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2009年9月 月次レポート(及川 茜 シンガポール)

ITP-AA 月次レポート(2009年9月)
                                                                                         博士後期課程 及川 茜
                                                                    シンガポール国立大学(2009.8-2010.2)

 日本では8月中旬にお盆を迎える地域が多数であろうが、シンガポールでは旧暦7月がHungry ghost festival となる。「鬼節」とも俗称されるこの時期には、地獄の門が開き、死者の霊がこの世にさまよい出てくると言われている。日本では迎え火を焚いて、先祖や身内の霊が帰って来るのを迎えるのが主であろう。私の田舎では赤とんぼに乗って来ると言われているが、シンガポールでは特に決まった霊の乗り物などはイメージされないようである。これは余談になるが、広く中華圏では竈の神が旧暦の年末には天界に上って天帝に各家庭の出来事を報告すると伝えられており、地域によってはその乗り物として紙で馬を折るといった習俗も見られるという。一方、中国・江蘇省出身の作家、汪曾祺の「城隍・土地・灶王爺」には、赤とんぼが竈の神の乗り物になるので、子供たちのとんぼ捕りでも赤とんぼは避けるといった記述が見られる。日本のお盆の習俗は、ことによるとこうした言い伝えと関係がありもしようか。
 本帰正伝、今年は9月3日が旧暦7月15日の中元節に相当した。香港などではこの日が「鬼節」のメインイベントとなり一段落を迎えるそうだが、福建系華人の多いシンガポールでは、旧暦7月を通して盂蘭盆にちなんだイベントがあちこちで行われていた。先祖供養というより、祀る者の無い霊を丁重に弔ってお引き取り頂くという性質が強いようである。幽霊ものの映画もこの時期に合わせて公開され、シンガポール制作のものではコメディー『Where Got Ghost?(嚇到笑)』、ホラー『Blood Ties(還魂)』といった作品が上映されていた。また、地元の劇団・実践劇場により黒澤明の『羅生門』が舞台化され、9月中旬に公演が行われたが、こちらも霊媒が竹林に登場人物の霊を召喚し、藪の中で起こった出来事を聞き取った上で済度するという構成になっていた。「普渡衆生」といったモチーフが織り込まれるのは、この時期ならではのことでもあろうか。このように文化プロジェクトにも「鬼節」を意識したものが見受けられる。
 一方、当然ながらこの時期は生活空間でも祭祀活動が行われる。特に目につくのは各所に設けられた祭壇で、学校の食堂にも片隅にしつらえられ、線香や果物が供えられていた。また、シンガポールやマレーシアで特徴的なのは「歌台」と呼ばれる舞台である。日が暮れてから、霊を慰めるために舞台を設けるのだが、内容は伝統劇から歌謡ショーへとシフトしており、現在では劇を催すところは数少ない。近所のショッピングセンターにも歌台が来るというので観に行ったところ、裏手の駐車場に簡易舞台が設けられていた。もちろん生きている人間も楽しむのだが、何よりもまず霊に見せることが大前提なので、舞台正面の一番良い位置は祭壇が占めている。見ていると、みな前を横切る際には線香(自由に備えられるよう置いてある)を上げるか、そこまでしなくてもちょっと拝む仕草をしていた。また、主催者により料理が供され、自由に取って良いことになっていた。私が見た舞台は若い女性二人によるもので、ラメやスパンコールをふんだんに使ったセクシーな衣装で歌い踊るもの。スタンダードナンバーから今年発売されたばかりの張惠妹(A-Mei)の新曲まで含まれていたが、すべて福建語の歌謡曲であった。MCも7割方福建語、残りが華語(マンダリン)という具合。観客はというと大半が家族連れで、テーブルでカルタに興じつつ舞台を楽しんでいるようだった。
 研究の状況については、今月はまずシンガポール大学(NUS)の容世誠先生に研究計画を見て頂き指導を受けた。これまではテキスト研究を中心に行って来たが、中国戯曲の受容研究としては、書籍の流通や読者層の形成といった側面からも検討するようにとの助言と共に、参考文献をいくつか紹介して頂いた。また、テキストに関しても、本文のみならず序の重要性についても指摘を受け、さらに理論的な角度からいくつか教示を頂いた。来月は序文を中心にテキストを読み込み、当時の文脈での位置づけを考察しつつ論文に着手する予定である。
 さらに、Chinese studiesとHistoryの二つの学科の先生方を中心に構成されるリーディング・グループに参加させて頂くことになった。出版文化に関するトピックを扱った書籍をめぐってディスカッションを行うもので、およそ三週間に一度の頻度で開催されている。これは正式に大学に登録したグループであり、大学側から資金の提供を受けて学内外の講師を招くといった活動が企画されている。参加者は10人に満たないごく小規模なグループであるが、出身地域はバラエティーに富んでおり、中国大陸やシンガポールといった中国語圏のみならず、ドイツや韓国出身の先生も参加している。出身地域の如何に関わらず、全員が英語と中国語の双方を用いて研究活動を行っているが、討論は基本的に英語で行われるというのがシンガポールらしい点であろうか。
 シンガポールでの生活も丸二ヶ月が経ったが、研究上で自分の中国語・英語双方の運用能力の不足を痛感させられることが度々であった。聞いて内容を理解することに限ればさほど大きな問題はないとはいえ、外国語で自分の見解を過不足無くまとめて話すことには依然として困難が伴う。また、大量の研究文献を短期間に読んで消化することも不可欠であるが、特に英語に関しては非常に時間を要することにも問題を感じている。もっとも、自分の研究課題に関して言えば、直接英語と結びつくことはほとんど無い上、その必然性にも疑問の余地がある。英語が国際公用語の地位を占める実状も、個人的には決して肯定的に捉えられるものではない。とはいえ、NUS図書館で英語による著作物の圧倒的な量を目のあたりにする時、英語を媒介に触れることができる知識の広さと多様性に感嘆を禁じ得ぬのもまた現実である。
 また、こちらの中文系で学部の授業を聴講する中で、非常に印象に残る出来事があった。学部生も様々な地域から集まっており、一貫して中国語による教育を受けてきた学生と、教育言語として英語などを中心とする地域から来た学生がいる。そのため、中国文学についての知識にも入学前の段階ではかなり差異があるらしく、ゼミに関する相談の際に不安を口にする学生がいたそうだ。ある先生が講義の前にそのことに触れ、「それは知識が十分か不十分かという問題ではなく、単に知識の背景が違うだけだ」「他の人が知っていて自分が知らないこともあるだろうが、逆に自分が知っていることで他の人が知らないこともあるだろう」というようなことを仰った。私にとっても日々切実な問題だったため、この言葉は肺腑に沁みるようであった。
 何語で、あるいは何語を読むかということは、その人の知識の方向性をある程度まで否応なく決定づけることになるのもまた事実である。研究対象としている都賀庭鐘は、和書のみならず中国の書籍に幅広く触れ、さらに味読玩読を重ねて多分野にわたる知識を形成した人であるが、彼が明治ごろに生きていたら躊躇無く英仏独などの言葉を学び、最先端の知識を吸収しようと志したのではと思われる。彼の著作を研究する以上、こちらも余計な心理的障壁を設けず、貪欲に新しい知識に対峙する態度が必要であろうか。いずれにせよ、英語の運用能力の向上が当面の課題である。

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