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2011年3月 月次レポート(岩崎理恵 ロシア)


2011年3月月次報告
                                                           報告者:岩崎理恵
                                                                       派遣先:ロシア国立人文大学

 3月に入ってすぐ、4月中旬にエストニアのタルトゥ大学で開かれる若手研究者向けの国際学会への参加が決まった旨、通知を受けた。タルトゥ大学は4世紀近い歴史を持つエストニア随一の国立大学であるが、スラヴ研究の一大拠点としても世界的に知られている。特に記号論の分野で、ユーリー・ロトマンを中心に形成された「モスクワ・タルトゥ学派」の牙城として有名であるが、定期的に「ブローク論集」を発行するなど、ロシア文学研究拠点としての伝統を今につなごうとしている。今回の学会は、昨年7月に同大学を訪れた際にロシア文学研究科のリュボーフィ・キセリョーワ科長から参加を勧められて以来、心待ちにしていた機会だった。
 予定している報告の原稿はすでに執筆を始めていたが、指導教授のマゴメードワ先生にお願いして、同時並行で詩の読み直しの時間を週一回のペースで取っていただいた。これは、あらかじめこちらでピックアップした作品について自分の解釈や疑問点をぶつけ、独りよがりな「曲解」をしていないかどうか、逆に新たな「読み」の可能性を見つけることはできないかを確かめながら、自分の議論を練り上げていくための作業である。原稿執筆と並行してタルトゥへの渡航手段を調べ、チケットの手配も行った。タルトゥでの宿は学会事務局が手配してくれた。
 さらに、出発までの間にモスクワ市内で引っ越しも済ませる予定だった。これまで1年あまりアパートをシェアしていた研究者仲間が帰国するため、賃貸契約の期限が切れる4月の頭までに、一人で住める家を探して移ることに決めていた。
 部屋探しに当たって重視したのは、治安と家賃の兼ね合いである。それまで住んでいたモスクワ南西部のアカデミーチェスキー地区は治安もよく、大型スーパーや市場もあって買い物もしやすく住みやすかったのだが、昨年秋以降また家賃が値上がりしたとかで、3万ルーブル(およそ9万円)以下という予算内ではとても物件は探せそうにないことが分かった。最終的には知り合いのつてで、これまでと同じ月2万5千ルーブル(約7万5千円)で、モスクワ東部のセミョーノフスカヤ駅近くの2間のアパートを借りられることになった。同じ路線に友人知人が住んでおり、まったく馴染みがない地区ではなかったこと、国立図書館まで乗り換えなしで5駅で出られるアクセスの良さも決め手になった。月末から4月の頭にかけての2週間は、引っ越し準備で慌ただしく過ごした。
 こうした雑事に追われている間にも、日本の地震のニュースを聞くたび、暗澹たる思いになった。第一報は当日の朝、ロシアのテレビ局のニュースで知り、日本の家に電話を入れたのだがまったくつながらなかった。その後家族から安否を知らせるメールが入るのと相前後して、ロシアの友人や知人からもお見舞いのメールや電話が次々に入り、図書館の食堂でたまたま向かいに座った人からも「日本人か?」と聞かれ、励ましの言葉をかけられるほどだった。
 日本のロシア関係者からはその後、被災地での翻訳・通訳ボランティアを募るメールなども回覧されてきたのだが、報告者自身は7月まで月に一回の割合で発表の予定が入っていて、今すぐ日本に帰れる状況にはない。さしあたって出来ることをと、わずかながら義援金を届けに、ロシア人の友人と一緒に在モスクワ日本大使館を訪れた。当日は雨が降っていたのだが、大使館員がわざわざ門外に出てきて対応してくれ、お金と引き換えに、ロシア語で書かれた大使からの「お礼の手紙」を手渡された。門の前には献花台が据えられ、花束やぬいぐるみが山と積まれており、台の下にはキャンドルや折り鶴、絵や、つたない日本語で書かれた手紙があふれていた。
 現在、自分は海外でこれまでと同じように研究を進められているが、日本では被災者を始め、多くの人が余震や放射能汚染の不安や、停電などの不自由に耐えながら生活している。このような時に日本にいられないのはつらいのだが、帰国後、仕事を通じて復興に尽くせるよう、今ここでやるべきことをやっていこうと考えている。

 

 

 


 
 

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