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2009年11月 月次レポート(及川 茜 シンガポール)

IITP-AA 月次レポート(2009年11月)
                                                                                             博士後期課程 及川 茜
                                                                        シンガポール国立大学(2009.8-2010.2)

  11月の声を聞いたと思えば、もうオーチャード通りではクリスマスの電飾が施されている。APEC開催の関係か、今年のイルミネーションは例年より華やかで点灯時期も早まったとの専らの噂である。派遣期間も折り返し地点を過ぎ、そろそろ残りの時間を計算して優先すべきことを決めねばならない時期にさしかかった。
 11月末から12月初にかけて、プラナカン演劇『Bilek Roda Hidop(Bedrooms)』の公演がシンガポール国立大学(NUS)内のホールで行われている。英語版とババ・マレー語版の二種類がそれぞれ異なるキャストで上演されるが、ババ・マレー語のバージョンを鑑賞してきた。プラナカン(Peranakan)とは中国からの移民と現地のマレー人との子孫というのが一般的な理解だが、広義にはインド系ムスリム(Jawi Peranakan)やインド系プラナカン(Chitty Melaka)も含む定義であるようだ。もっとも、一般的にプラナカンといって想像されるのは中華系プラナカンであり、シンガポールで昨年開館したプラナカン博物館でも展示の中心となっている。有名人ではリー・クアンユー顧問相や、香港ポップスに親しんだ人にはなじみ深い歌手のディック・リーも中華系プラナカンの出身である。また、日本でも比較的よく知られている映画作品でプラナカンの登場するものでは、今年七月に急逝したマレーシアの女性監督、ヤスミン・アハマドの『Sepet(細い目)』(2004)が挙げられる。中華系の少年とマレー系の少女との恋愛を描いた作品だが、少年の母が中華系プラナカンという設定であった。その生活様式には中国的な面とマレー化した面が混在し、独自の文化を形成しているという。シンガポールの文化的多元性を体現するという意味でも、近年注目されるエスニック・グループといえるだろう(多少政治的策略といった側面もあるようだが)。
 ババ・マレーとは中華系プラナカンの言語で、マレー語と福建語のクレオールである。もっとも、近年は英語を用いる家庭が増えており、若い世代では日常の言語の地位を失いつつあると聞く。公演パンフレットには劇中で使用された福建語由来の語彙一覧が掲載されていた。プラナカン演劇は初めて観たが、女形が登場するのに驚かされた。マレー語版で演じたのはG T Lye氏、俳優としてのみならず演出家・脚本家としても活躍する演劇界の大御所で、しかも五年のブランクを経て再度舞台を踏んだとのことで、登場しただけで喝采を浴びていた。日本の歌舞伎や中国の京劇など伝統劇の女形は、現実の女性より女性らしく、厚く化粧を施した姿形もたおやかな俳優が演じるが、どうやらプラナカン演劇の場合は、いかにも男性らしい男性が、女性の服をまとい女性の仕草をまねてみせるというところが面白いようである。メーキャップもごく薄いもので、歌舞伎のそれと比べればほとんど素顔といってもよいほどだ。英語版では同じ役を女優が演じることになっている。プラナカン・フェスティバルの一環として行われた公演でもあり、観客は大半がプラナカン、特にプラナカン協会の会員が多かったようで、精緻な刺繍の施されたニョニャ・クバヤをまとった女性の姿が会場を彩っていた。英語字幕ではわからないアドリブで客席が沸く場面も多く、現地ならではの気持ちの良い観劇体験であった。
 さて、肝心の研究の進捗状況だが、今月は論文執筆前の基礎作業に明け暮れ、ほぼ図書館以外の場所へ足を運ばぬまま一ヶ月が過ぎてしまった。これまでに先生方に頂いたコメントに基づき、都賀庭鐘のテキストの精読作業を行っている。過去に発表した論文では翻案ないし翻訳テキストと原拠・原文との一対一の関係について比較対照する作業が中心であった。だが、今回は同時代の随筆や中国の戯曲批評などの文脈に庭鐘の試みを還元しつつ、その戯曲観を探ることを目的とし、周辺資料に目を通し、関連する記述を抄出する作業を行った。江戸時代の文脈にいかに位置づけるかということを考える上で、まずはNUS図書館で閲覧可能な文献から、『日本随筆大成』に収録されたものを中心に、随筆、筆記、紀行文などに片端からあたっている。はじめは太田為三郎『日本随筆索引』『続日本随筆索引』の二書を利用してキーワードを析出したが、必ずしも自分にとって必要な語句が拾われているとは限らず、どのテキストにどんな内容が含まれるかを大体イメージする上で大きな助けにはなったものの、論文の下準備という面からは完全とは言い難い。極めて原始的な方法であるが、結局しらみつぶしにめくってみるより無いようである。もっとも、さすがに精読するほどの時間はなく、ざっと目を通すのみだが、こうした作業によって雑学的な知識も含め得られるものは大きい。
 抄出した内容を整理し、庭鐘のテキストをそこに位置づけて考察を加え、新たな問題点をまとめるところまで今月は作業を進めた。ただ、NUSの容世誠先生にご指導を仰ぐにあたり、抄出箇所を翻訳する必要があり、思った以上に時間がかかってしまった。これは自身の中国語による表現能力の限界もさりながら、日本語の原文がまだまだ読めていないことも大きい。これまで日本語で論文を執筆する際には、原文をそのまま引用することで、解釈の曖昧な箇所は開いたままにしておくことが可能であった。しかし中国語への翻訳となると、漢字によってある程度は解釈に幅を持たせられるとはいえ、どうしても限定する必要が生じる例が多く、作業は非常に難航した。研究の起点が中国文学であったため、江戸文学の基本的な背景知識や読解力の不足は自覚している。複数の領域にわたる研究の常として、いずれも中途半端に堕す危険性と紙一重であり、さらに日々英語学習にも時間を割いていることを考えると焦りを覚えるが、その点はこれから長い時間をかけて補ってゆかねばならないものと覚悟している。とはいうものの、外国語への翻訳という作業を通じ、庭鐘による日本の演劇の漢訳という営為のいくばくなりとも追体験できたように思われる。これも留学の一つの成果であるといえば牽強にすぎるであろうか。
 日本語文献からの抄出については一段落したので、来月は中国側の資料を精読し、考察を深めてゆきたい。日本でも見られる資料をわざわざシンガポールで読み込んでいることに関しては、やや忸怩たる思いがあるが、実際のところ日本ではアルバイトの掛け持ちに時間を割かざるを得ず、こうしたまとまった時間の必要な作業は難しかった。時間的・経済的余裕が研究にもたらす恩恵は大きく、今回の派遣で研究に専念できる環境を下さった関係諸氏に深く感謝する次第である。

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