トップ  »  新着情報  »  2012年6月 月次レポート(新谷崇 イタリア)

2012年6月 月次レポート(新谷崇 イタリア)

月次レポート 2012年6月
新谷崇(博士後期課程)
派遣先:ピサ高等師範学校(イタリア)

 6月は前月同様に、フィレンツェとジェノバで史料調査をしつつ、博士論文の執筆を進めた。ジェノバでは、引き続き同地のカトリック紙Il Cittadinoについて調べた。ジェノバ大司教と同紙編集部がファシズム政権についてどのようなやり取りを交わしていたのか、興味があった。ジェノバ大司教館付属の文書館で、文書館員から助言を受けつつ、1925~1927年の大司教関係の書類に目を通した。数点のファイルにあたったものの、残念ながら研究に使えそうな史料は見つからなかった。その後、大司教館の文書館員に紹介状を書いてもらい、大司教区神学校の図書館に出かけた。そこで、Il Cittadinoの未入手の号をデジタルカメラで撮影することができた。これまでジェノバでおこなった史料調査の成果は、博士論文の第一章に追加する形で組み込んだ。
 フィレンツェでは、国立図書館で作業した。1919年結成のカトリック政党であるイタリア人民党は、ファシズム政権誕生後、政治路線の対立から多くの脱党者や分派を生んだ。分派の一つにCentro Nazionaleという政治組織がある。カトリック教会のために戦略的にファシズム政権を利用しようとした人々の集まりで、1925年から1930年まで存在した。その中心人物であるステファノ・カヴァッツォーニの回想録 (a cura di Leone Cavazzoni, Stefano Cavazzoni, Milano, Mariani, 1955.) を読み、Centro Nazionaleが政教条約獲得を第一目標に動いていたことを確認できた。
 フィレンツェ国立図書館では、Corriere d'Italiaというローマ発刊のカトリック日刊紙も調べた。同紙は、Centro Nazionaleの機関紙である。当初はイタリア人民党の実質上の機関紙であったが、親ファシズム派が編集部を握ったため、1923年に人民党指導部から除籍処分を受けた。研究で扱っているジューリオ・デロッシ・デッラルノという人物が1927年まで同紙の編集者をしていたので、1925~1927年分に目を通し、署名記事を探した。史料の保存状態が悪く欠損も多かったため、1本しか署名記事を見つけることができなかった。
 博士論文については、現地指導教官に提出済みの第一章の修正を続けている段階である。隔週程度で面談してもらい、史料・先行文献の補充から、論理構成、イタリア語表現にいたるまで、丁寧な指導を受けられている。第一章の一部分を学術誌への投稿用として提出していたが、内容に関してはまずまずの評価をえられたものの、採用には先行文献の補充と本文の修正が必要という指摘を受けた。このため、夏季休暇明けに再提出する予定である。博士論文の第二・三章に関しては、執筆よりも、3月にバチカン秘蔵文書館で入手した史料の読み込みに時間を費やした。書類はコピーしたものだが、元が手書きのため、判読するのに苦労した。人名を中心にまだ判読できていない箇所もある。来月は、文書館などが総じて夏季休暇に入るため、ピサで博士論文の執筆を進める。

このページの先頭へ