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2011年9-10月 月次レポート(説田英香 ドイツ)

9/10月レポート  説田英香
派遣先 : ドイツ連邦共和国 フライブルク大学

 
 報告者は、共同学位を念頭においた、フライブルク大学での博士号取得を最終目的としており、本派遣はそのための準備期間である。 派遣先の受け入れ指導教員は、フライブルク大学文学部近現代史のウルリッヒ=ヘルベルト教授である。報告者の研究テーマは戦後ドイツの移民史であり、 博士論文では、1983年にドイツ連邦共和国で施行された「外国人帰国支援促進法」を扱う。 報告者は、昨年の2010年9月21日〜2011年8月7日の期間、同プログラムによる支援のもと、既に現地での研究活動を行ってきた。この間には、同受け入れ指導教員のもとで、主に博士論文のコンセプト設定を行った。今回の派遣期間中には、主に史料収集とその分析を行う計画である。

 10月半ばに、博士論文要約の第一稿をヘルベルト教授に提出したため、 9・10月はその執筆活動に取り組んでいた。そこでは、前年度派遣期間中に行った、1970年代から80年代半ばまでの外国人政策史の文献調査を基盤に、「外国人帰国支援促進法」制定までの過程及びそこにおける議論を新たに考察した。その際、連邦レベルのみならず、州レベルにおける外国人政策とそれに関する議論の考察も行った。その結果、外国人政策に対する見解が、政党間を超えて分裂していたことが明らかとなった。外国人政策に対する姿勢の違いは、各州間でもみられた。これらの意見の相違は、帰国促進政策および「外国人帰国支援促進法」制定の過程で顕著に現れていた。さらに、労働組合や教会を始めとする各種利益団体からも、「外国人帰国支援促進法」に対する強い反発が起こっていたことがわかった。本法に対する反発は、市民運動にも発展していた。このような動きは、外国人労働者雇用が開始された1950年代半ば〜70年代末ではみられなかったものである。帰国支援促進法に対し、反対の意を示していた州や団体及び政治家の間では、外国人のドイツ社会への「統合」を支持する傾向がみられた。1970年代から80年代の移民受け入れ国ドイツといえば、政府が方針として掲げ続けてきた「非移民国」としてのイメージが定着している。しかし、今回の考察から、70年代末から80年代初頭にかけて、一部の州・団体・市民レベルにおいて、それとは反対の動きが起こっていたといえる。こうした動きに焦点をあてた研究は、これまでに未だ行われていない。博士論文では、1983年の「外国人帰国支援促進法」の議論をもとに、これらの反動を考察していく。提出した博士論文の要約についての指導は、11月に入って行われることになっている。
 博士論文要約の提出後は、1976〜77年における「外国人雇用政策発展のための連邦・州委員会」での外国人政策に関する議論を考察した。ここではまず、文献を基盤に、その議論をまとめた。これとは別に、ドイツ連邦議会から出された、外国人帰国促進政策に関する史料を収集した。ドイツ連邦議会による刊行物は、 インターネット上にてPDFファイル形式で公開されている。来月は収集したこれらの史料の分析に入る。また、11月は各種利益団体の外国人政策に関する立場の動向を調査する計画である。

以上

 

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