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2011年1月 月次レポート(岩崎理恵 ロシア)

                                           2011年1月月次報告

報告者:岩崎理恵
派遣先:ロシア国立人文大学

  去年に引き続き、モスクワで2度目の新年を迎えた。ロシアの新年休みは「三が日」どころか、ロシア正教のクリスマスに当たる1月7日を含めて10日間続く。この間、一番困るのは最寄りの銀行のATMが使えないことで、去年の苦い経験があるため(大きな支店でも開いたのは5日からだった)、今年は年末から必要な金額をおろして溜めておくことから年越し準備を始めた。これは誰しも考えることで、当然、年末の銀行には長蛇の列ができる。また、年末の風物詩と言えば、年越しのパーティーや連休の間の食料の調達や、家族や友人のためのプレゼント選びであるが、この時期のスーパーやデパートの混雑ぶりに辟易している人も少なくないようで、いつもはおおらかなロシア人も、この時ばかりは妙にぴりぴりしているように感じる。
  ロシアの新年の食卓は、日本のおせち料理のように、作るべき料理が厳密に決まっているわけではなく、いつもより手の込んだ料理や、普段あまり食べないご馳走、という漠然としたくくりのようである。ただ「オリヴィエ・サラダ」と呼ばれる、鶏肉かハム、塩漬けきゅうりやゆで卵をさいの目に切ってマヨネーズで和えたポテトサラダとシャンパンは欠かせない。また、大みそかの恒例行事と言えば、公営チャンネルで放映される「運命の皮肉」というソ連時代の映画を鑑賞することであるが、最近は視聴率を上げるためか、紅白歌合戦のようなタイプの、人気歌手や芸人の参加する特別番組がゴールデン・タイムを占めていた。0時5分前には大統領から国民に向けた新年のあいさつが放送され、赤の広場の大時計が0時を打つと同時に、街のあちこちで一斉に花火が上がる。街路やアパートの中庭で個人が上げているケースもあり、去年は2時3時まで続く花火の音に閉口したのだが、今年は天候のせいもあってか、それほどでもなかった。
 新年休みは、海外を含む旅行先や、ダーチャと呼ばれる別荘で過ごす人もいるが、やはり家でのんびり過ごすのが定番のようである。テレビでは一日中、今でも人気の高いソ連時代のコメディ映画やメロドラマを放映している。当時の風俗を知るには格好の教材なので、いろいろ鑑賞したのだが、中でも1979年から1986年にかけてレニングラード・フィルムが製作した「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」シリーズは5日連続で鑑賞してしまった。シャーロック・ホームズを演じたワシーリー・リヴァーノフは、後にアニメ「チェブラーシカ」でわにのゲーナの声の吹き替えを担当することになるが、アニメのゲーナが背広を着こみ、パイプをくわえて紳士然としているのは、リヴァーノフへのオマージュなのだろうかと考えてしまった。
  こうしたわけで、1月は実質、10日以降にようやく社会生活が始まる感じである。報告者にとっては5日に、自宅でニーナさんと2度目の「翻訳会議」を開いたのが仕事始めとなった。また1月は大学が期末試験期間のため授業はなかったが、それでもなかなか忙しい月になった。月末にかけて、先月提出した翻訳の修正稿の締め切りと、日本の学会誌に投稿する予定の論文の締め切りが重なり、さらに翌月の学会発表に向けての原稿書きもあって、家にこもる日が続いた。スケジュール的にはぎりぎりいっぱいだったが、弱気になりかける自分に負けず、原稿をすべて落とすことなく乗り切ることができたことは、ささやかな自信になったと思う。

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