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2012年8-9月 月次レポート(岩崎理恵 ロシア)

2012年8-9月月次報告

報告者:岩崎理恵
派遣先:ロシア国立人文大学

 報告者は、2010年10月より一年間、短期派遣EUROPAフェローとしてモスクワに滞在し、人文大学のマゴメードワ教授の個人指導を受けながら研究を進めてきた。この間、学会報告等を行いながら自分の論を練り上げてきたが、その成果をまとめた博士論文の完成に向け、現在も執筆を続けている。今回は夏季休暇を利用し、8月、9月の2か月のみの予定で、最終的な文献調査及びコンサルテーションのため渡航した。
 博士論文では、19世紀末から20世紀初頭にかけて活動したロシア象徴主義の代表的詩人、アレクサンドル・ブロークの神話創造の主題と手法について論じる。今回の文献調査は、そのうち第2章で扱う連作詩『雪の仮面』『ファイーナ』(1906-08年)と、第3章で扱う戯曲『運命の歌』(1908年)に関するものだった。
 『雪の仮面』『ファイーナ』のヒロインには、ワグナーのオペラ『ニーベルンゲンの指輪』に登場するワルキューレ、ブリュンヒルデの姿が投影されている。それ以前の作品、例えば1905年に書かれた詩«Бред»等では、ワルキューレは、ブロークの初期(1904年以前)の詩作品にしばしば登場する「眠る王女」の形象の一バリエーションとして登場している。ブリュンヒルデが父神ヴォータンによって眠りにつき、英雄ジークフリートの救済を待つことになるという筋立て(シュジェート)が、カオスの囚われとなった世界霊魂、ソフィアのアナロジーとして解釈されているためである。
 しかし『雪の仮面』『ファイーナ』においては、出逢うことが命取りになる、運命のように「避けがたい」ヒロイン像を作り出す上で、ブリュンヒルデの本来の姿、すなわち戦場で勇者に死を宣告するワルキューレとしての側面が前面に出されている。『雪の仮面』の抒情的主人公はヒロインにキスされ、あるいは「雪の針」=ヒロインの「貫くようなまなざし」「矢のようなまなざし」に刺されて眠りにつき、過去の記憶を失い、死に至る。ブロークの詩においては、ヴォータンのキスを受けて(『エッダ』では「眠りの茨」に刺されて)眠りにつくワルキューレ、及び糸紡ぎの錘に指を刺されて眠ってしまういばら姫の運命を、男性がたどるのである。このように、『雪の仮面』及び『ファイーナ』では、ワグナーのオペラのみならず、その元となった北欧・ゲルマン神話のモチーフ、あるいは童話に認められるそれらの残滓が、神話化の手段として用いられていると解釈できるが、これがどの程度自覚的に行われたかについて、確たる裏づけはない。
 研究者が参照する資料の一つに、全3冊から成るブロークの蔵書記録がある。詩人の残した蔵書の書誌情報ばかりでなく、読書の過程でつけられた印や書き込みの詳細をページごとに記したもので、実際に本のどの箇所を読んでいたのか、どういった点に関心を抱いていたかを知ることができる。調査を始めた当初は、詩人が北欧・ゲルマン神話の知識を得たのはハイネの『精霊物語』(Elementargeister)、グリムの『ドイツ神話学』(Deutsche Mythologie)等からではないかと仮定していたが、当てが外れた。問題の『精霊物語』はブロークの蔵書にあったハイネ全集の第3巻に収録されてはいるが、ブロークは該当する部分を見事に省いて読んでいる。逆に典拠とした可能性が高いのは、O.ぺテルソン、E.バロバーノワ共著『改作・抄訳で読む西欧叙事詩と中世文学』と題された一般の読者向けの本で、このうち『スカンジナビア』の巻に古エッダの『シグルドリーヴァの歌』、スノリのエッダの『ギュルヴィたぶらかし』等の抄訳が含まれていることを確認した。
 一方、第3章で扱う戯曲『運命の歌』に関しては、現時点で資料として利用できるのは1960年版のブローク全集に収録された戯曲の最終稿(1919年)及びその異文(1909年、文芸雑誌«Шиповник»9号に発表された版)のみに留まっている。しかし、この作品に関する最も包括的な研究であるイリーナ・プリホジコの論文に引用されている箇所を読むだけでも、草稿と最終稿にはかなりの違いが見て取れる。加えて、その他の異文についても参照することができれば、あまり研究の進んでいない作品である『運命の歌』について、より深い考察ができるのではないかと期待していた。
 博士論文では、詩作品に関してはすべて、現在編纂中のアカデミー版ブローク全集を参照している。この版を利用する最大のメリットは、各作品の草稿を含む異文、あらゆる断片が整理され収められており、詩人の創作の過程をたどり、最終稿に見られる表現がどのような意図をもって選び取られたか読み込むことができることである。戯曲作品は第6巻に収録されるはずで、出版準備は進められているものの、年度内の刊行はほぼありえないことが判明した。
 この巻に初めて掲載されるはずの草稿の原本は、サンクトペテルブルグの科学アカデミーロシア文学研究所(プーシキン館)に保管されているが、指導教授に相談したところ、ロシア人の研究者ですら閲覧は難しいことが分かった。ただ、草稿をタイプに起こしたものが、資料としてごく少数の研究者の手元に渡っているとのことで、教授所蔵の、門外不出のタイプ原稿を参照させていただくことができた。
 結果としては、思った以上の収穫が得られた。戯曲に登場する二人のヒロイン、エレーナとファイーナは、あらゆる点で互いに対置されていながら、分身関係にある。完成稿では、両者の結びつきは目につきにくくなっているが、草稿に加えられていった改作の跡をたどっていくと、それが著者によって極めて意図的に隠されていった結果であることが実感できた。戯曲『運命の歌』は、1911年から1912年にかけてまとめられた、三巻から成る著作集、いわゆる『抒情詩三部作』の枠組みの中で紡がれてきた「神話」を、戯曲という形で語り直す試みであることが指摘されている。『運命の歌』も『著作集』も、テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼという三部構成を持つが、戯曲の草稿ではこの平行性がより強調されており、「テーゼ」に該当する第1・2場では『著作集』の第1巻、「アンチテーゼ」に相当する第3・4場では第2巻の詩句を想起させるような記述が多く見られた。また決定的に異なっていたのは、草稿では戯曲の主人公ゲルマンが、家を出たきり妻エレーナの元に戻らないという結末が想定されていたことである。これには「ゲルマンの魂はロシアに捧げられている」こと、そのロシアは他ならぬファイーナと同一視されていたことが関係しており、ゲルマンは「ファイーナ一人を」愛していると誓い、家庭の憩いをも捨ててロシアの野に留まり、祖国と運命を共にする決意を表明するのである。最終稿では、ヒロイン二人の力関係は均衡しており、ゲルマンは将来、その両者と再会を果たすことが暗示されている。主人公が、対照的な二人のヒロインに象徴される二つの世界を統合すること=「ジンテーゼ」という結末が、時間をかけて練り上げられていったものであることが分かり、この作品の解釈に新たな見地を付け加えられるという手ごたえを得ることができた。
 このほか、ブロークの所蔵していたワグナーの著作やダンテの『新曲』、ソロヴィヨフ全集等についても文献調査を行い、それぞれに興味深い発見があった。

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