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2010年12月 月次レポート(中村隆之 フランス)

短期派遣EUROPA月次報告書12月
                            中村隆之(東京外国語大学リサーチフェロー/フランス社会科学高等研究院)


今月は、ヨーロッパは寒波の影響で例年よりも寒い日々が続きました。パリでも氷点下5度前後の日々が続き、こちらに来てはじめて雪を経験しました。大学都市の広大な敷地が降り積もった雪で真っ白になり、あたり一面が銀世界という美しい光景を見ることができたのは、極寒のなかでの得難い経験でした。

雪といえば、私の研究対象の作家の一人エドゥアール・グリッサンが最初の評論『意識の太陽』(Soleil de la conscience)のなかで興味深いことを書いています。グリッサンはフランス領のカリブ海の熱帯島マルティニックで生まれ、終戦直後の1946年に奨学金を得て勉学のためにパリに留学しました。『意識の太陽』はグリッサンのフランス体験を詩的な散文体で綴った書です。この書を読むと、若い頃のグリッサンが冬という季節を自身のフランス体験のなかで大変重要視しているのが分かります。熱帯の島では、乾季と雨季の区別はありますが、四季は存在しません。パリに来て初めて知る冬の季節を通して、この若い詩人は四季を経験し、その移り変わりのうちに秩序だった「律動=尺度」(mesure)を学びます。冬の風物詩である雪は、太陽の強烈な日差ししか知らなかったグリッサンにとって、抗いがたい魅力のようでした。雪の魅力を伝えるグリッサンの文章を、大学都市の親しい友人たちとこの時期に読めたことで、この寒波の折の雪景色はより一層貴重なものとなりました。

今月は7日から9日にかけてルネ・マランの国際コロックに参加しました。ルネ・マランはフランス領ギュイヤンヌ(仏領ギアナ)の出身の家庭に、1887年12月5日マルティニック島で生まれ、1960年にパリで没した作家です(国際コロックはルネ・マラン没後50周年を記念して行われ、彼の誕生月に行われました)。1921年に黒人で初めてフランスの権威的文学賞ゴンクール賞を受けたことで知られており、受賞作の『バトゥアラ』は、大正期に日本でも訳書が出たことがありました。今日でもルネ・マランは『バトゥアラ』の作者としてひとまず知られていますが、この小説以降も多くの作品を出版して健筆をふるっていたことはほとんど忘れられています。また、ルネ・マランは『バトゥアラ』の序文でアフリカの植民地支配を批判的に書いたことや、レオポルド・セダール・サンゴールによって「ネグリチュードの先駆者」と位置づけられたことで、カリブ海文学のみならずアフリカ文学のなかでも重要な作家として認知されています。以前の報告書でも書いたとおり、今年が「アフリカ独立」から50年にあたることにも後押しされて、3日にわたるこの大規模な国際コロックが開催された次第です。

この国際コロックには数多くの研究者が参加し、ルネ・マラン作品について論じました。個人的に関心を引いたのは、『バトゥアラ』の作家という評価が確立する以前の、詩集を発表していた時代のルネ・マランの詩の検討を通じたいくつかの報告です。マランが古代ギリシア世界をしばしばイメージの参照にしていたこと、またストイシズムが詩のテーマのうちにあるといった指摘や、フランス19世紀の文学の強い影響にあるという指摘は、「ネグリチュードの先駆者」というイメージとは異なる、新たなルネ・マラン像として興味深くある一方、こうした指摘を受けて、会場から激しい批判が出てきたことも当然であると思いました。批判の趣旨は、ルネ・マランをネグリチュードの文脈から切り離して論じることは不当であるというものです。発言者はネグリチュードの立場に立つアフリカ主義者の方のように見受けられましたが、発言者にとってこれらの報告は、ルネ・マランを、アフリカやカリブ海の文脈から、フランス本土やヨーロッパの文脈に「回収」する試みであるように思えたのではないでしょうか。会場はこの発言者にたいしてやや冷ややかでしたが、この緊張した場面においてこそ、政治と文学の関係が鋭く問われたのだと思います。政治と文学にかんしては─この国際コロックは「ルネ・マランは黒人を擁護した作家なのか」と題されていたわけですが─最終日に「文学と政治参加」という共同討議の時間が設けられ、近年活躍が著しい作家・詩人のニムロドもパネラーの一人として参加し、個々の報告者から興味深い挿話が紹介されました。全体としては、聴衆が限定されていたこと、踏み込んだ議論に至らなかったことなど惜しまれる点もありますが、ルネ・マランを取り上げたという意味で画期的なコロックであったとひとまずいうことができます。

今月の収穫としては、このほかに、カリブ海地域のフランス語文学の大家ジャック・コルザニの『フランス領アンティーユ・ギュイヤンヌ文学』(全6巻)を通読したことが挙げられます。この本は1970年代にマルティニックの地元出版社から刊行されたもので、すでに絶版であり入手が難しく、この間探していたものの一つですが、運よく入手することができました。カリブ海地域のフランス語文学は、日本では専門家のいない分野であり、フランスでも制度化された文学ジャンルではないため、どの本が基礎研究・基礎文献であるのか、という知識が定着していないように思われます。そのなかでこのコルザニの著作は初めてこの地域の文学を歴史的に概観した、カリブ海地域のフランス語文学の第一級の基本文献だと言ってよいでしょう。博士論文に基づいた著作で、全6巻総計2200枚を超える大著ですが、まとまった時間を作り、この間に目を通しました。多くのことを教えられましたが、今日ではほとんど言及されることのない無名の作家たちを丁寧に取りあげて評価を下した箇所は、私にはとりわけ有益でした。

来月から新年が始まります。本年8月から今月にかけて研究をご支援くださった東京外国語大学と短期派遣EUROPAの関係各位に心から感謝いたします。来年以降も引き続き研鑽を積む所存であり、ご援助を賜りますようよろしくお願い申し上げます。


 

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