


外国語学部長
私たちにとって、自分とは違う独自の生活習慣や倫理観、宗教や社会制度を背景に持つ、いわば、未知の文化の土壌を背景とする人間との対話は如何にして可能でしょうか。個別の、独自の文化的背景をもつ人間を理解するためには、まず、その文化について虚心に、しかも緻密に学ぶことを土台として、生活環境から生まれる文化上の微妙なニュアンスを捉える感性と想像力、さらに深い教養が涵養されねばなりません。皆さんは、未知の文化の只中に身を投じることでしか掴み得ない複雑な現実が厳然として立ちはだかる様を目の当たりにすることになります。しかし、翻って視野を広げて考えれば、文化上の差異を背景とする世界諸地域の人々は、また一方で、自分と同じ「人間」として、つまりは、普遍的な意味での個として私たちと向き合っていることに気づく筈です。
多様な人間の陰影に富んだ生活様式への主体的な関心を育みつつ、しかも、人類全体に共通した知的エネルギーの可能性、世界的規模の動きを常に意識することが私たちの課題であるでしょう。こうした発想があってこそ、最も地域的、民族的なものが、世界に通用する普遍性を獲得する、という過程も視野に入ってくるのではないでしょうか。
本学の外国語学部の教育の重要な軸を形成する言語は、個別の独自の文化を背景とする人間への理解を深めるとともに、普遍的な意味で人間に与えられた知的可能性をも視野に入れた「対話」を成立させ、より確実なものとする上で不可欠な要素と言えます。それは、言語が、人間が思考し、理解し、識る、という行為と根源的に結びつき、言語と係わる人間の文化が、人間が生み出した様々な社会制度や価値観との深い関わりのなかでが生まれる、という事実と密接にかかわっています。異文化間の対話を可能にする柔軟な思考力と自在な言語運用能力に裏打ちされた国際的な教養が不可欠であることはもちろん、緻密な知識に裏打ちされた感性と想像力を働かせる中でこそ、本当の意味で、国際社会で通用するコミュニケーションの能力が鍛えられていくと考えます。
これまで確実と思われた価値が急速に色褪せ、既存の制度が脆くも瓦解する一方で、日々刻々と新たな価値が創出される現代世界にあって、近視眼的で自己完結的な思考は有効性失うでしょう。目の前の複雑に絡み合う現実と、普遍的な知的世界の双方に対応できる、優れて複眼的な視座と、これに支えられた奥行きある教養の保持者こそが私たちがもとめる対話への道筋を示すことができるように思えます。
皆さんが、大学生活で、こうした柔軟な思考を身につけるための方法を模索しながら、様々な分野での実際の経験を積む過程で、学生時代でしか味わえない多くの感動と出会えることを願っています。