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2009年10月 月次レポート(及川 茜 シンガポール)

ITP-AA 月次レポート(2009年10月)
                                                                                博士後期課程 及川 茜
                                                           シンガポール国立大学(2009.8-2010.2)

  この一ヶ月、専門のフィールドを離れて最も多く学んだことといえば、シンガポールの歴史であろう。まず、シンガポールのナショナルヒストリーの集大成とも呼ぶべき国立博物館を見学した。余談ながら、国立博物館をはじめとする幾つかの博物館・美術館は、シンガポール国立大学(NUS)の学生証を見せると無料で参観できる。国立博物館のヒストリー・ギャラリーには膨大量の資料が展示されており、一日では全てを観るのは不可能なほどだが、特筆すべきはその展示形態であろう。展示と音声案内が一体になっており、まず入口でオーディオガイドを受け取り、その指示に従って順路を進むしくみになっている。従って、目で資料を見て傍らの解説を読むだけではなく、耳からも効果音をまじえた再現ドラマを聞くことになる。接することのできる情報量はその分だけ増えるが、一方で臨場感あふれる解説から各人の中にその場面が容易に構築される。通常の展示に比べ、設計者の意図する形の歴史観を来場者にそのまま与えることが可能な形態であるとの印象を強く受けた。英・中・マレー語に加えて日本語も選択可能で、日本語の案内は日本人の父とマレー系シンガポール人の母を持つという男性が解説するという設定になっていた。日本占領時代の展示に関しては、日本軍兵士の遺品が陳列されていたが、音声ガイドで読み上げられる日本兵の手記からは、心ならずも従軍した一民間人という姿が強く印象づけられるようになっている。英語や中国語のバージョンも聞いてみたが、語り口に微妙な相違こそあれ、内容はほぼ同じようである。いずれも抑制の利いた調子で、やや教育番組的な憾みはあるものの、シンガポール人のみならずイギリス人や日本人などの観光客の口にも合うように工夫されているといった印象を受けた。中国での歴史展示を見慣れた目からすると、表現がやわらかすぎてむしろ拍子抜けするほどである。歴史そのものの学習というより、シンガポールにおいてどのように公的に歴史が語られているか、その語り方を知るには最適な場所であろう。また、ファッションや食文化なども含め生活に関する文物のリビング・ギャラリーも別に設けられており、そこで近代の伝統劇に関する資料に接することができたのが、自分の研究テーマに関する収穫でもあった。
 さらに、10月の読書会では "The Scripting Of A National History : Singapore and Its Pasts" の一冊をテーマに、著者の Hong Lysa, Huang Jiangli の各氏をゲストに迎えてシンガポールのナショナルヒストリー形成についての話を聞いた。国立博物館に陳列された歴史とはまた異なる側面に光を当てた話を著者から直接伺うことができたのは貴重な機会であった。また、小規模な座談会であったため、文学や歴史研究者がそれぞれの立場から問題を提起し、著者のお二人がそれに答えるという形で活発な議論が行われた。限られた時間の中で密度の高い内容を引き出すことができ、ディスカッションの方法を学ぶ上でも意義深い場であった。
 自分の研究に関しては、NUSの容世誠先生からの指導の他、ロンドン大学東洋・アフリカ研究学院から訪問学者として来星された Tian Yuan Tan(陳靝沅)先生を紹介して頂き、アドバイスを受ける機会を得た。陳先生は日本にも滞在して研究されたことがあるとの事で、日本における戯曲研究の動向にも詳しく、多方面に目配りの効いた懇切な助言を下さった。短時間ではあったが、現在の研究テーマについてのみならず、今後の研究の方向についても一つの指針を得ることができ、大変有意義な機会であった。先生方から頂いた指導を踏まえ、九月に引き続きテキストの精読を行っている。これまではテキストそのものの意味を取る段階にとどまっていたが、少しずつ周辺資料と併せ当時の文脈の中に位置づける作業に取りかかっている。ただ、資料を中国語に訳すことも含めると思った以上に作業量が多く、当初の予定スケジュールの倍以上の時間を費やしてしまった。11月にはその結果を論文にまとめることをめざして計画的に作業を進めたい。

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