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2011年10月 月次レポート(石田聖子 イタリア)

月次レポート

(2011年10月、博士後期課程 石田聖子)(派遣先:ボローニャ大学 [イタリア])

 夏のような暑さとともに始まった10月は、その後みるみるうちに真冬さながらに冷え込み、体調管理の大変難しい一ヶ月となった。
 そんな今月上旬にはまず、ボローニャから列車で三時間ほどの距離にあるフリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州の町ポルデノーネで開催された無声映画祭に参加し、イタリア喜劇映画の特集上映を鑑賞した。全期間を通じて参加した前回と異なり、今回は研究に直接関連する作品の上映に合わせた一泊二日というスケジュールでの慌ただしい参加となったが、貴重な作品を鑑賞できたことはもちろん、現地では、関心を共有する他の研究者や一般参加者と情報・意見交換する機会をもつこともでき、短いながらも充実した時間を過ごすことができた。
 活動の主旨である論文作成作業に関しては、先月に引き続き、第四章第二節にあたるザヴァッティーニの初期文学作品におけるナルシシズムと笑いの関係について論じる箇所の執筆にあたった。以前に取り扱ったことのある主題ではあるが、ザヴァッティーニと映画の関係が次節の主眼となることを念頭におき、構成を練り直し、新たな観点を取り入れての執筆を行っている。より具体的には、『わたしは悪魔だ』と題された1941年刊の短篇集に寄せては悪魔という表象出来の経緯を笑いとの関連で検討し、また、同作家のナルシシズム的所作が写真や鏡といった自己の外部表象を通じて行われる傾向があることを指摘した上では、スペクタクルやバーチャルリアリティをめぐる議論を参照しつつの考察も進めている。
 ところで、今月末には、ボローニャ大学イタリア文学科博士課程に所属するITP-EUROPA派遣研究者である小久保真理江さんに声を掛けてもらい、同学科同課程主宰で開催された「滑稽」をテーマとする連続セミナーに参加する機会を得た。計三回から成るこのセミナーの第一回時のテーマは派遣者の論文第三章で主な対象とする作家アキッレ・カンパニーレであったことから、参加は特別に刺激的であったばかりでなく、一旦執筆を終了した箇所の再考を促す機会ともなった。その際にはまた、カンパニーレ作品の朗読劇がボローニャの劇場で上映されるという情報を得、こちらにも足を運んだ。せっかくの機会に劇作品の上演でなかったのは残念であったものの、いかなるかたちであれカンパニーレ作品が公共の場での上演に立ち会うのは派遣者にとり今回が初めての経験であり、収穫は大きかった。なかでも特に印象的であったのは以下の二点である。一点目は、カンパニーレ作品をひとりで黙読した経験を通じてこれまでに得てきた印象と、感情表現の豊かなイタリアの役者による朗読から得られた印象が大きく異なるという事実である。今回得た感覚を大切に今後の論文にも是非とも反映させていきたいと考えている。次に挙げられるのは、観客の反応である。「絶対に笑える一時間半!」との謳い文句通り、会場は終始笑いに包まれていたが、ときに、実に、並大抵の笑いではない、身体が制御不能になるほど強烈な笑いに襲われる観客の姿を目撃したのは公演中一度どころではなかった。1920~1930年代、ファシズム体制下のイタリアを大いに笑わせたこの作家を研究対象とすることに対して、現代性がないとの批判を受けたことがこれまでに少なからずあった。一方で、派遣者はカンパニーレの笑いのもつ普遍性を特に評価していながらも、国境を越えづらいといわれる笑いを主題とする外国人としての引け目もやはりつきものであった。そうした経緯もあり、今回の観劇体験を経て、カンパニーレの笑いが時代を超えて身体を大きく痙攣される力を現代まで保持している事実を実際に確認することができたことは、他に替え難い経験となった。

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カンパニーレ劇案内

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