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2013年1-2月 月次レポート(柴田瑞枝 イタリア)

月次レポート  2013年1・2月

博士後期課程 柴田 瑞枝
派遣先:ボローニャ大学 (イタリア)

 2013年に入り、短期派遣EUROPAのプログラムも間もなく終了するとあって、派遣期間最後の一月半は、イタリアでしか揃えることのできない種類の資料蒐集に努め、また、前年末から取りかかっていた小論文「『深層生活』におけるモラヴィアの声----女性一人称と対話の叙述形式」」("Io" narrante di Moravia ne La vita interiore: narrazione in prima persona femminile e la forma dialogale)を仕上げることに尽力しました。
 この小論文では、20世紀イタリアを代表する作家のひとり、A.モラヴィアが、1968年の異議申し立て運動を背景に、7年という歳月をかけて完成させた長編La vita interiore(邦題『深層生活』、1978年)にスポットを当て、この作品における作家の実験的な叙述の試みや、作中に見られる彼の政治的姿勢などに注目しました。モラヴィアは男性作家でありながら、戦後の早い時期より社会における女性の立場の変化に強い関心を寄せ、彼自身の言葉を借りるならば、しばしば「女性と一体化」しながら、女性一人称という叙述形式を用いて長・短編を執筆しました。代表的な作品としてはLa Romana(『ローマの女』、1947年)やLa Ciociara(『チョチャリーアの女』、邦題『二人の女』、1957年)などがありますが、今回取り上げた『深層生活』は、彼が女性の口を借りて語ることを選んだいくつかの作品のうち、最後の長編にあたります。
 モラヴィアの女性一人称作品は、男性が女性になりきって語るという少々特異な体裁ゆえに、作品が発表されるその都度に評論家たちの間で議論を巻き起こし、ときには、作中の女性像を実際の女性と同一視する一部のフェミニストたちから、激しい非難を浴びることにもなりました。上に挙げた『ローマの女』や『チョチャリーアの女』では、文体の面で、語りが「女性らしい」かどうか、「本物らしい」か否かという観点から、特に主人公の女性の属する社会的階級と、その言語運用レベルとの間にずれがあるという問題が指摘されました。また、貧しく、高い教養を備えるはずのない主人公たちが、ときに過度に鋭い政治的洞察力を示しており、彼女たちの語りのなかに、知識人モラヴィアの政治的イデオロギーが図らずも見え隠れしている、という点も問題視されました。今回取り上げた作家後年の作品『深層生活』において、モラヴィアはそれ以前には見られなかった「対話」の様式を取り入れていますが、そうすることによって、如上のような「語りの真正さ」の問題を解決しようとしたのではないか、というのが私の推察するところです。
 この小論は、博士論文の第5章の礎石となる予定であり、今回、日本では蒐集の困難な1978年当時のイタリアにおける書評(新聞、雑誌等に掲載されたもの)にあたり、時評を幅広く参照出来たのは、大変大きな収穫でした。
 最後になりましたが、この5ヶ月間のボローニャ大学での滞在を支援してくださった両大学の指導教官を始め、短期派遣EUROPAの関係者の方々、ITP-EUROPA委員会の先生方、ならびに事務の方々へ、心より感謝申し上げます。

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