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2012年12月 月次レポート(鈴木佑也 ロシア)

2012年度12月月次報告(鈴木佑也)

 今月はアーカイヴでの作業をいったん切り上げ、2月にこちらで開催される学会に参加するための報告書作成準備に時間を費やすこととなった。この学会は現地の日本文化および歴史に関するものではあるが、現在取り組んでいる研究テーマで扱う建築家にも関連がある。その建築家とはフランク・ロイド・ライトとブルーノ・タウトでる。二人はともに1930年代にソヴィエトを訪問し、タウトはいくつかの建築物の設計をまかされ、ライトは設計こそ行わなかったものの第一回ソヴィエト建築家会議に出席し、近代建築ないしはモダニズム建築の観点から当時全体主義に傾いていったソヴィエト建築を概観し、自らの建築観をリンクさせた報告を行っている。両建築家共に1920-30年代にかけて我が国の建築に影響を与えた一方で、同時期のソヴィエト建築界においてはそれほど影響を残さなかった。文化背景や日本とソヴィエトに対する彼らの親近感が異なるといえども、政治的背景とそれに結びつきを求めた建築潮流は似ているところがあった。このことに立脚すれば、受け入れ先(当時の日本建築界とソヴィエト建築界)の温度差は全体主義と見なされる政治体制にある程度の幅があり、また一方で近代建築やモダニズム建築の代表者として括られていた当の建築家達にとって自らの建築活動の中でそうした全体主義ないしはその建築潮流というものがどのように受容されていたかという差を示すことになる。飽くまで比較分析となるが、1930年代のソヴィエト建築状況の特質を把握する上で助けとなる。このようなテーマで発表するための概要を作成し、提出期限が12月25日であったため、ほかの作業を切り上げて取り組むこととなった。新年明けからはこの会議で発表するための原稿作りと発表の際に用いる資料をまとめることになる。
 この日本との接点に関連して、先月の報告書で記した第一回ソヴィエト建築家会議の企画段階(1933−35年頃)でソヴィエト建築界はゲストとしてフランク・ロイド・ライトのように日本からも当時活躍していた建築家ないしはその関係者を招聘することを考えていた。このことは今までの報告書で述べてきたようにアーカイヴの資料によって明らかになったことであり、この時代の研究においてあまり取り扱われていない点である。ただし、これを補足するような二次的な資料、つまり日本側の資料が現段階では集められないため保留している。日露ないしは日ソ交流という分野にはならないが、建築分野という観点からこの時代に交流とまではいかないがソヴィエト側からの興味があったとすれば、それは何に基づいていたのか。当時(1930年代)の日本の建築潮流を勘案すれば、先月の報告書で触れたコルビュジェの下で学んだ建築家(前川國男、坂倉順三)が建築界で活躍し始めた時期でもある。一方でタウトが日本の伝統建築の中にモダニズム建築の要素を見いだし、その視点がモダニズム建築を支持する日本の建築家達にも広まり始めた時期であった。全体主義体制に傾きつつあったとはいえソヴィエトとは異なる建築潮流が生み出されており、そうした点に着目してソヴィエト側から興味が持たれたか否かを、残された時間の中でまとめることができればと考えている。

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