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2008年8月 月次レポート(幸加木文 トルコ)

TUFS-ITPレポート 2008年8月
                                                                                                          幸加木 文


 はじめに2008年8月次の派遣先機関における指導教員との連携・連絡状況についてであるが、派遣先のイスタンブル・ビルギ大学欧州連合研究所のアイハン・カヤ准教授とは、ドラプデレ・キャンパスのオフィスにて面談した。各キャンパスの役割やアクセス、図書館の利用方法など大学・研究所に関する基本的なガイダンスの後、秋期の講義シラバスについて説明を受けた。また、自己の研究テーマと今回の留学の目的を伝え研究指導の方向性を確認すると同時に、有益な指摘・示唆を受けることが可能との配慮から、ビルギ大の他の研究者および新刊著書に関する情報提供を受けた。さらに、ビルギ大にて今秋開催予定であり、研究テーマに関連の深い2つの国際シンポジウムの概要説明を受けた。また今後、日本で書いた英語論文を提出し、カヤ先生の専門的立場からの指摘、指導を仰ぐ予定である。
 つぎに研究の進捗状況であるが、ビルギ大学図書館の他、イスタンブルのアジア側ウスキュダルにあるイスラーム研究センター(ISAM)1 の図書館にて研究テーマに関する文献調査、資料収集を行った。今後ビルギ大学と当研究所の双方の図書館を主として利用する予定である。また、論文の執筆・推敲作業およびトルコ語の新聞記事翻訳を行った。
  生活状況としては、家探しが予想以上に難航したということに尽きる。高騰するイスタンブルの物価と家賃相場の中で、手の届く家賃、家具付き、安全性という3条件を充たす物件を見つけるのが困難であったためである。
 その他、雑感としてトルコの社会状況に関する若干の観察を下記の写真に付記する。

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2008年8月16~17日は、ラマザン(断食月)を前にした最後の灯明祭である「ベラト・カンディル(Berat Kandil)」にあたっていた。イスタンブル・ベシクタシュ地区にあるパスターネ(菓子・軽食屋)では「カンディルお祝い申し上げます」という幕がさがり、入口(写真左手)ではカンディル用の菓子折りが販売されていた。店員たちの表情も心なしか晴れやかであった。

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同日のカンディルの夜(Kandil gecesi)は、ムスリム(イスラーム教徒)にとって聖夜とされており、イスタンブル旧市街にあるスルタンアフメット・ジャーミィ(モスク)は、集団礼拝のために訪れた人々で混雑していた。左の写真のうち、仕切りの右手が女性用、左手と前方が男性用の礼拝場所である。アラビア語を解さない聴衆はトルコ語対訳を手にドゥアー(祈り)を聞き、続くトルコ語の説教(政治や社会などあらゆることに言及)に一斉に「アーミン」と相槌を打つ。一体感が伝わってくる瞬間である。隣にいた婦人は、預言者ムハンマドの名が言及されるたびに目を閉じ、クルアーン(コーラン)の章句を唱えながら胸に手を当てる仕草を繰り返していた。しかし、携帯で話しこんだり筆者に話しかけたりと静謐というよりは賑やかである。右の写真は満月、ライトアップされたジャーミィ、外で礼拝する人々、そしてその野次馬。

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8月30日は、独立(解放)戦争の趨勢を決定づけた勝利の日(1922年)として、「戦勝記念日(Zafer Bayramı)」とされている。現在は博物館であるアヤソフィアにもトルコ国旗が掛けられていた。なお、各商店や企業のビル群はもとより、ジャーミィ併設のクルアーン学校や歴代スルタンの廟にも大々的に国旗掲揚がなされていたが、筆者が目にした限りではジャーミィにはなかった。右の写真は街中をゆく国旗売り。右手の一番小さいもので5新トルコリラ(約470円)とのこと。因みに、「ナショナリスティックな行事はカメラOK(むしろ歓迎)、宗教的行事はカメラ忌避」という不文律はやはりあるようだ。

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入口をくぐり通路に向かって真っ直ぐに目をあげると、印象的な風情の墓石が飛び込んでくる。それがトルコ・ナショナリズムの定礎者とされ、アタテュルクにも思想的影響を与えたとされるズィヤ・ギョカルプの墓であった。右の写真の碑文には1924年10月25日付で「偉大な導き手ズィヤ・ギョカルプ、ここに眠る」とある。戦勝記念日に際して新聞やテレビでは特集が組まれていたが、知り合いのトルコ人学生たちは皆関心が低く、街もあふれる国旗以外は平穏だったという感触である。

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戦勝記念日に花輪が捧げられたイスタンブル新市街・タクスィムの共和国記念碑。写真右手がアタテュルク文化センターで、国旗とアタテュルクの垂れ幕が目を引く。写真左手奥が9月1日から始まるラマザンの準備が進む特設広場。今年は世俗主義を掲げるトルコ共和国の記念日と、イスラームの最も良き月とされるラマザン月がニアミスした。

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「異質」なものごとの狭間に生じるのは摩擦や衝突だけではなく、今生をより良く生きたいと願う人たちの共生の望みでもあるのではないかという思いから辿ってきた場所の一つが、特異な魅力を持つイスタンブルという街である。この街を分かつボスフォラス海峡は、時に海と陸の狭間がもやで霞んで淡く融解する気配を帯び、時に空と波の境が涯のない宇宙を映す鏡と化す。アジアと欧州をつなぐフェリーの上は、筆者個人にとってはここに始まるという思いの起点となった。

[1] 当研究センターについては、小笠原 弘幸 2007.「研究機関紹介 トルコ宗教財団イスラーム研究センター(ISAM)」『アジア経済』 48 (4), 102-108. に詳しい。 

                                                    

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