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2011年5月 月次レポート(岩崎理恵 ロシア)

2011年5月 月次報告

                                                                                                                                           報告者:岩崎理恵
                                                                              遣先:ロシア国立人文大学

 これまで2月、4月は学会発表、合間には引っ越しと慌ただしく過ごしてきたが、5月は多少ゆとりを持って研究を進められる時期に当たっていた。月末に学会報告を行う予定ではあったが、開催地はモスクワで、移動に伴う煩雑さはないので、派遣先の人文大学でじっくり授業を聴講することもできた。

 詩、演劇、散文それぞれについて行われる文学作品分析の授業は、文学部2年生の必修科目である。先学期はタマルチェンコ教授の散文の作品分析の授業を聴講したが、学生に質問を投げかけながら観察眼を開かせ、個々の「気づき」をまとまった「分析結果」にまで持っていけるよう導いていくやり方など、教える側の立場から参考になる点が多々あった。今学期はタマルチェンコ教授の勧めにより、ラヴリンスキー教授の戯曲の作品分析の授業を聴講することにした。

 授業では、第1回が戯曲に関する専門用語などについての概論、その後は講義2回につき戯曲1作というペースで実際のテキストに当たり、読解・分析の作業を行なった。取り上げる作品は、A.オストロフスキーの「雷雨」、チェーホフの「桜の園」、ゴーリキーの「どん底」といった古典作品が中心だったが、最後の2回の講義で扱った現代劇作家オリガ・ムーヒナの「ユー(Ю)」は、
 「チェーホフ的なもの」を色濃く引き継ぎながら(実際、「ユー(Ю)」はチェーホフ名称モスクワ芸術座で舞台化されている)、ハルムスの不条理さやブラックな笑いを混ぜ込んだとも言える現代劇で、ウィットに富んだセリフ回しといい、非常に楽しんで読むことができた。

 作品理解の一助になればと、授業聴講のかたわら劇場に足を運び、実際の舞台を観ることにも時間を割いた。モスクワには星の数ほど劇場があるが、自然、古典作品をレパートリーとするモスクワ芸術座(チェーホフ名称、ゴーリキー名称)、マールイ劇場などに通うことが自然と多くなった。
 「桜の園」は複数の劇場で上演されており、前述のモスクワ芸術座や「ソヴレメンニク(現代人)」劇場、レンコム劇場など、それぞれの演出を見比べながら鑑賞することができた。
 主役のラネーフスカヤ夫人は各劇場のベテラン女優が演じることが多く、登場の際には自然と拍手が沸く。ゴーリキー名称モスクワ芸術座では、同劇場の芸術監督でもあるタチアーナ・ドローニナ自らラネーフスカヤを演じるとあってか、ファンらしき年配の女性客が多く、カーテンコールでは花束を手渡す人、プログラムを差し出してサインを求める人が後を絶たなかった。一方、チェーホフ名称モスクワ芸術座では、女優兼映画監督、さらにシナリオ・ライターでテレビ司会者も務めるというマルチな才能を持つレナータ・リトヴィノワがラネーフスカヤを演じていた。リトヴィノワはまだ40歳過ぎで、この役を演じるには若すぎるのだが、「現実離れした、ちょっと頭の弱い美人」というイメージをうまく作り上げており、世間知らずのお嬢さんがそのまま年を取ってしまった感じの役柄と重なる「らしい」解釈で、これはこれで悪くないと感じた。
 一家の老僕「フィールス」役も、各劇場でも最年長クラスのベテラン俳優がそれぞれ個性を競っており、いつも拍手と笑いで迎えられていた。レンコム劇場で、1970~80年代のコメディ映画でおなじみのレオニード・ブロネヴォイがフィールスを、またアレクサンドル・ズブルーエフがラネーフスカヤの兄ガーエフを演じていたのは嬉しい驚きだった。役者がこうして、老年に至るまで現役で舞台に立ち続け、劇場にさえ来ればいつでも「会える」存在であるということが新鮮に感じられた。
 
 このように演劇漬けと言える一カ月だったが、月末には、ロシア科学アカデミー東洋学研究所主催の学会「東洋諸国におけるロシア人ディアスポラ」にて報告を行なった。2月に人文大学で行なった報告に含めることができなかった、作品「十二」における「多声性(ポリフォニー)」と翻訳の問題をこの場で検討したいと考えていたのだが、日本を含む東洋諸国においてロシア移民が果たした文化や社会への貢献という学会のテーマに合わせ、内容を若干変更し、2月の報告の中でも触れた「十二」翻訳の歴史に関する部分をもう少し詳しく論じた。聴衆はどちらかというと文化人類学・民俗学の分野の研究者が多かったが、新鮮な興味を持って聞いていただいた。
 多声性の問題については、10月半ばにキエフのウクライナ国立科学アカデミー文学研究所で行われる学会で改めて報告する予定である。またゆくゆくは、11人の訳者による翻訳がそれぞれ生まれた経緯や歴史的背景などについても詳しく調査していきたいと考えている。

 

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