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2012年6月 月次レポート(最上直紀 オーストリア)

短期派遣EUROPA月次報告書(2012年六月)

最上直紀

 報告者は東京外国語大学が提供する短期派遣EUROPAの制度によりまして、ドイツ語のブラッシュアップおよびギュンター・アンダースの技術論の研究のため、オーストリア共和国ウィーン大学に派遣されました。

(オーストリアでの留学および生活事情に関しまして)
 北緯48度のウィーンでは、六月ともなりますと夜の九時を過ぎても空が明るく、また、日中はだいぶ暑くなってまいりました。

(派遣者の研究に関しまして)
 六月は主といたしまして、Christian Dries氏のGünther Anders『ギュンター・アンダース』(2009)およびウィーン大における報告者の受け入れ教員でもございますKonrad Paul Liessmann先生の Günther Anders. Philosophieren im Zeitalter der technologischen Revolutionen『ギュンター・アンダース――技術革命の時代に哲学をするということ』(2002)を丁寧に読んでまいりました。
 アンダースの戦後50年間の仕事は核技術、特に核戦争がもたらした形而上学的な意味に費やされておりますので、冷戦体制の崩壊後、彼の仕事にたいする評価はいちど宙吊りになってしまいました。このため報告者が取り組みました二冊の本は、2000年代に入ってあらためてなされた彼の思想の総体的な読み直しということになり、今日アンダースを取り上げるにあたって最も重要な先行研究にあたると思われました。
 Dries氏の本は新しく、おそらくは学部生くらいを対象とした入門書という体裁でととのえられ、コンパクトでアンダースの思想の全体像をかなりつかむことのできるよい本でした。
 ですがLiessmann氏の著作は、アンダースの思想が持つ各側面を第二次世界大戦以前の彼の著作に結び付けつつ、体系的にまとめたものでありながらまた、氏が直接個人的に生前のアンダースと交際があったということもありますので、彼の生涯のエピソードなども差し挟まれたすばらしい本でした。
 特に、「彼は、ある顕著な意味で人類学者であった」という見解が非常に興味深く思われました。
 初期のアンダースにおいて人間は、本質を持たないことを本質とするとされていますが、このこと自体は、するどい歯も爪も、素早い脚もかたい甲羅も持たないという、プロメテウス神話に溯ることのできる人間像です。プロメテウス神話の場合、人間は生存のための特定の自然本性を持つ代わりに技術の象徴としての火を与えられるとされますので、本質なき存在という観念と技術の概念とはまた、ギリシア神話の時代から結び付けられてきた思想です。
 ところがユダヤ・キリスト教において人間は神の目的にそって創られた被造物だとされましたので、人間の本質は神によって担保されることになりました。その神が死んだときに、人間は再び本質を持たない存在としてはたらき始めますので、アンダースの思索にとってニヒリズムの分析が持つ意義がLiessmann, Driesの両氏にとって重要となります。
 アンダースは本質を持たない存在としての人間を、自然本性を持たない存在として解釈しますので、ユクスキュルおよびハイデガーと同調して、人間は閉ざされた環境Umweltに本能のみによって反応し、生きているわけではないということになります。本質を持たない人間は、自分が生きている生存条件を技術によって常に変えつづけていくため、一定の世界eine bestimmte Weltに生きることができず、しかも自らの技術が自分の生きる世界をどのように変えることになるのかもわからない。
 こうした初期アンダースの人間学が、技術によって自然を支配する人間像ではなく、技術を通じて世界から取り残されていくという人間像の根拠にあるという見解を得られたということが、今月の一番の収穫でありました。

(雑記)
 四月の月次報告書にて触れましたが、報告者の住居から南東に数十分歩きますと、中央墓地Zentralfriedhofにたどりつきます。
 ウィーンの一般市民が抱いている死のイメージは、アンダースのエッセイ風の著作の中でたびたび取り扱われ、また彼が理論的な著作で核戦争について論じるときにも、「人類の自殺」といった通俗的な比喩やキリスト教的終末論との比較といったかたちでしばしばあらわれます。ですが、テキストを読んでいるかぎりでは、アンダースが無神論者として批判の矛先を向けている死のイメージがいまひとつつかめずにいました。
 あまりその地域の外部の人間がかるがるしくおとずれるべきではない場所なのかもしれませんが(とはいえちゃっかりと墓地の中をめぐる観光用の馬車もあります)、派遣されております報告者としましては、当地の人びとの生活になるべく触れておきたいとの思いもあり、何度か足を運ばせてもらいました。泣きながらひとりで歩いているおじいさんや、ゆっくり進んでいく葬列など、いたましい場面にであうこともありました。
 墓所の中央にあたる第二門から入ってすぐのところに扇形の回廊のような建築物があり、そこに幅2メートル、高さ4メートルほどの大きな墓が数十基、並び立っています。形はさまざまあるのですが、葬られている方の家族の彫像が建てられているものがいくつかあります。そこで、アンダースが個人および人類の二つの水準で批判しているものは、死後・アポカリプスのあとの救済という観念だったと気がつきました。
 報告者の本来の研究領域から離れてしまいますのでご叱責を受けるかもしれませんが、私にはこれらの墓に彫られた彫像は、死者の生前の姿を偲ぶためのものではなく、死後の救済された生をかたどろうとしているもののように思われました。今回付します写真はその内の一つですが、家族が集まる場を象徴する「食卓」という観念を天上に投影しようとしているように感じられます。
 アンダースが大半の著述を一般市民に向けて書いているということを確認させられる、当地に滞在しなければなしえない経験だったと存じます。

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