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2012年7月 月次レポート(新谷崇 イタリア)

月次レポート 2012年7月
新谷崇(博士後期課程)
派遣先:ピサ高等師範学校(イタリア)

 早いもので8か月にわたる派遣も最終月を迎えた。派遣期間中に多くの文書館で調査をし、研究に必要な史料を入手できた。しかしながら、博士論文の一章の執筆は終えられたものの、当初の計画より執筆作業が進まなかったこと。そのことについては反省の余地が残った。このため、7月は帰国前にやり残したことがないようしっかり作業をしたかった。文書館が夏季休館だったため史料収集はおこなわず、博士論文の執筆作業を進めることにした。並行して、投稿用論文に補充するための先行研究を読み込んだ。
 投稿用論文は、イタリアの学術誌に博士論文の一部を投稿するために、春先から作成してきたものである。内容は、ファシズムとカトリシズムの接近を目指したG・デロッシという人物のテキストを人種主義の観点から分析するものである。対象時期は、ファシズム政権がナチスドイツの影響で人種法を導入した1938年7月から、ムッソリーニが首相を解任、逮捕される1943年7月までである。主な史料として、G・デロッシの著作物と彼が編集長を務めていた雑誌Italia e Fede、イタリア国立中央文書館所蔵の内務省政治警察文書とムッソリーニ特別秘書室の人物別ファイル、バチカン秘蔵文書館にある出版人のファイルを用いた。デロッシが人種法の議論をファシズム政権の政策や戦争の進展に合わせて変遷させていく過程を分析し、本人の宗教観がカトリックからある種の国家宗教に変化していくことを把握した。
 上記の議論は定期的に現地指導教員から助言を受けながら深めてきた。夏季休暇前に面談した際に、デロッシの政治的立場を的確に定義すべきこと、どういったカトリック聖職者がデロッシを支持したかその理由も含めより具体的に叙述するよう指摘された。加えて、関連する先行研究を消化するように言われた。具体的に紹介されたのは以下の論文である。
 バチカン内部で人種法についてどのような議論があったか、ファシズム政権とどのような交渉をしていたかについて書かれたV. De Cesaris, L'eglise de Pie XI et l'antisemitisme fasciste, in Revue d'histoire ecclesiastique, n. 3-4, 2011。1920、30年代のカトリック、ナショナリスト、ファシストの定義や配置を論述していて、デロッシの政治的位置づけを考えるうえで大いに参考になるR. Moro, Nazione, cattolicesimo e regime fascista, in Rivista di Storia del cristianesimo, n. 1, 2004。1930年代後半以降のイタリアでは、カトリックが「普遍的」価値を有することができたのはローマ帝国に負っているという点を誇張し、カトリックからユダヤ的なものをそぎ、ファシズムがローマから宗教的普遍的価値と帝国として使命を引き継いでいるといった思想があった。その議論を切り口に、体制の肝いりで発刊された人種主義の雑誌La Difesa della razzaを分析した最新の研究G. Rigano, Romanita, cattolicita e razzismo. La Santa Sede e La Difesa della razza, in Cristianesimo nella storia, vol. 1, 2012。
 以上三点の先行研究を読み込んだうえで、論文の構成を変える作業をおこなった。夏季休暇明けに指導教員との面談をおこない、修正した原稿を提出し、助言を受ける予定である。秋には投稿できるよう修正作業をしっかりとおこないたい。

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