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2012年3月 月次レポート(廣田郷士 フランス)

短期派遣EUROPA月次レポート(3月)

廣田郷士(博士前期課程)

 短期派遣EUROPAの支援のもと、本報告者は3月1日よりパリでの滞在を開始することができました。派遣初月ではありますが、早速研究のための地盤作り、セミナー等への参加、及び資料の収集・読解をスタートさせました。
 滞在第1週目よりさっそく、サン・ジェルマン・デ・プレ大通りに面するラテンアメリカ会館(La Maison de l'Amérique Latine)にて催されている、「全-世界学院」(l'Institut du Tout-Monde)のセミナーに参加しました。「全-世界学院」は、報告者が研究で取り組んでいる作家エドゥアール・グリッサンのイニシアチブのもと設立された機関で、フランス海外県のみならず、広く「全-世界」の文化、言語、芸術の交流の場として機能しております。
 「全-世界学院」のセミナーは、報告者の派遣先であるパリ第8大学と共同で運営されており、本年度はエドゥアール・グリッサンの没後1年ということで、「エドゥアール・グリッサンの伝達と変容」(Transmission et métamorphoses d'Edouard Glissant)と題し、研究者や作家が毎回グリッサンの仕事をめぐり発表・討論をするというセミナーが、定期的に催されています。
 滞在から数えて初回のセミナーでは、イギリス人研究者セリーア・ブリトン(Celia Britton)氏による発表を聴講することができました。ブリトン氏の発表は、81年のグリッサンの大著『アンティーユのディスクール』以後の作品における「関係」(la Relation)という概念の変化に即しながら、グリッサンの展開するカリブ海のアイデンティティの観念をめぐるものでした。今月は他にもイタリア人画家ヴァレリオ・アダミ氏(Varelio Adali)による、イタリア滞在期のグリッサンについての講演を聞くことができました。
 また、本報告者の現地での受入教授である、パリ第8大学のフランソワ・ヌーデルマン(François Noudelmann)教授とも面談をしました。面談では、本報告者のこれまで取り組んできた課題、そして今後の修士論文のために取り組んでいる課題について説明し、ヌーデルマン教授より研究への助言を頂きました。本報告者は修士論文において、グリッサンが後期の評論作品において論じた「全-世界」というモチーフが、50年代から60年代のグリッサンの最初のパリ滞在期の評論作品においてどのように展開されているか、またそれは彼のいかなる思想遍歴から生まれたのかについて論じるつもりですが、ヌーデルマン教授からはまず、グリッサンの評論に取り組む上で読むべき研究書として、アラン・メニル(Alain Ménil)氏の『クレオール化の様々な道』(Les voies de la créolisation, De l'Incidence éditeur, 2011)という作品を教授頂きました。この本は昨年出版されたばかりの作品で、ヌーデルマン教授によればグリッサン研究者の間では大きな反響を呼んでいる作品ようです。ただ研究書というよりはむしろグリッサンの作品をめぐるエッセイのような作品で、ある種ウーリスティックな作品として、研究の一つの参考にしながら、そこから徐々に取り組むべき課題を先鋭化させていくのがよいと助言を頂きました。また同時に参考とすべき研究としてはロムアルド・フォンクーア(Romuald Fonkoua)氏の研究の重要性についても言及されておりました。
 報告者も早速このメニル氏の作品を入手し読解を始めましたが、700ページ近くもある大著で、独自の解釈からグリッサンを論じている作品であり、読み終えるにはなかなか一筋縄ではいかないという印象です。ただメニル氏の論点の中で強く興味を引かれたのが、メニル氏が本書序章において、パリという空間を「脱中心化する中心」と捉えている点です。19世紀以降フランスはアジア・アフリカに広大な植民地を抱え、パリがその植民地帝国の中心地として機能することになります。パリは役人や知識人を植民地へ派遣するだけでなく、とりわけ20世紀以降になると、各植民地から多くの現地の知識人や労働者がパリという中心地を目指して集まることになります。
 報告者の専門から具体例を考えてみると、ネグリチュードという黒人文学運動も、1930年代のパリという帝国の中心において生まれた文学運動ですが、この文学運動はアフリカ・カリブ地域の黒人作家が直接に結びつき合うのではなく、各植民地の黒人作家・知識人がパリという帝国の中心地で出会う(あるいは「出会わざるを得なかった」)という、いわばある種の迂回を通してしか出会い得なかったわけです。逆に言えば、この迂回を通じて、帝国の周辺/中心を根本的に問い直す文学や思想が展開されていくことになるのです。グリッサンも後期の評論においては、周縁/中心を崩す思考として「脱中心の思想」を論じていますが、メニル氏のパリという空間をめぐる論点と、グリッサンのパリ滞在期の経験とは、確かに重要な観点として報告者の研究にも多いに参考になると感じました。帝国の中心が不可避的に持たざるを得ない凝縮力と拡散力、およびそれがグリッサンの思想に対して与えた影響について、もう少し考えてみる価値があるように思われます。
 また、その他の資料としては、グリッサンのマルチニック県への帰郷後、すなわちインドシナ戦争、アルジェリア戦争、60年の「アフリカの年」を経て、旧フランス領植民地の大半が政治的独立を達成した時期に、なおフランスの庇護のもと集団としての政治的・文化的自立を獲得し得ないカリブ海の政治的・文化的問題に対して最も強く切迫感を抱きながら取り組んでいた時期の論考を中心に、収集・読解を進めました。具体的にはグリッサンが71年より生地マルチニック県で編纂・出版していた雑誌『アコマ』(Acoma, Presse Universitaire de Perpignan,(rééd.), 2005(1971))、及び81年にアラン・ブロッサ(Alain Brossat)、ダニエル・マラニェス(Daniel Magnès)両氏編集『アンティーユは袋小路か?』(Les Antilles dans l'Impasse ?, Editions Catibéennes, 1981)所収のグリッサンのインタビュー、ブロッサによるアンティーユ論「歴史の終わり?」(《Fin de l'Histoire ?》)などです。ここからさらに、時代を遡って、50年代から60年代のグリッサンに徐々にアプローチしていくつもりです。
 さらに研究に関連するイベントとして、今年生誕100年になるギュイヤンヌ県出身の詩人レオン・ゴントラン・ダマスを主題とした文学対談、また日本の詩人吉増剛造氏とマルチニック県の作家パトリック・シャモワゾーの文学対談「島が持つ可能性」(La Possibilité des îles)などを聴講することができました。パリでは文学・思想関連の多くのセミナーやイベントが催されており、報告者の専門に通じるものとしては他にもフランツ・ファノン及びアルジェリア戦争関連のコロックなども開催されていましたが、こちらのほうはスケジュールの都合で参加することはできませんでした。
 パリに滞在していると、資料やイベントを通じて多くの知識や情報を得ることができる一方で、そこに深入りしすぎることによって逆に本来取り組むべき関心や問題系が拡散してしまう危険性があることも強く感じます。目下の課題を忘れることなく、パリ第8大学及び全-世界学院でのセミナーや授業に参加しながら、引き続きパリでの研究を続けて行く次第であります。

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