トップ  »  新着情報  »  2010年6月 月次レポート(テーイプジャン・ユスプ トルコ)

2010年6月 月次レポート(テーイプジャン・ユスプ トルコ)

TUFS-ITP月次レポート2010-06
                                                                                               Tayyib Yusuf

  土砂降りの雨が日々続いた今月は、イスタンブルで過ごした二ヶ月目だったが、トルコでの滞在に関する業務上や法律上の手続きが終わりに近づき、本格的に研究に専念し始めた最初の月だった。過去の一ヶ月では、上記の手続きに追われて研究がなかなか進まなかったので、心には残念な気持ちと疾しい感じが残っていた。とは言え、トルコの官僚制の実態、特に文書による事務処理に自ら関ったことによって、その処理の怠慢さを感じた。よって、高官たちによる「恣意的」判断が支配的だった150年前のイスタンブルで啓蒙活動を行った新オスマン人たちが、新聞・雑誌を創刊する道でぶつかった困難を、民主化が進んでいると思われる現代トルコで感じることができた。これは、人生においてとても貴重な経験となった。言い換えると、トルコ人がいつも口にする'Her şerde bir hayır vardır' (悪いことに良いことが伴う)ということだった。

  6月に入って、ウチュマン教授と教授の研究室で何回も打ち合わせをし、ミーマール・スィナン芸術大学と各キャンパスについて基本的な紹介をして頂いた。また、自らITP-AAや自分の今後の活動について申し上げた。そして教授から、19世紀30年代から80年代にかけてイスタンブルで創刊された定期刊行物のリストを頂き、当時のオスマン・ジャーナリズムに関して読むべき書籍の示唆も受けた。その後、教授のアドバイスに従って、オスマン時代の定期刊行物が中心的に保管されているバヤズィト国立図書館(バヤズィト)、イスラーム研究センター(ユスキュダル)において資料調査を始めた。調査の結果、研究テーマに関する20冊ほどの書籍リストを作成し、本屋さんで入手できる一部を購入した。

  今月、資料調査や収集以外にイスタンブル市や文学財団が主催していた一部のプロジェクトに参加し、研究に有利な情報を集めた。例えば。6月9日トルコ文学財団(Türk Edebiyatı Vakfı)が主催しているÇarşamba sohbetleri(水曜座談会)に参加した。同座談会は長年にわたって、イスタンブル旧市街のスルタン・アフメットにあるトルコ文学財団によって週一回水曜日に開催されており、トルコ文学に関する最新の情報を得る、多くの作家や文学者と知り合うことができる絶好の場のようである。9日の座談会は、夏休み直前の最後の座談会となり、オルハン・オカイ(Orhan Okay)教授によりアフメット・ハミディ・タンプナール(Ahmed Hamdi Tanpınar) についての座談が行われた。午後5時に座談会が始められた。教授は90分にわたった話の中で、タンプナールが育った環境、受けた教育、そしてその中で彼に影響を与えた人物らとその影響、ヨーロッパの影響、彼の思想作品などついて話をされた。特に、15歳年上で、オスマン帝国と共和国時代に活躍した文学者ヤッヒャ・ケマル(Yahya kemal)や15歳年下の文学者メフメット・カプラン(Mehmet Kaplan)との師匠―弟子関係、そして互いの人生に与えた影響を、大学時代タンプナールやカプランの授業を受けていたオカイ教授本人の口から聞くことは、大変意味のあるレッスンだった。座談会はウチュマン教授の纏めで終了したが、9月初めに再開される予定なので、これからも参加していきたいと思う。

  また20日、イスタンブル市が主催していたユルドゥズ宮殿博物館 の紹介プロジェクトに参加し、歴史知識を深めた。宮殿の中にあるユルドゥズ図書館は一般民衆に公開されているので、ここでもできる限り研究テーマに関する調査を行いたいと思う。

  その他、19世紀以降のイスタンブルで「バーブ・アーリ(Bâb-ı Âli、偉大な門)」と名づけられていた地域(現在、イスタンブル旧市街のシルケジ駅からスルタン・アフメットに至る地域)を歩き回ることはとても意義があったと思う。「バーブ・アーリ」は現在使われていない言葉だが、オスマン史においては大宰相府を指す言葉であり、日本ではこの政治的意味で知られている。一方、19世紀40年代以降のトルコ・ジャーナリズム運動がまさにこの地域に興隆し、オスマン帝国が崩壊するまで「出版の中心地」という性格を保持し続けたことによって、民衆の間では「トルコ語出版」あるいは「ジャーナリズム」を指す言葉と同意義だった。 ⅲ Ceride-i Havâdis, Tercümân-ı Ahvâl, Tesvir-i Efkâr, Basiret, İbret, Tercümân-Hakikatなどタンズィマート期における重要な定期刊行物のすべてがこの「バーブ・アーリ」のあちらこちらで創刊されていた。現在では、当時使われていた町や通りの名前がほとんど一変してしまったのだが、トルコ・ジャーナリズムの権威であるオルハン・コルオール(Orhan koloğlu)教授が指摘した地図通り、この地域を歩き回ることはとても興味深いことであった。

Tayyib6-1.JPG  特に、この地域にある出版博物館 (左写真、左下が入り口)がとても魅力的で、博物館にはオスマン時代からの有名なジャーナリストの写真や作品、そして1860年代以降イスタンブルで使われていた印刷機が展示されている。また、博物館四階にある博物館図書館でトルコ・ジャーナリズムに関する貴重な著作が保管されており、一階には著作販売店もある。この図書館でも資料調査を行い、貴重な作品を購入した。それを、これからの研究において十分に利用していきたい。

Tayyib6-2.JPG  最後に、ムスリムの生活に関わる一点を紹介する。今月はイスラーム暦で7月(レジェブ)にあたり、イスラーム的信仰では聖なる連続3ヶ月の初月だった。またこれらの聖なる連続3ヶ月の中にいくつかの聖夜があり、トルコ語ではKandil(灯篭)と呼ばれている。今月17(イスラーム暦7月の第一金曜日)日にあったレガーイブ・カンディル(Regaib Kandil、恵みの夜)は、今月における最初の聖夜であり、人々がジャーミーに集まって、あるいは家で家族と一緒に礼拝し、過去に犯した罪の許しを乞うためにお祈りするのが一般的なお祝いの方法のようである。またこの日には、町々に各地区長のお祝いの言葉が書かれている幕が掛けられている。この写真は、シルケジの一角であり、幕にはイスタンブル旧市街Fatih地区長ムスタファ・デミルのお祝い言葉が書いてある:「レガーイブ・カンディルお祝い申し上げます。」


アフメット・ハミディ・タンプナール(1901-1962)現代トルコもっとも有名な小説家の一人で、19世紀トルコ文学史の権威。
オスマン時代で建てられた宮殿であり、イスタンブル・ベシクタシュにある。スルタン・アブデュルハミト2世(在位:1876-1909)時代でスルタンの宮殿と裁判所として使われていて、現在は博物館になっている。
  詳細に関してはOrhan KoloğluのBir Zamanlar Bâb-ı Âliを参考に。
  1865年に立てられたこの建物は、オスマン時代において教育審議会や出版検閲局の事務棟として使われていて、1908年以降はイスタンブル市庁舎の一部となった。1984年、トルコ・ジャーナリスト協会の管理下に置かれ、博物館の計画が立てられて、1988年以降は正式に博物館として公開されている。

このページの先頭へ