2012年10月 月次レポート(柴田瑞枝 イタリア)
月次レポート 2012年10月
博士後期課程 柴田 瑞枝
派遣先:ボローニャ大学 (イタリア)
10月は、長袖では暑いような日もあれば、風が冷たく、すっかり秋めいた日もある、気まぐれな天候のひと月でした。先月よりイタリアのボローニャに滞在していますが、苦労した甲斐あって大変過ごしやすい家が見つかり、快適な環境で、ようやく研究に本腰を入れることができるようになりました。
指導教官のマルコ・アントニオ・バッゾッキ教授からは、「指導方針や方法をよく理解してもらうために、できるだけ講義に出てもらいたい」との指示をいただき、週3回イタリア近現代文学の授業に顔を出しています。これまで扱われた作家は、チェーザレ・パヴェーゼ、カルロ・レーヴィ、P.P.パゾリーニと、私が博士論文で中心的に扱う予定のアルベルト・モラヴィアとも関連の深い人物ばかりであり、講義での話題が研究の新しい視点を切り拓くきっかけになることもしばしばです。特にレーヴィのCristo si e fermato a Eboli(『キリストはエボリに止まりぬ』)における作家の「聖なるもの」、「神話的なもの」に対する姿勢と、パヴェーゼのそれの相違に関する教授の指摘は、イタロ・カルヴィーノが第二次世界大戦後のイタリア文学の状況において、レーヴィを特例視する理由のひとつの説明にもなるものであり、博士論文執筆のために自ら設定した問題の解決に向けて、僅かながら前進できたという手応えを得ています。
博士論文では、主にモラヴィアの長・短編の女性一人称作品を扱うつもりでおりますが、現在はこれまで詳細なテクスト分析を試みてきたLa Romana『ローマの女』(1947)、La Ciociaria『チョチャリーアの女』(1957)などに比べ、未だ充分な考察が出来ていなかったLa vita interiore『深層生活』(1978)の研究を進めています。日本では翻訳出版当時スキャンダラスな面ばかりが強調された感があるこの作品は、モラヴィア最後の「女性一人称長編」にあたり、対話形式というこの作家には稀有な語りの選択がなされている点でも興味深く思われます。年内に、研究の成果を論文にまとめられればと考えています。