トップ  »  新着情報  »  2011年3月 月次レポート(中村隆之 フランス)

2011年3月 月次レポート(中村隆之 フランス)

短期派遣EUROPA月次報告書3月

                               中村隆之(東京外国語大学リサーチフェロー/フランス社会科学高等研究院)

2010年度リサーチフェローとしての研究期間も残すところ数カ月となりました。今月11日に発生した東北関東大震災により研究に手がつかない時期もありましたが、ここで研究を継続し、成果へ結実させることこそが自分の使命であると意を新たにしました。東北関東大震災で被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。

2010年度の研究の総仕上げとして、『フランス語圏カリブ海文学小史(仮)』の執筆を予定しております。昨年以来、パリでの滞在をとおして古書を中心に研究資料を収集してまいりました。今年以降、これらの資料を集中的に読解しています。今月は、先月から引き続き読み進めていたマイヨット・カペシア『私はマルティニックの女』(1948年刊)を読了し、ルネ・マラン『他人と同じ一人の人間』(1947年)を読み終えました。後者の小説も、カペシアの小説と同様に自伝的であり、ジャン・ヴヌーズという名のアンティーユ生まれの「黒人」が「白人女性」との恋愛を通して、自分のアイデンティティに悩むというものです。その後読んだ、グアドループの女性作家ミシェル・ラクロジルの『サポティーユと粘土のカナリア』(1960年)も、肌の色を問題にした作品として、同じ系列に属する作品です。

こうした小説読解と並行して、現在調べているのは「民族詩(Poésie nationale)」論争です。50年代に共産主義作家ルイ・アラゴンが口火を切った議論で、「民族詩」とは何かをめぐり、『プレザンス・アフリケーヌ』誌上で50年代半ばに盛んに議論された論争ですが、今日ではフランス(フランス語圏)においても忘れられています。ハイチの共産主義詩人ルネ・ドゥペストルとネグリチュードの詩人エメ・セゼールという、二人のカリブ海出身の詩人のあいだでなされたこの論争をカリブ海文学史のなかにうまく位置づけることが現在の関心のひとつです。

ところで2011年はフランスでは海外県・海外領土年(année des outre mer)にあたります。その関係でカリブ海にかかわる催しが3月に多く開催されました。俳優ジャック・マルシャルによるエメ・セゼールの「帰郷ノート」朗読、グラン・パレ国立ギャラリーでのエメ・セゼール、ウィフレド・ラム、ピカソをめぐる企画展、またグリッサンの死後初めて開かれた全-世界学院(グリッサンが主催していた文化・学術交流の組織)でのセミナーなどに参加しました。3月18日から数日間開催された本の見本市では、この海外県・海外領土年に関連し、今日のカリブ海を代表する作家たちが一堂に会しました(エルネスト・ペパン、シモーヌ・シュヴァルツバルト、ラファエル・コンフィアン、パトリック・シャモワゾー等)。

マルティニック出身の精神科医・活動家として知られるフランツ・ファノン(1925-1961)も、ちょうど彼の死後50周年にあたるため、新たに注目されています。国際哲学コレージュでは「ファノンと脱植民地化」と題された連続セミナーが開催されました。また、フランツ・ファノン財団やファノンの著作を刊行する出版社などの共催で「フランツ・ファノンの思想のアクチュアリティ」と題された集会が開かれ、世界システム論で高名な社会学者エマニュエル・ウォーラーステインも登壇者の一人としてファノン思想を論じました。

今月31日に出版された『現代詩手帖』2011年4月号で「追悼特集エドゥアール・グリッサン 〈全-世界〉の方へ」という特集が組まれています。ここに論考「エドゥアール・グリッサンの風景へ」、エドゥアール・グリッサン「黒い塩」の部分訳(共訳)、「エドゥアール・グリッサン著作一覧」を寄せました。また、論文「グリッサン、フォークナー、サン=ジョン・ペルス――ポスト・プランテーション文学論の試み」を寄稿した土屋勝彦編『反響する文学』(風媒社)が今月末に発売されたことも、あわせてご報告いたします。

Nakamura3-2.jpg

このページの先頭へ