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2012年5月 月次レポート(廣田郷士 フランス)

月次レポート(5月)

廣田郷士(博士前期課程)

 今月はフランス大統領選の決選投票とその結果の政権交代があり、パリは大きな政治的熱狂に包まれました。5月1日のパリ市内のメーデーでは政権交代を目指す熱烈なデモが続き、ついに17年ぶりに左派大統領が誕生するという歴史的な月でしたが、その熱狂の中でフランスは今年も「5月10日」をむかえました。
 「5月10日」とは、2001年にいわゆる「トビラ法」によって、フランスが国家として初めて奴隷制度を「人道に反する罪」として認めた日を指します。2001年以降毎年5月10日には公立学校では奴隷制に関する授業が開かれ、また市役所初め公的機関の多くで奴隷制をめぐる映画上映や討論会などが催されています(なおこの法律に対してはピエール・ノラをはじめ多くの歴史家が異をとなえましたが、ここではそのことには触れないでおきます)。今年度もこの時期に合わせてパリ市内各地では催しが開かれ、その幾つかに参加する機会を得ました。
 まず、5月4日にパリ13区のFMSH(Fondation Maison des sciences de l'homme)で開かれたセミナー「知の脱植民地化」に参加しました。クリスチアーヌ・シヴァロン(歴史学)、フランソワーズ・ヴェルジェス(政治学)両氏による発表で、司会は昨年パリ第7大学でフランツ・ファノンに関する博士論文を提出したマチウ・ルノー氏がつとめました。本セミナーではとりわけヴェルジェス氏の発表からは大きな示唆を受け、またフランスの植民地主義は「植民地において同意を作り出すこと」であるというヴェルジェス氏の言葉は印象的でした。この話は19〜20世紀のフランス植民地政策や制度的なレベルに限定された話ではなく、むしろ知のレベルで深刻な状況にあると言えます。特にフランスの文脈においては植民地主義や奴隷制について議論を展開する際には、必然的にフランスの理念的な共和主義・普遍主義と対峙せざるを得ません。平野千果子氏の先駆的研究が示唆するように、奴隷制からの黒人の解放と人類普遍の理念の伝播が口実となり、19世紀後半以降フランスは植民地拡充政策を進めて行きます。今日の言説においても、奴隷制解放はフランス共和主義の「脱線」としてしか捉えられず、むしろ奴隷解放を通じてフランスの普遍的理念を実現したと語られてしまいます(一例を挙げれば社会学者のパトリック・ヴェイユの奴隷制に関する議論も、これと同じようなフランス共和主義の立場からの議論に収斂してしまっています)。制度的なレベルにとどまらず、奴隷制・植民地主義の議論は根本的にフランス共和主義を批判するとこまで達せず、逆にほとんどが共和主義の言説に回収されてしまい、共和主義に対する知的な「同意」としかならなかったのです。
 そのような共和主義による「同意の生産」のプロセスをふまえ、ヴェルジェス氏は2つの学問の重要性を主張していました。1つは地理学、もう1つは考古学です。西欧の杓子定規による=統治を目的とするこれまでの地理学とは別に、被植民者による「風景の読解」を主題とした地理学、そして公式の歴史には現れない歴史の「痕跡」を目指す考古学です(とりわけ奴隷制に関する考古学の成果は今日では目覚ましいものがあるとのこと)。2つの学問的成果から西欧の知の体系を組み直しと被植民者の側の新たな主体性の探求の可能性をヴェルジェス氏の発表から聞き取ることができました。本報告者の観点から言えば、「風景の読解」と「痕跡」の探求とは、ヴェルジェス氏の提起を待たずとも実はエドゥアール・グリッサンが既に70年代から顕在化させていた問題系なのです。このセミナーを通じ、グリッサンの先駆性と今日のポストコロニアル・スタディズとの共通性を学ぶことができたのは貴重な機会でした。
 またこの時期に合わせて、奴隷制史の調査のためナント市を訪れました。ナントは17世紀以降フランス最大の奴隷貿易港として栄えた町で、またジャン・マルク・エロー現フランス首相がナント市長だった時代に、奴隷制に関するメモリアルなどが市内に作られました。特に今年3月にオープンした奴隷制メモリアルは、規模こそは小さいものの、モンテーニュからセゼールに至るまで奴隷制に関する様々な著作からの引用を展示するという施設で、多くのナント市民を集めているようです。市内を流れるロワール川の川岸には、ナントを出港した全ての奴隷船の名前が刻まれていました。市内の歴史博物館の一角は奴隷制の展示コーナーを占め、奴隷制の記憶に街全体が向き合いつつあるという印象でした。他にもナント市内には「海外領の記憶」という展示サロンもあり、報告者が訪れた際もカリブ地域の奴隷制度に関する展示が行われていました。他にもナント市図書館ではエメ・セゼール展が開かれていたりと、報告者の研究にとって充実した滞在をすることができました。
 今月は主に奴隷制及び植民地主義の議論に関しての報告でしたが、あわせて今月も「全-世界学院」のセミナーに参加しながら、資料の読解を進めました。これからパリはしばらく過ごしやすい気候が続きますので、じっくりと研究に集中して行きたいと思います。

 

Hirota5-1.jpg写真:ナント市の奴隷制メモリアル

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