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2012年5月 月次レポート(フィオレッティ・アンドレア イタリア)

月例レポート(2012年5月、博士後期課程 フィオレッティ・アンドレア)

 5月2日〜4日にローマ・ラ・サピエンツァ大学でおこなわれた多文化研究セミナー「他者の読み----翻訳/書換え、眼差し、表象」"La lettura degli altri. Traduzioni/riscritture, sguardi, rappresentazioni"に参加しました。ヨーロッパおよび非ヨーロッパの文学を専門とする研究者が集まり、翻訳理論や比較文学をめぐる多様な主題が論じられました。特に興味深く思われたのは、初日と最終日の発表で、前者は「翻訳/書換え」を、後者は「表象」をテーマとしたものでした。以下に自分の研究にも参考になったいくつかの発表の概要を報告します。
 フランス古典文学を研究するArianna Punzi (アリアンナ・プンツィ)教授は"Riscrittura come lettura "altra" di un testo: il personaggio di Galeotto, signore delle terre lontane" (「テクストの"読み替え"としての書換え:遠い土地の君主ガレオットなる人物をめぐって」)という題目で発表し、次のような問題を取り上げた。読者の眼差しはテクストに現代的な意味を与え、テクストを変化させ、翻訳し、検閲する。印刷が発明されるまでは、テクストの運命は写字生の選択に託されていた。写本には、それを写した者と、時間の経過の中でそれを読んだ者の痕跡が残っている。印刷の時代以前には、書くこと、読むこと、写すことは、明確に分けられた行為ではなく、作者とは読者であり、写字生でもあった。ダンテの『神曲』などに出てくるガレオットという人物は、書き換えや再読の過程を通じて、原典である「ランスロ=聖杯サイクル」に表れていたのとはまるで異なる特徴を示すようになる。
 次に、スラブ語研究者であるLuigi Marinelli (ルイージ・マリネッリ)教授の "La riscrittura teatrale come lettura, sguardo e rappresentazione dell'Altro: la Classe morta di Tadeusz Kantor"(「〈他者〉の読書、眼差し、表象としての、演劇の書換え:タデウシュ・カントールの『死の教室』」)について。この発表では、アイデンティティ(テクスト)と他者(読者/享受者、実行者/役者)の出会いの場としての読書について論じられた。トドロフが言うように、読むこととは自己中心主義を超える行為であり、読書を通して他者との出会いが行われ、他者の観点をとることができる。演劇もまた自己中心主義を超えることに結びついており、そこには読書を補強する効果があるとみなせる。その代表的な例として、1969年にLudovico Ronconi(ルドヴィーコ・ロンコーニ)とEdoardo Sanguineti(エドアルド・サングイネーティ)が上演した『狂えるオルランド』Orlando Furiosoをマリネッリ教授は挙げた。また、ピーター・ブルックによれば、演劇とは、ある出来事を強烈に体験すると同時に、ある程度の自由性を保つこともできるという、二重のイリュージョンが行われる空間である。その意味で演劇は、映画より優れているのかもしれない。イメージが知覚されるや、それ以外のことを考え、感じ、想像することができなくなる映画とちがい、観客を絶え間なく巻き込みつづけるからだ。こうした観点から、ポーランド人劇作家タデウシュ・カントールの傑作『死の教室』も解釈されなければならない。
 ドイツ文学を研究するCamilla Miglio(カミッラ・ミリオ)教授の発表は、 "Lettura e risposta etico-estetica. Ungaretti e Celan traducono i sonetti di Shakespeare"(「倫理(エティコ)/美学(エステティコ)的な回答としての読書。シェイクスピアのソネットを翻訳したウンガレッティとツェラン」)と題されていた。ウンガレッティやツェランのように20世紀的な「トラウマを受けた」詩人にとって、シェイクスピアのソネットを、独自の形式やイメージ(時間、人生、死、美、愛の)を用いて翻訳するというのは、彼ら自身が現代において問いつづけた問題への回答であった。翻訳を通して、遥かな過去に書かれた詩に再び形をあたえることが、倫理・美学的な回答となる。
 他にも、英文学のイラーリア・タットーニ教授、ロシア語学・文学のバルバラ・ロンケッティ教授、比較文学のフランカ・シノーポリ教授らが様々な文化事象を取り上げ、書換え、読み直しとしての翻訳というテーマに関する考察を紹介した。
 5月4日は、指導教員であるマストランジェロ教授も「読書としてのパフォーマンス:日本の落語をめぐって」というテーマについて発表し、落語のような話芸をいかに西洋人に紹介できるかを示した。最近ローマで評判の三遊亭竜楽という落語家はイタリア語で落語を上演している。その画像を見せながらマストランジェロ教授はこのようなイベントがいかにして実現できるかを説明した。竜楽はイタリア語の能力がないにもかかわらず、仕草といくつかの簡単な台詞の翻訳を駆使し、落語のような日本の伝統的な話芸のユーモアや滑稽さを伝えてみせるのだという。
 5月は、博士論文のための資料閲覧を続けながら、『にごりえ』の翻訳作業を進めました。翻訳はほとんど完成した状態になっています。6月26日~27日には、ローマ・ラ・サピエンツァ大学院のセミナーが開催されるため、そちらの発表準備にも取りかかるつもりです。6月の月例レポートではこのセミナーについて報告することにします。

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