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2012年7月 月次レポート(笹山啓 ロシア)

短期派遣EUROPA月次報告書(2012年7月)
報告者:博士前期課程2年 笹山啓
派遣先:ロシア国立人文大学(モスクワ)

 今月も引き続き行っていた初期短編の読解で、ペレーヴィンが1991年の短編のエピグラフにウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の一節を用いていたということを確認した。2000年代に入ってから特に顕著になったペレーヴィンの「言語」を中心に据えた世界観の背景にウィトゲンシュタインの哲学の影響があると睨んでいた筆者としては、予想に小さいながら確かな裏づけが得られたという思いである。基本的にロシアの批評家たちの耳目を引いてきたのは、禅や老荘思想などの東洋思想に造詣の深い「神秘思想家」としてのペレーヴィンと、ソッツ・アートの手法を用いたソ連的イデオロギー解体の試みや、ボードリヤールの消費社会論を援用した新生ロシアの社会批判などを風刺的なタッチで行う「ポストモダニスト」としてのペレーヴィン、この2つが主であって、不思議なことにペレーヴィンの人間存在についての関心と西欧の哲学の一見して明らかな関係に深く立ち入って作品を読み解こうという論考に出会うことはなかなかない。よってここに読解の余地は大幅に残されているはずである。例えばペレーヴィンは時おり作中やエッセイで「実存(主義)」という言葉を用いる。ここで作者が念頭に置いているのは必ずしも20世紀中期のヨーロッパの哲学的潮流ではなく、むしろインタビューでの発言からはサルトルやカミュ等の思想に影響を受けた世代と距離を置きたがっているようにも取れる。かといってペレーヴィンの存在論的思考のすべてを東洋的な宗教思想や神秘主義に還元してしまうのは、ペレーヴィン自身が西欧哲学の文脈をまるで無視しているのでない以上、乱暴である。以上を考え合わせると、論理学に立脚した厳密な思考法によって西欧伝等の「私」という観念を解体した哲学者でありながら、トルストイの宗教書を愛読する熱心な宗教家としての側面も併せ持っていたウィトゲンシュタインという哲学者へのペレーヴィンの目配りは、彼の言う「実存」の意味を理解する上で重要な要素となってくるものと考えている。
 余談めくが、今月はペレーヴィン関連の論考の中で数度名前を目にした亡命作家ガイト・ガズダノフの作品にも目を通した。ロシアでも長らく忘れ去られ、当然日本における紹介・研究もほとんどないと言ってよい状況にある作家だが、亡命先のパリにあって仏教的なモチーフを用いた作品を書いた彼については近年になって西洋と東洋の融合という観点からの研究がロシアでは始まりつつあるようだ。また『ガイト・ガズダノフとロシア文学の実存主義的伝統』なる研究書がものされており、現代の日本では恐らくかなり古めかしく響くであろうこうしたテーマが、ロシアでは今になって花盛りかと思えてくる。ただソ連という政治体制の中で哲学が西欧や日本と同様の発達段階を経たとは考えにくく、ソ連崩壊後の現在になってロシアで20世紀のモダニスティックな哲学潮流に注目が集まっているのだとすれば、それは今日のロシア文学を研究する上でも大いに注目に値するだろう。この点に関しては今後の研究の長期的な課題として常に目の端で捉えておきたい。

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