トップ  »  新着情報  »  2012年10月 月次レポート(新谷崇 イタリア)

2012年10月 月次レポート(新谷崇 イタリア)

月次レポート 2012年10月
新谷崇
派遣先:ピサ高等師範学校(イタリア)

 10月は、投稿用論文の最終的な手直しを目標とした。現地受け入れ教員のメノッツィ先生のアドバイスに従い、最近刊行された研究論文の成果を取り入れて、大幅に書き直した。バチカン秘蔵文書館で得た史料の分析成果も新たに書き加えた。論文をメノッツィ先生に提出し、評価を待ちたいと思う。
 また、派遣先の大学では、10月中旬から新学期が始まった。メノッツィ先生の授業に参加することにした。授業は前年同様に、週二回、各二時間でおこなわれる。今年度のテーマは、「宗教の政治化と政治の神聖化」で、私の研究内容と合致していると思われるので、博士論文の執筆計画の妨げにならない程度に出席することにした。授業では、フランス革命から、イタリア統一、ファシズム、戦後までの、政治と宗教の双方のプロパガンダについての解説と、共通テーマに沿った学生による報告がおこなわれる。
 これまでのところ、ピウス9世(在位1846-1878)以降の教皇が、社会の世俗化やイタリア統一後の自由主義政府に対抗するために、「聖母無原罪の御宿り(Immacolata concezione)」の信仰箇条(dogma)、バチカン巡礼の組織、教会への寄付(Obolo)、祝祭日などをどのように用いたかについて議論した。とくに、寄付と巡礼の組織化は興味深かった。1870年のイタリア王国政府のローマ併合以降、教皇が「バチカンの囚人」と称したことは有名であるが、古代ローマ帝国によって殉教した使徒聖ペトロになぞらえて表象し、対イタリア政府のプロパガンダをおこなったのは初耳だった。さらに、ルイ16世とともに革命の殉教者というイメージでピウス9世を描き、教皇を解放するという旗印の下、世俗主義に対する闘争をバチカンはおこなった。その際に、当時整備され始めた鉄道を活用して巡礼を組織し、新聞で信者に参加を呼びかけて、信者の動員をおこなった。加えて、各教区単位での寄付が大きな影響力を持った。寄付は19世紀後半のバチカンの歳入において3分の1を占め、当時のイタリア政府も頭を悩ませたという。寄付をした信者は、新聞に氏名が掲載され、そのことがまた寄付に拍車をかけるというメカニズムになっていた。
 上記のテーマと関連して、授業で紹介された以下の二つの文献も、興味深かった。各教皇の聖なるイメージがどのように形成され、戦略的に利用されたかを論じたRoberto Rusconi, Santo padre. La santità del papa da San Pietro a Giovanni Paolo II, Viella, 2011、「聖母無原罪の御宿り」の整備とマリア出現の奇跡を研究したBouflet Joachim e Boutry Philippe, Un segno nel cielo. Le apparizioni della Vergine, Marietti, 1999、である。
 11月も今月同様に、授業に出席しつつ、博士論文の執筆を進める予定である。

このページの先頭へ