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2011年8月 月次レポート(岩崎理恵 ロシア)

2011年8月月次報告


報告者:岩崎理恵
派遣先:ロシア国立人文大学

 8月は、前半は「動」、後半は自宅や図書館にこもって作業する「静」の時期にはっきり分かれていた。
 まず8月5日から14日にかけて、フィンランド及びバルト諸国を訪れた。主な目的は、昨年7月に実現できなかったヘルシンキ大学図書館での資料収集である。
 ヘルシンキ大学のメイン・キャンパスは市の中心部にあり、その中に専門分野別の図書館が点在しているが、その多くは夏休みの間、限られた曜日や時間にしか利用できない。が、フィンランド国立図書館も兼ねている中央図書館だけはほぼ毎日開いているため、同館の施設見学も兼ねて、スラヴ研究文献に目を通しにいきたいと考えていた。

 1640年に開設されたフィンランド国立図書館は、エメラルド・グリーンのドームが美しいヘルシンキ大聖堂の真向かいにある。近隣諸国から旅客船が到着する港や、隣接する「マーケット広場」を含む観光地区にも近いためか、入ってすぐのホールには観光客向けの展示も設けられ、特に身分証明書を提示する必要もなく入ることができた。係員に「スラヴ研究」セクションを利用したい旨を話すと、入り組んだ場所にあることを断わりながら行き方を説明し、笑顔で"Good luck!"と送り出してくれた。

 ロシアでは国立図書館を始め、大学図書館なども基本的に閉架式で、利用者はリクエストを提出し司書に本を取り出してきてもらわなければならない。本や雑誌の必要な部分がピンポイントで分かっている場合はよいが、全集などで、どの巻に何が収録されているか不明な場合、また該当分野でこれまでに書かれている文献をざっと眺めたい、などという場合には不向きなシステムである。
 ヘルシンキ大学の図書館は、日本の大学図書館などと同様開架式で、本や雑誌を実際に手にとって見ることができる喜びを久しぶりに味わった。とりわけすばらしいと思ったのは、学術雑誌のコーナーに、フィンランド国内はもとより英語圏、ポーランド等で発行されている主要なロシア・スラヴ研究雑誌がずらり並んでいたことである。例えばロシア国立図書館では"Slavic& East European Journal"の蔵書が70年代で途切れているのだが、ここには現在に至るまでのバックナンバーが揃っていた。日本の雑誌では、北海道大学スラブ研究センターの発行する"Slavic Eurasian Studies"と、欧文誌"Japanese Slavic and East European Studies"が入っているのを確認した。また、バルト三国・北欧諸国とロシアの関わりを論じる場として、ピョートル大帝記念人類学・民俗学博物館(クンストカメラ)の主催する「スカンジナヴィア講座」や「サンクトペテルブルグと北欧諸国」等の学会があることを論文集で知った。が文化面、特に文学上の接触についての研究は、タリン発行の「スカンジナヴィア論集」の方が比重が高いように思った。

 各セクションには備え付けのコピー機があり、コピーカードを別に購入すれば自分で複写もできる。また資料閲覧用の長机のほかに、10名程度の入れるブース式の作業コーナーが設けられており、休日もパソコン持参で通ってきている研究者がいた。ヘルシンキ大学付属の高等研究院では海外からの客員研究員の招聘も積極的に行なっているようだが、この環境なら不足はないだろうと思った。

 図書館での調査のかたわら、ヘルシンキ市内を散策したり、日帰りできる距離にある地方都市、トゥルクとタンペレも訪れた。トゥルクはフィンランド最古の都市で、ラトビアのリガやエストニアのタリンと同様かつてはハンザ同盟都市として栄え、1812年までは首都が置かれていた。1940年、「冬戦争」時にソ連軍の爆撃を受けているが、その折の破壊の痕が未だに残された建物があり、市民はその傍らでバスを待っている。ヘルシンキからの特急列車の中では、林と畑の広がるのどかな景色を楽しむことができた。どこでも英語で十分用が足りるし、概して外国人に対する排他的な雰囲気はなかった。ロシアでは研究以外の部分での苦労が多く、今後しばらく長期滞在する予定はないが、フィンランドならば来てもいいなどと思った。

 帰国後は、9月中旬のブローク学会での報告をまとめる作業に本格的に取り組んだ。文献閲覧のためロシア国立図書館にも足しげく通ったが、引っ越しの際に決め手になった、図書館から自宅まで乗り換えなしで5駅というアクセスの良さを改めて実感した。
 今回の論文ではワグナーのオペラ四部作「ニーベルングの指輪」のテキストとブロークの詩の関わりを論じる部分があり、リブレットを参照するため、楽譜やレコード・CD等の録音データを所蔵している国立図書館別館「パシュコフ邸」も訪れた。リクエストを提出する際に「学生か、演奏者(исполнитель)か?」と尋ねられ気づいたのだが、こちらの図書館はスコアなどを研究しに来る指揮者や演奏者、音楽学校の教官や学生等が主に利用するので、そうした雰囲気の違いなども新鮮だった。

 近年は、インターネット上の無料データベースにも便利なものがある。論文の中で、ブロークの詩作における「王女」の形象と民話の関わりについて言及するため、A.アファナーシエフの採録したロシア民話等にも大量に目を通さなければならなかったのだが、必要な資料を絞り込む上で基礎電子図書館「ロシア文学とフォークロア」(http://feb-web.ru/)が役立った。このサイトではフォークロア文学のみならず、それらを元に書かれたプーシキンやジュコフスキー等の文学作品、В.プロップによる民話の構造分析研究なども広くカバーしているのがありがたかった。
 また、タルトゥ大学スラヴ人文学科の公式サイト"Ruthenia"は「スキャン・オン・ディマンド」(http://www.
ruthenia.ru/document/437769.html
)というサービスを提供している。これまでに同大学で発刊された学術雑誌の目録から参照したいものを選んでリクエストすると、論文のPDF版スキャンデータを折り返し送ってもらえる。また同じデータが"Ruthenia"のホームページ上にアップされ、皆が広く共有できるリソースとして活用できるようになるというものだが、筆者の研究分野に直接関わる「ブローク論集」以外にも「ロシア・スラヴ人文学論集」、タルトゥ大学で開催された学会の論文集等の宝庫を抱える同学科が、率先してこのような取り組みを行なってくれているのは心強い限りである。ロシア国立図書館では、これらの論文集はモスクワ郊外のヒムキにある別館に保管されているが、今夏はこの別館が閉鎖されていたため"Ruthenia"のサービスに大いに助けられた。
 
 8月もモスクワの暑さは相変わらずだったが、研究面では作業もはかどり充実していた。5月以降、年頭に立てていた研究計画を見直し、7・8月は徹底して「インプット」の期間に充てることにしたのだが、おかげでこれまで断片的にしか見えていなかったものが、一つのまとまりとして把握できるようにもなった。特に7月以降、改めて詩テキストにあたる、先行文献を読み直すなど、出発点に立ち返るような作業を意識的に行なってきたが、それが単なる繰り返しに終わらず、新しい意味を持って開けてきているように感じる。9月の学会報告に向け、一つのテーマを掘り下げ、掘り下げていくうちに、ようやく水脈を探り当てたような手ごたえもあり、指導教員からどのようなフィードバックがあるか、楽しみにしている。

 

 

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