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2012年11月 月次レポート(鈴木佑也 ロシア)

2012年度11月月次報告(鈴木佑也)

 今月もアーカイヴでの作業でほとんどの時間を費やした。しかしながら、収集するべき資料はほとんど集め終えたと思う。これは私だけかもしれないが、資料を集めている段階(資料を書き写している段階)では一応目を通しているのだが、おおよそ半分くらいしかその資料の内容を覚えていない。そのため、二度目を通すことになり、時間を無駄に費やしてしまう。この点を解消するために、様々な方法を試みているが、現段階ではテーマに関連するキーワードを設定して、それに関連する情報を適宜別途で記すということを行っている。一定量の情報を集めると、一見して関連のない情報が散乱することになるが、それらに自分の思いつくテーマに沿って関連付けをしていくと一つの大まかな流れができる。これをそのときに取り組んでいる研究テーマとどのように関連ないしはそれと位置づけが可能かということを検証すると一つの論文構成になる。まだ試行段階であるので、なかなか合目的的にまとまらないが、無駄な時間を減らすためにも今後試行しながらこうした方法論をしっかり身につけて今後の研究に活かしていきたい。
 上記した集めた資料の中で気になった点を今回は記してみたい。ソ連の建築家が一つの団体に所属し、政府の方針に従った建築を創造することを採択した第一回ソ連建築家同盟会議を調べているのだが、この会議を開くための下準備に約5年の時間が費やされている。このことは第一回であるから色々と試行錯誤したためそれだけ時間がかかったということも言えるだろうが、長いと言わざるを得ない。例えば、当時の大型建築競技設計の準備でも1年から2年掛かっている。会議と建築競技設計を比較するのは適切ではないかもしれないが、実際の建築物を考案するよりもその根幹となるコンセプトや方針といったものがそれほど重用されていたということがこの比較から見えてくる。こうした特徴は、当時のソヴィエトと同じように一党独裁ないしはそれと似た状況におかれていた国の建築状況と比較して、さらに突き詰めていく必要があるだろう。
 またこの会議のために、当時開催された国際会議へのソヴィエト建築家の参加が取捨選択されている点である。先月触れたフランスの建築家、ル・コルビュジェが中心となって設立されたモダニズム建築を推進するCIAMがモスクワでの会議開催を提案し、ソヴィエト側もその提案に賛成し具体的に話が進められるが、結局のところ開催はされなかった。この審議が進められる中で、モスクワ以外の都市でCIAMは会議を開催しておりソヴィエト建築家を招待しているが、ソヴィエト側から参加した建築家はいない。一方でCIAMに比べて当時あまり影響力がなかった国際建築家会議においてはソヴィエト側から参加者が輩出されており、建築界においてもこの会議出席のための積極的な経済的な支援が行われている。このことはソヴィエト建築界が向かおうとしていた方向性と関連している。つまり、モダニズム建築に関しては国内ではもはや「過去」の建築潮流であり、その違いをソヴィエト国外に認識させるため国内においてその国際会議を開催し、自らの影響下に置こうとした。一方でそういった立場が曖昧であるが、歴史ある国際建築家会議では外にソヴィエト建築家を出すことによって、イデオロギー色で突出したソヴィエト建築をより目立たせようとした。こういった考察を深めるにはさらにソヴィエト建築界と国外建築家団体の関係を見ていく必要がある。だが、この関係性に先に述べてきたソヴィエト建築家同盟会議との関連性を見つけることができればと考えている。
 短期間でこのことを結論づけるのは至難の業であるが、落としどころを考えながら次の月では研究を進めていきたい。

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