなすカンボジア音楽界のクイーンである。シン・シサモットと同時期に活躍し、彼とのデュエット曲も多数発表された。しかし彼女もまた、ポル・ポト政権下での悲劇に巻き込まれ、苦難の人生を歩んだのである。 |
| 浜野 | 「ネット上には『ポル・ポト時代に歌手も殺されてるから、その影響で今のカンボジア音楽も発展途中にある』みたいな感じで書いてあったんですけど」 |
| 門田 | 「未だにシン・シサモットを超える歌手が出てこないとか」 |
| 阿部 | 「結構うまい歌手がいても、事故で死んだりとかね。ロー・サルットちゅうのがいたんですけど、どっかのバーかどっかに歌いに行く途中の国道で、自動車事故に遭って死んじゃったとか。2,3年前かな」 |
| 浜野 | 「インターネットでアメリカの情報とか入ってくると思いますけど、欧米の音楽の影響ってありますかね。カンボジア人がラップをやったりとか」 |
| 阿部 | 「どうなんでしょうね、最近の若手でそんなんやってるのもいたかな。ただやっぱりね、歌唱力みたいなのがない。日本と同じでアイドル化しちゃって(笑)ええ」 |
| 浜野 | 「意外とカンボジア語って母音は規則あるじゃないですか、これでこれだって。韻を踏んだり、意外に曲調と合って受け入れられそうかなーって」 |
| 阿部 | 「そうですね…」 |
| 阿部氏、CDを探す。 |
| 阿部 | 「あんまり新しいのは無いっちゅうかね。(CDを出す)いかにも若手ってやつ」 |
| 門田 | 「本当だ」 |
| 浜野 | 「いかにもアイドル」 |
| 流れる音楽。かなり安い感じのポップ・バラード。楽器屋の店頭で聞こえてくる、電子ピアノのデモ曲みたいな薄っぺらい音だ。 |
| 門田 | 「んー。やっぱり若手だけあって割と…そんなに遊びも無く普通かな、と」 |
| 阿部 | 「ええ、言ってみりゃやっぱツマンナイっすよね。僕は個人的には『ウサギとカメ』みたいなわけわかんない方が好きなんで」 |
| 門田 | 「確かに(笑)」 |
| 『ウサギとカメ』とは、「カンボジア音楽の女王」ことロ・セレイ・ソティアが歌うラブ・ソングである。カンボジアでの題名は『ユーン・ナウ・チアムオイ・クニア』(僕らは一緒)。二人で暮らす男女の愛を歌っているようなのだが、メロディーが日本の童謡『ウサギとカメ』と全く同じ。子供のメロディーに乗って聞こえる大人の事情。絶妙の歌声、だがそれだけになんだか妙な曲だ。それに比べてこの最新ポップスのなんと凡庸なことか。 |
| 阿部 | 「平凡でしょ。割と。何もカンボジアでなくてもいいかなって言う」 |
| 浜野 | 「ああ、確かに」 |
| 阿部 | 「別にこれタイ語でもいいし、ラオ語でやったっていいしみたいなとこあるし。香港辺りで広東語でやってもいい。あんまり個性ってもんが無くなって来てるから」 |
| 浜野 | 「確かに」 |
| 門田 | 「確かに」 |
| 浜野 | 「曲のつくりが、安っぽい」 |
| 阿部 | 「なんかねえ。つまんないんですよ。(笑)」 |
| 実際、没個性的だった。 最新機器に遊ばれている、と言ったほうがいいだろうか。 阿部氏はやはり、著作権を超越した「何でもあり」の風潮に最も魅力を感じるという。 |
| 阿部 | 「みんなで歌って楽しきゃいいって感じだと思いますよ、だってセリーヌ・ディオンのタイタニックから何からみんなやってるし(笑)」 |
| 門田 | 「ハハハ。面白そうだからやってみたって感じですね」 |
| 浜野 | 「これからカンボジアに望むことってありますか?こうなってほしいとか」 |
| 阿部 | 「無いですよ特に(笑)」 |
| 浜野 | 「あまり政治家は私服を肥やさないで欲しい、とか」 |
| 阿部 | 「まあなんか、コピーでみょうちきりんな音楽作ってくれればそれでいいかなって。とんでもないカバーバージョンとか作ってくれたらそれは面白い(笑)」 |
| 門田 | 「そうですねえ。変に著作権に厳しくなったりするとね。遊びが無くなって面白くなくなっちゃうかも」 |
| 本当はアジアの著作権問題は非常に根の深い、大変な問題ではある。しかし印税収入と関係のない我々にとっては特に問題するに値しない。むしろその自由奔放な単純加減が逆に面白かったりする。 |
| 阿部 | 「日本の歌謡曲なんかさっきのみたいにモロコピーしてたりとか、中にはまるっきり違う『ウサギとカメ』みたいな変な風にしちゃったりとか、そこらへんが面白いから。だから著作権とかあまり厳しくしないで欲しいですね。あそこだけはなんか無法地帯のまま残っていて欲しいなっていう」 |
| 浜野 | 「確かに…あんまり著作権が厳しすぎるのも。ルーズなところが東南アジアの魅力というか。そういうところもありますよね」 |
| 阿部 | 「違法コピーって言うのが向こうじゃ合法コピーだから」 |
| 門田 | 「まあ、使えるものは合法だ、みたいなのあるし」 |
| 阿部 | 「カセットなんかも、どんどんみんなコピーして売ってるみたいですよ。結局カセットのラベルが、売っていいっていう販売許可証みたいな感じで。そのラベルをもらえればそのマスターテープから何分でもコピーして売っちゃえるっていう」 |
| 浜野 | 「ほおお。すごいな」 |
| 門田 | 「どんどん音が悪くなりそうだ」 |
| 阿部 | 「向こうのCDって歌詞が付いてなかったりするんですよね」 |
| 浜野 | 「ああー」 |
| 阿部 | 「やっぱり最初のころ何歌ってんのかわかんなかったりして。ただ探すと結構、歌本ってあるんですよ」 |
| 歌の歌詞だけがかかれた本、それは歌本。プノンペンのセントラルマーケットや、新宿・歌舞伎町にあるCDなどを輸入する店で手に入れるという。最近はポケットサイズになって、持ち運びにも便利。皆これでカラオケの練習をするのだろうか。 |
| 門田 | 「CDはどうやって入手なさるんですか?やはり歌舞伎町の?」 |
| 阿部 | 「ええ。でも最近はもうカンボジア・コムから、個人輸入ちゅうか。CD買ってるところは、(カンボジアでなく)カルフォルニアなんですよ、アメリカの」 |
| 阿部氏曰く、音楽製作のプロダクションはカンボジア本国には当初、なかったらしい。カリフォルニアの「チュロンダエン」、あるいは「サヨナラサウンド」が最も大手だと言う。ちなみにアメリカなどでCDの製作をする場合、曲のリミックスや差し替えをする事があるらしい。本国と違い、著作権法の厳しい国々では何らかの罰則が与えられる可能性があるからだ。そのためか、以前はアメリカ発のCDには、「リズムセクションだけ浮いてバランスが悪い」ものが時折あった。しかし現在では技術的にも進歩し、以前よりは全般的にずっとレベルが上がってきているそうだ。 |
| 阿部 | 「1990年代の最初の方のCDとか見ると、みんな『ミックスドバイ・チュロンダエン・スタジオ』とか書いてあるんですよ。チュロンダエンでみんなやってるという(笑)」 |
| 門田 | 「なるほど」 |
| 浜野 | 「個人輸入だとCD1枚いくらぐらいになるのですか」 |
| 阿部 | 「CD1枚大体9ドルから10ドル。で、まとめ買いすると7ドルとか8ドルに負けてもらえます。ええ」 |
| 浜野 | 「日本で買うと、僕タワーレコードで買ったことあるんですけど2000円ぐらいしますよね」 |
| 阿部 | 「一番最初にね、カンボジアのCDが日本に出た頃ちゅうのはA書店ってありますよね。あそこで3800円ででてたんです」 |
| 門田 | 「なんと!」 |
| 阿部 | 「すごいでしょ(笑)」 |
| 浜野 | 「高い」 |
| 門田 | 「それはもうまさしく教材のノリですね」 |
| タワーレコードなど、大型CDショップに行くとカンボジアのCDを手に入れることができる。それら大型店に入荷しているのも、歌舞伎町にあるBMIミュージックが行っているそうだ。だいたい2000円くらいで手に入るが、あんまり売れないらしい。 |
| 門田 | 「なんか、お勧めのCDとかあったら教えていただけるとありがたいのですが」 |
| 阿部 | 「僕はやっぱお勧めになるとしたらシン・シサモットになっちゃうかなあ。ただ、あんま入手できそうも無いやつ薦めても意味無いから…。さっきの…。これかな?これ当たりが結構面白いかな。「カスケーズ(The Cascades)の『Rhythm of the rain(邦題:悲しき雨音)』のカバーとか、ボビー・ヴィー(Bobby Vee)の『More than I can say (邦題:星影のバラード)』をカバーした『Oh イェイェ』が入ったやつ。チュロンダエンの71番ですね」 |
| ジャケットを見つめる門田。シン・シサモットがかわいい。 |
| 門田 | 「顔を見るとなんだか微笑んでしまう(笑)」 |
| 阿部 | 「いかにもでしょ(笑)。あとは…。個人的には、レアスメイ・ピアン・メアス。これはマスターテープそのものがモロにあって、加工してないんです。リミックスしてない。もともとのまんまのやつなんで、個人的にはこれが好きなんですけど、今なんかあんまり入手できないみたい」 |
| このレアスメイ・ピアン・メアスシリーズは52まで出ていたのだが、アメリカで版権関係のトラブルがあったらしく、プロデューサーが行方不明になっているらしい。 このシリーズはアメリカで作られており、昔のアルバムも含めてリミックスが無い分、最も音が良いという。また、CDを買う際は、カンボジアではかなり傷のついた盤でも平気で店先に並べていたりするので注意が必要であり、むしろアメリカから取り寄せた物の方が傷のついたCDにあたる確率は低いそうだ。 |
| 浜野 | 「日本でもうちょいこう、望むこととかありますか。カンボジアがもうちょい身近になれば、とか…。こういうふうになれば、とか。CDを購入しやすくなれば、とか」 |
| 阿部 | 「うーん、まあ、それはありますけどね。あと雑誌とかね。向こうの。後はやっぱり、もう少し…なんか紹介されたらいいな、っていうのはありますね。歌なんかにしても」 |
| 浜野 | 「日本だとやっぱり政治的なポル・ポト時代とかそういうほうがよく、取りざたされることが多いですからね」 |
| 阿部 | 「地雷とかね。そこらへんはよく話題にはなっても、日本の曲がこういう風に向こうでカバーされてて、こんなみょうちきりんなアレンジされてるっちゅうのは余り知られてないわけじゃないすか。だからそこらへんが知られると、割と面白いんじゃないかな、っていう。そこらへん取っ掛かりになって、向こうの音楽に興味持つ人が出てきたらいいな、っていうのはありますよね」 |
| 門田 | 「そういう身近な題材があったほうが、外国にのめり込みやすいですからね」 |
| 阿部 | 「でしょうねぇ。だから、アレでしょう、例えば台湾なんかでも今ハーリー族とかって、すごい日本好きの若者とかいてね。アレも結局その、コミックとか、日本のそういった大衆文化みたいのから興味持ったりするわけじゃないですか。だからカンボジアも地雷とか政治だけじゃなくって、向こうのそういった面白い面が結構、紹介されると、興味持つ人もずいぶん増えるかなっていう感じはしますね」 |
| 浜野 | 「確かにそうですよねえ」 |
| 阿部 | 「地雷とか難民問題とかってのはそれはそれで問題だけど。やっぱ一般の人がみんな興味持つとしたら、向こうのそういう大衆文化みたいなのじゃないですかね」 |
| 門田 | 「あんまり日常会話で地雷について話し合おうとは思いませんからね(笑)」 |
| 阿部 | 「単純に『ああ、これ面白い』っていうところから結構始まるとおもうんです」 |
| 浜野 | 「確かにこう、自分に現実感のあるというか、繋がりのあるところからだとやっぱり入り易いですね。日本でも音楽いっぱい聞くわけだし」 |
| 阿部 | 「とりあえずまあ、また前みたいな内乱にならないようにね」 |
| 浜野 | 「確かに」 |
| こうして、阿部隆一氏へのインタビューは幕を閉じた。 徹頭徹尾、頭からつま先まで「趣味に生きる」といった阿部氏の生き方は、心底輝いているように思えた。また、どのような些細なきっかけでも面白く、人生は変わってゆくものだという感銘を受けた。確かに簡単なことである。 |
| 阿部 | 「単純に『ああ、これ面白い』っていうところから結構始まるとおもうんです」 |
| 確かにそのとおり。そうして好きなことを探し、好きなことを見つけ、好きなことをして生きる。それはきっと、素敵な人生だと思う。 |
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