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2012年5月 月次レポート(新谷崇 イタリア)

月次レポート 2012年5月
新谷崇(博士後期課程)
派遣先:ピサ高等師範学校(イタリア)

 5月は学術誌投稿用に論文を執筆した。現地の指導教員に提出し、近日中に面談する予定である。博士論文については、執筆済みの第1章に手直しを加え、第2章の執筆を進めた。また、ジェノバとフィレンツェで雑誌史料を入手した。
 フィレンツェでは、これまで同様、国立図書館で作業した。前述の投稿論文用に雑誌史料を確認する必要があった。博士論文ではファシズム政権とバチカンの関係を研究しているが、人種法の導入(1938年)と第二次大戦(イタリアの参戦は1940年6月)を契機に両者の関係にどのような変化が生まれたか調べたかった。教皇ピウス11世(在位1922-1939)を中心にバチカンは、イタリアのナチス接近に否定的であった。教会組織に属さないカトリック知識人が刊行していた週刊雑誌Italia e Fedeが人種法とイタリアの参戦を支持する論調を掲げた際に、カトリック教会は介入したのか否か、雑誌側はどのような対応をしたのか、ファシズム政権はどう取り扱ったのかについて、これまで入手した史料に加えフィレンツェ国立図書館の史料で確認した。今回の調査の成果は博士論文の一部ともなっている。
 一方のジェノバでの作業は、リグーリア地方のカトリック日刊紙Il Cittadinoの入手であった。ジェノバはピサから電車で約2時間、主要な都市間ではあるが意外に本数は多くはない。史料を所蔵しているリソルジメント博物館は、イタリア独立の英雄ジュゼッペ・マッツィーニ(1805―1872)の生家にあり、展示部分の他に図書館を併設している。そこで、Il Cittadinoの1925年から27年までの誌面に目を通し、同誌の編集長の署名がついた記事を中心に入手した。デジタルカメラでの撮影が許されたので大いに助かった。
 イタリアには1919年結成のカトリック政党・イタリア人民党が存在した。しかし、ムッソリーニが政権に就いたことで内部分裂をおこす。人民党内のファシズム支持者は、脱党しファシスト党に加入あるいは新たな政治グループを作るなどした。こういった政治状況は地方の人民党支部にも影響した。ジェノバは反ファシズムで議会主義的な傾向が強い地域であった。Il Cittadinoも当初は反ファシズムの論陣を張っていたが、1925年に編集部が親ファシズムのグループに握られ、紙面の傾向が大幅に変わる。この時期の紙面分析を通じ、ファシズムを支持するカトリックグループがどのように動いたかを明らかにする。じっくり分析して博士論文に成果を反映させるつもりである。

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