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2010年8月 月次レポート(平田 周・フランス)

短期派遣EUROPA月次レポート(8月)
                                                           平田 周

 諸般の事情で8月中旬に2週間ほど日本に一時帰国いたしました。この度の帰国の事由は、第一に、昨年9月からの留学に引き続き本プラグラムの支援で在外研究を続けられるようになったことに伴う事務手続きを行うためです。第二に、研究の遂行上新たに必要となる文献を収集すること、第三に、私の留学中に家族の者が病で倒れたため、その見舞いを兼ねて帰国する必要が生じました。以上の目的は無事に果たすことができ、家族のものも回復期にあるようで安堵いたしました。また、今回の一時帰国の際に、博士論文の副指導教員である中山智香子先生の学部ゼミにて貴重な発表の機会を頂きました。発表では、私の直接の研究主題ではありませんが、クロード・ルフォールの1981年の著作『民主主義の発明』に収められている二つの論文「全体主義の論理」と「身体のイメージと全体主義」を扱いました。一時帰国の申請をご了承してくださったITP-EUROPA委員会関係者各位と発表の場を与えてくださった中山先生にこの場でお礼を申し上げます。
 パリに戻ると、今年の8月のパリは日本の暑さが嘘のように涼しく、驚かされました。6月頃まではパリも暑い日が続き、記録的な猛暑とニュースでも報道されていただけに、異様ですらあります。しかし、論文を書くには最適な気候です。執筆中の修士論文は、3章構成で、現在3章までを執筆し終え、新たに序文を推敲している段階です。この序文では、アンリ・ルフェーヴルにしばしば形容される「マルクス主義哲学者」という言葉の意味を、言い換えれば「マルクス主義哲学」とは、哲学の歴史においてどのような位置を占めているかを、明らかにしようと考えています。より問いを進めるならば、この哲学の潮流はカール・マルクスの哲学以前には存在しえないものである以上、マルクスの哲学の地位を検討しなければなりません。
 エティエンヌ・バリバールは、『マルクスの哲学』(1993年)のなかで、マルクスの哲学が哲学史にもたらした変化を「実践の哲学」という言葉で要約しています。確かに、哲学史上において、マルクスほど、理論と実践、思想と状況の関係が緊密な思想家は存在しません。このことは彼の価値評価にも現れており、例えば、冷戦構造の崩壊以後において「マルクスの死」が語られ、他方で昨今の金融危機を経てマルクスの再読が求められています。このように極端な状況に規定された評価のなされ方はプラトンやスピノザの場合には考えられないことです。
 では、こうした理論と実践の関係はどのように考えられるのでしょうか。ルフェーヴルやアルチュセール、ルフォールら、第二次世界大戦以後にマルクス主義的な理論的枠組みを自らの思想の出発点とした人々(その思索の歩みが全く別様のものだとしても)に共通するのは、スターリニズム以後に、いかに政治を考えることができるのかという問いだと考えられます。(スターリン的な)マルクス主義の逆説は、「政治」の名の下に、党と党が代表する人民の名のもとに、思想を抑圧してきたことにあります。そのような歴史を批判的に踏まえて、思想を政治に従属させるのではなく、思想の政治への還元不可能性から出発して両者を切り結ぶ複数の関係性を問う必要があります。このような問題を考察する哲学として、マルクス主義哲学を考えることによって、政治的なイデオロギーの不毛なレッテルづけから離れて、「社会批判la critique sociale」としてのマルクス主義思想を思想史上に検証することがおそらく可能となるように思われます。このようなステータスをもった哲学として、ルフェーヴルの空間の思想を考えたいと思います。
 ところで、論文の提出の期限が迫る8月は報告者にとって新しい生活に向けての準備の時期でもあります。留学してから、パリの南端14区にある国際大学都市のなかの日本館に住んでいます。この大学都市は、東京ドーム7個分ある土地におよそ40の国の寮が建てられ、毎年1万人もの学生、研究者、芸術家が受け入れられている場所です。敷地内には、寮の他に、レストランやカフェテリア、図書館、様々なスポーツ施設(プールやジム、サッカーやテニスの競技場)といった様々なサーヴィスを実施する場所が設けられ、緑も多く研究の息抜きの散歩に最適です。寮の建物のなかには著名な建築家によって建てられたものがあります。たとえば、スイス館やブラジル館はル・コルビュジェによって、そして、(2007年の夏から閉館していますが)イラン館はクロード・パランによって建設されています。
 報告者は新学期が始まる今年の10月から、大学都市の各寮が留学生同士の交流を促進するために設けている「交換brassage」制度を利用して、日本館からブラジル館へと引っ越すことになりました。一時帰国からパリに戻るとブラジル館から早くも保証金の請求があったので、それを支払いに行きました。日本館では、様々な学問分野の人たちと刺激的な交流の機会を得ることができましたが、ルフェーヴルの研究が盛んであるブラジルの寮でも、そうした新しい機会が得られることを期待しています。

      Hirata8-1.JPG  Hirata8-2.JPG 

      日本館(背面)                     イラン館(正面)

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