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2012年6月 月次レポート(笹山啓 ロシア)

短期派遣EUROPA月次報告書(2012年6月)
報告者:博士前期課程2年 笹山啓
派遣先:ロシア国立人文大学(モスクワ)

今月は先月に引き続き収集した資料の読み込みを行うとともに、ヴィクトル・ペレーヴィンの初期短編の読み直し、学術論文の収集などに取り掛かった。ロシアでの学術論文の閲覧については、モスクワの郊外ヒムキ市に位置するロシア国立図書館の論文保管用分館(http://www.rsl.ru/ru/root3444/root34443451/root344434513474/)を利用することになる。モスクワ中心部から地下鉄とバスを乗り継いで1時間強は見なくてはならないアクセスの悪い立地ではあるものの、書店で入手できるペレーヴィン関係の論考にはロシアの現代文学の概説書的なものが多いため、作家に関するまとまった分量の学術論文を閲覧できるこうした施設は大変にありがたい。さしあたりここではペレーヴィンを単独で扱う論文を中心に収集を行っていく予定である。
 現在はペレーヴィンの90年代の作品に重点を置いて研究活動を進めている。彼の90年代の作品を語る上でよく取り沙汰されるのが「ソッツアート」と呼ばれる概念で、欧米圏の「ポップアート」が高度に発達した資本主義社会にまつわる諸々の記号を自在に組み替え相対化する試みであったとするなら、ソッツアートにおいてポップアートのスープの缶詰やマリリン・モンローに相当するモチーフは、社会主義リアリズムの芸術に代表されるソ連時代の政治的イデオロギーである。70年代には絵画、のちに文学の方面にまで範囲を拡張したソッツアートの運動が、1996年の『チャパーエフと空虚』をひとつの区切りとするペレーヴィンの初期の作品群に影響を及ぼしているのは確かであるようだ。これがソ連崩壊直後のロシアにおいてペレーヴィンがポストモダン文芸の旗手であったと捉えられてきた根拠なのだが、近年ではペレーヴィン作品のポストモダン的な外形はあくまで外形に過ぎず、90年代の初期作品、2000年前後のいわば遅れてきたポップアートのような作品、2000年代の「言語」というテーマを強烈に押し出した作品、これらすべてに一貫して観察できる人間の内面に関する思索(これを評して「独我論」という単語が用いられることもしばしばある)こそがペレーヴィン作品の本質であると指摘する声もある。作家の活動にある1つの芸術的な潮流の名を仮に与えつつ、それを踏み台のように使って様々な角度から読み直しをしていく作業はスリリングであり、修士論文はこうした試みを前面に押し出した論考に仕上げていく心積もりでいる。
 毎日のように降る短く強い雨に色もくすみがちだった6月のロシアの空も、本格的な夏の到来が近づくにつれてすっきり晴れ渡ることが多くなり、今では2カ月前の雪とぬかるみが違う国の有様だったかと思えるほど気持ちのよい日が続いている。気づけば今回のロシア滞在も折り返し地点を迎えた今若干の焦りを感じつつ、ロシアでの研究活動のますますの充実を図るべく日々思案を続けている。

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