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2011年2月 月次レポート(中村隆之 フランス)

短期派遣EUROPA月次報告書2月
                            中村隆之(東京外国語大学リサーチフェロー/フランス社会科学高等研究院)


今月初め、私が長らく研究を続けている作家エドゥアール・グリッサンの訃報に接しました。2月3日木曜日に死去し、5日にサン=ジェルマン・デプレ教会でミサが執り行われ、6日には故人にゆかりのあったラテンアメリカ会館で追悼式が行われ、9日水曜日にマルティニック島の南部の町ディアマンの墓地に埋葬されました。私はミサおよびラテンアメリカ会館での追悼式に参加しました。この訃報を受け、『図書新聞』に追悼文を寄せるとともに、作家ラファエル・コンフィアンの呼びかけで組まれることになるマルティニックの地方週刊誌『アンティーヤ』(Revue Antilla)のグリッサン追悼特別号のための短文を執筆しました。(追悼文は『図書新聞』2011年2月26日付3003号に掲載。)

17日には社会科学高等研究院日本研究所が主催する日本近現代史セミナーの一回分の講義を担当し、「日本におけるクレオール性の受容と文化的争点」と題したフランス語の発表を行いました。フランスの授業は2時間が基本となり、今回のセミナーは11時から13時までの2時間です。報告では4点に分けて話しました。第一に、クレオール性の概念について、第二に、日本での1990年代以前のアンティーユ文学の受容について、第三に、日本でのクレオール性受容として今福龍太『クレオール主義』、R・コンフィアン&P・シャモワゾー『クレオールとは何か』の訳者西谷修氏のクレオール論の紹介、最後に、クレオール性の文化的争点として、クレオール(性)をめぐる所説や批判的言説の整理と紹介を行いました。グリッサン訃報の時期と重なったため、準備の時間が十分にもてず、反省点を残しましたが、友人も参加してくれるなど聴衆に恵まれ、議論も盛んに交わされたように思えます。

下旬は、『現代詩手帖』4月号でのグリッサン追悼小特集に協力することとなり、その準備に追われて慌ただしく時間が過ぎてゆきましたが、この間、1948年に出版されたマイヨット・カペシアの自伝的小説『私はマルティニック女』(Je suis martiniquaise)の第一部を読了しました。この小説と作者カペシアについては、フランツ・ファノンの著作『黒い皮膚・白い仮面』(1952年)で批判的に言及されていることで一部では知られています。ファノンはカペシアの小説のうちにマルティニック人のフランス人にたいする劣等コンプレックスを読み取りました。有色人女性に生まれた主人公は、白い肌と青い目にあこがれ、白人と結婚することを夢見るわけですが、ファノンはカペシアのこの小説を都会志向のマルティニック人女性の典型的心理を表わす事例として取り上げ、批判します。このファノンの批判自体は重要であるのですが、その後カペシアの小説が読者を失ったことは不幸でした。小説は面白く読めます。会話部分がフランス語の「R」抜きで表現されている点は注目すべき点でした(これはクレオール語話者にはフランス語の「R」の発音はできないというファノンの『黒い皮膚・白い仮面』での指摘と対応する表現だと考えられます)。カペシアが小説を発表していた40年代から50年代は、マルティニック、グアドループ出身の女性作家の活躍が非常に少ない時期である点を考慮すれば、この小説は女性文学という観点でも重要なのですが、その意味ではこの小説もふくめてこの地域の女性文学が一人称を取ることが多いという点は見落とせない特徴であると思われます。来月はこの点に留意しながらカリブ海のフランス語文学の女性作家の作品を読み進めてゆきたいと思っています。

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