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2012年1月 月次レポート(中村隆之 フランス)

短期派遣EUROPA月次報告書1月

中村隆之(東京外国語大学リサーチフェロー/フランス社会科学高等研究院)

パリでの研究滞在も残すところ3ヶ月となった。今月も先月同様月に一度開催されるエメ・セゼールをめぐるセミナーに出席し、また、アフリカ美術専門のダッペール美術館(パリ市内)を見学した。先月の月次報告では、ブリュッセルで訪れたベルギー王立中央博物館、研究に関係する博士論文審査およびセミナーへの参加を中心に書いたが、今月はこれまでの研究の進捗状況にしぼって報告をおこないたい。

10月の月次報告書より、現在、本の執筆に取り組んでいることを報告してきた。この本の構想は、2009年にフランス海外県グアドループ島からはじまり、同じく海外県の島々(マルティニック島、レユニオン島)を巻き込んでおこなわれた長期のゼネラルストライキのインパクトに端を発している。ゼネストは、端的には賃上げ要求であり、慢性的な物価高を背景に生活必需品の価格の引き下げを求めるものだった。なぜゼネストは起きたのか。海外県はどのような問題を抱えているのか。そうした問いが構想の出発点にある。短期的な視座、すなわち海外県化以降の諸問題については、すでに別の論考で書いたことがあった。今回はコロンブスの「カリブ海発見」からはじまる数世紀のマルティニックおよびグアドループの「歴史」を射程にいれた、より大きな構想のもとでこの課題に取り組んでいる。

執筆にむけた準備を開始したのは10月からであり、今月、ようやく第1章を完成させることができた。第1章は、海外県問題の背景をめぐり、コロンブスの「発見」以前の先住民世界の話から、ヨーロッパ人の入植、カリブ海への奴隷制の導入、そして廃止にいたるまでの歴史的経緯をたどっている。その経緯はきわめて複雑である。その経緯を把握するのに関連する日本語で書かれた歴史書を読むことができたのは、きわめて有益だった(今月、日本に一時帰国して資料収集に当たったことはたいへん大きかった)。マルティニックとグアドループについての通史は日本では紹介されていないため、パリの図書館で借りてきた歴史書に取り組む日々を送った。

くわえて、奴隷制についてはじつに厄介な議論がある。植民地の奴隷制がヨーロッパ経済の発展に果たした役割は誰もが認めるところである。しかし、いったいどの程度の役割を果たしたかについては、歴史家によって見解が異なってくる。イギリス史では黒人歴史家エリック・ウィリアムズの古典的学説(奴隷制は産業革命に不可欠かつ決定的な役割を果たしたという説)をめぐって議論が交わされてきたが、フランス史においてはウィリアムズと同種の説が正面から唱えられてきたということはそもそもなさそうである(例外はトリニダード出身の黒人歴史家の書いたハイチ革命史『ブラック・ジャコバン』で、これはウィリアムズに着想を与えたものでもあり、当然といえば当然だ)。これには、フランスでは工業化の段階がイギリスに比べて遅かったことや、奴隷貿易の数もイギリスよりも少ないため、事情が異なるという背景が指摘できる。それだけでない。フランスでは共和政期に2回奴隷制が廃止されている。この理由をどう見るのかも厄介なのである。奴隷制廃止は共和主義的理念に基づいてなされたとどの程度まで言えるかどうか......等々、20世紀の文学研究から出発した者にとって、歴史の見方にかかわる大きな問題に取り組むことになってしまい執筆には予想以上に苦労したが、資料との「格闘」をとおして、自分なりに納得できる道筋を引くことはできた。この第1章については、プロローグをふくめて近々人文書院のWEBに公開されることになっているので、ご覧くだされば幸いである。


 

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