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2010年5月 月次レポート(テーイプジャン・ユスプ トルコ)

TUFS-ITPレポート 2010-05
                                                Tayyib Yusuf

 私は、5月6日(水曜日)成田を出発し、翌日の14時にイスタンブルに到着した。イスタンブルに着いた翌日から部屋探しを始め、ちょうど一週間後にやっと部屋を見つけた。部屋探しは日本みたいにそう簡単ではなかった。それは、家賃、交通、環境などの条件を考えたこともあるが、それよりも私のような既婚なのに、単身で住むトルコ系男性に、喜んで部屋を提供してくれる不動産屋は非常に少ないという現実的な問題に直面したからでもある。その背景には、ある意味でイスラームの生活観あるいは、道徳観から生まれた原因があると思われる。それは私にとって、まったく理解出来ないものではなかったが、次々と新しい不動産屋と交渉することを余儀なくされたのは、やや予想外のことだった。

 次は、私を受け入れて頂いたミーマール・スィナン芸術大学のウチュマン教授との連絡状況についてだが、5月18日午後1時半に教授のオフィスでお会いすることが出来た。その時、研究の話に先立ち、研究を行うための重要な居住許可の話をさせて頂いた。それは、日本で研究ビザを取得した者も、トルコに行ってから最寄りの警察署で居住許可証の申請をすることが法律によって義務付けられていて、一ヶ月以内に行うのが一般的だったからである。話の結果、やはり前から言われてきた通りに、まずアンカラにある高等教育審議会YÖK(Yüksek Öğretim Kurulu,The Council of High Education)に個人名で申請をしなければならないとのことだった。しかし、この方法で申請するとずいぶん時間が掛かることがわかっていた為、ウチュマン教授の勧めにより、この問題に関して、イスタンブルのアジア側ウスキュダルにあるイスラーム研究センターİSAM(İslam Araştırmaları Merkezi,Center for Islamic Studies)を訪れた。関係者の話しによると、そこでもまた中国国籍を持つウイグル人である私には上記の審議会に申請する方法しかないということが判明した。

 その後、ウチュマン教授の提案に従って、ようやく高等教育審議会と連絡することができたが、審議会の関係者の話から、まず外務省に申請することが第一歩であることが分かった。また、今の時期はトルコで大学が夏休みに入る直前であったため、上記の審議が順調に行われても早くて9月にしか結果が出ないということだった。そのため、21日(金曜日)アンカラにある外務省と高等教育審議会に別々の申請書をEMSで送った。

 しかしこの時点で、イスタンブルに来て既に2週間が経過していたため、9月まで待つわけにはいかないと思い、思い切って5月24日(月曜日)の朝、高速バスでアンカラに向かった。アンカラでは知人のお陰で高等教育審議会と外務省に緊急連絡をとることができ、26日に申請が受理され、外務省から高等教育審議会に一般郵便で指示が発せられたことが分かった。このため、以降の追跡を知人にお願いし、27日の夜イスタンブルに戻ってきた。次のステップでは、指示を受け取った高等教育審議会により審査が行われ、審議会からミーマール・スィナン芸術大学に連絡が届いたら、大学から在籍許可書がもらえる。それをもって警察署で居住許可を申請することが出来る。今月は以上のような手続きに忙殺されたが、その間の経験もまた留学生にとっては貴重なものであった。

 今回はウチュマン教授との研究相談の状況を述べるはずであるが、上記の手続きのことで想像以上に東奔西走していて、研究について具体的なお話しができていない状況であるが、アンカラから肯定的な返答が届き次第、教授とまたお会いし、今後の研究について相談を行い、また、ミーマール・スィナン芸術大学での業務上の手続きを行う予定である。

Tayyib5-1.JPG 最後の一点は、文化に関する話題である。イスタンブルは今年「欧州文化首都」に選ばれ、あちらこちらで宗教関連の施設の修復が多く行われている。また一方で、トルコで今年は「日本年」と定められ、日本芸術品の展示会などが行われている。例えば、左側の写真に見られるように展示会の広告となった立体三角形の看板がイスタンブルのタキスィムやエミノニュなど主要地域で見られる。写真はエミノニュにて撮ったものである。「日本芸術の5000年」との表題が書いてあり、展示会場はTopkapi宮殿美術館、期間は5月5日から6月28日となっている。


 

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