本誌は、東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程在籍者に研究成果の発表の場を提供するために発行されています。掲載論文・研究ノートは、大学院担当教員によって構成される編集委員会、および編集委員会から委嘱された複数の審査委員による審査を経たものです。
『言語・地域文化研究』過去に出版されたタイトル一覧
言語・地域文化研究 第17号 (2011.3)
| 論文 |
| 「満州」建国イデオロギーと張赫宙の「満州」認識―『開墾』(1943年)を中心に |
曺 恩美 |
| 韓国民主化運動への参加に見る在日朝鮮人のアイデンティティ―民団系在日朝鮮人を中心に |
趙 基銀 |
「満州国」の対モンゴル民族政策をめぐる論争 ―蒙政部の政策展開と満州評論派の批判を中心に― |
胡 日 査 |
ベトナム南部における上座仏教と大乗仏教の接触についての考察 ―ベトナム乞士派仏教側からみる「融合」の概念― |
田中 浩典 |
| 感情形容詞に対応する「~む」動詞について-「~がる」との比較を視野に入れて- |
韓 金柱 |
現代日本語におけるオノマトペの「スル動詞化」について ―現代日本語書き言葉均衡コーパスBCCWJを用いた調査を基に― |
黄 慧 |
| 謝罪行動とその反応に関する日韓対照研究―ポライトネス理論の観点から |
鄭 賢児 |
| 感覚と言葉の相互作用に関する考察-ガブリエーレ・ダンヌンツィオ「快楽」の場合 |
野田 茂恵 |
現代イスラーム思想における諸概念のポストモダン化に関する一考察 ―「イジュティハード」を例に― |
松山 洋平 |
| 新派上海語の陽入声変調の変調パタン |
髙橋 康徳 |
| 19世紀初期のバイエルンにおける営業制度改革 |
東風谷 太一 |
| Rereading Kato Shuichi-Travel as Unfinished Modernity Site |
ヴォドピヴェッツ マヤ |
9世紀から10世紀前半の古代ジャワ社会におけるシーマ定立の意義とそれに伴う儀式の役割
―古ジャワ語刻文からの考察― |
山﨑 美保 |
| 平安前期の竟宴詠史詩の一考察―詩作の題材からみる「文章経国」の理念― |
顧 姍姍 |
| 北脇 昇:普遍性を捜し求めていた画家 |
マニゴ ヴァンサン |
| 研究ノート |
| 韓国の戦争紀念館と独立紀念館がまなざす「国民」とは何か |
牧野 波 |
現代日本語における可能表現に関する研究― 一段動詞及びカ変格動詞「来る」の可能表現を中心に― |
張 麗 |
スー保留地におけるカトリック・ミッションの役割
―パイン・リッジ保留地のミッション・スクールの活動の事例から― |
鈴木 泰子 |
言語・地域文化研究 第16号 (2010.3)
| 論文 |
| パゾリーニと現代イタリア語の問題 -「新しい言語問題」(『異端経験論』)を中心に |
鈴木 真由美 |
第二次世界大戦後フランスにおける資本蓄積のプロセスの変化
―アンリ・ルフェーヴルにおける日常生活と都市の主題の交錯点 |
平田 周 |
| テレサ・デ・ヘスース『雅歌の黙想』―千の秘義をもつ言葉― |
田中 恵 |
| 内モンゴルの牧畜業地域における人民公社化政策の分析 |
リン チン |
| コーパスに基づいた漢語サ変動詞の他動詞用法の分析 ―「場主語構文」の観点から― |
小柳 昇 |
| 「ため(に)の意味・用法 ―目的か原因かをささえる構文的特徴―」 |
高 秀辰 |
| 中華民国初期における宗教批判について |
朱 海燕 |
| ニクソン政権の対ソ・デタント政策の研究 ―戦略兵器制限交渉とサミット交渉の考察を中心に |
竹本 周平 |
| 中央統治機構から見た「満州国」の対モンゴル政策 ―興安局から興安総署への改編を中心に― |
胡 日 査 |
| 信仰なき者の祈り ―大江健三郎『人生の親戚』論― |
史 姫淑 |
| ミャンマー上座仏教社会における僧侶の社会・福祉活動―国際NGOとの協同事業を事例として― |
西堀 由里子 |
| 「~てある」文と「~ておく」文の違いについて -文法構造の観点から- |
張 賢善 |
| 歴史的コンテクストからみたR.オットー『聖なるもの』 |
藁科 智恵 |
| 「大衆の恐怖」の擁護のために ―エティエンヌ・バリバールの政治哲学におけるスピノザの契機 |
太田 悠介 |
| ニコス・プーランザスに立ち戻る―国家論と近代社会批判 |
柏崎 正憲 |
| 現代日本語における接尾辞「がる」の意味・用法 ―様態の「そうだ」と比較して― |
韓 金柱 |
| Electoral Politics and Party System in Egypt (1952-2005) |
ダルウィッシュ ホサム |
| 連体助詞「の」を含む名詞句の韓国語対応形について ―日韓翻訳テクストの分析を通して ― |
韓 必南 |
| 「在日朝鮮人青年の憂愁―張赫宙作「岩本志願兵」をめぐって」 |
曺 恩美 |
| 城下町と伝馬役に関する一考察―信濃国上諏訪町を素材として― |
陳 春霞 |
| 研究ノート |
| コーパスから見た非能格動詞の結果構文と対応する日本語・中国語の特質 |
シャア ティエン ミン テレンス |
| ブルシャスキー語における疑問要素 |
吉岡 乾 |
| ヘーシンゲーのモンゴル民族啓蒙思想について ―『奉天蒙文報(ムグデニ=モンゴル=セトグール)』を中心に |
ウユンゴワ |
| 中国戯曲小説『再生縁』におけるヒロインのディスガイズ―男の出世譚への模擬と反転― |
ヨ ショウシュウ |
| 目的を表す「~ために」と無意志的事態の共起―「~できる」との接続を例に― |
佐藤 雄亮 |
| 中国人女子留学生の会話における言語選択 |
丸井 ふみ子 |
| 日本人ポルトガル語学習者の接続法使用研究 ―接続法表現の主節と従属節の時間的位置関係と学習者の接続法使用との関係性についての研究調査― |
鳥越 慎太郎 |
言語・地域文化研究 第15号 (2009.3)
| 論文 |
| フロベールの小説における女性の肌の色に関する考察 -『ボヴァリー夫人』、『感情教育』、『サランボー』の場合- |
髙井 奈緒 |
| チェーザレ・パヴェーゼの『故郷』における語り手の声とアメリカ文学の影響 |
小久保 真理江 |
| 大江健三郎『万延元年のフットボール』論 |
史 姫淑 |
| アルド・パラッツェスキ 笑いの詩学 -未来派宣言「反苦悩」と『ペレラの法典』を中心に |
石田 聖子 |
| 日本の大学入学試験における波及効果の可能性 -ライティングテスト分析に焦点を当てて- |
木幡 隆宏 |
| 連体節の用いられ方 -非限定的用法を中心に- |
モハンマド ファトヒー |
| エティエンヌ・バリバールの脱植民地化論 -「国民社会国家」批判の一理路 |
太田 悠介 |
| 朝鮮物産共進会と「朝鮮文化財」の誕生 |
全 東園 |
| 語りの視点と語り手の機能について -ジョゼ・J・ヴェイガ『反芻動物の時』の考察- |
江口 佳子 |
| インドネシアにおける国民文化の創成:中部ジャワとバリにおける舞踏劇スンドラタリ・ラマヤナを事例として |
小池 まり子 |
| ナセルの「社会主義」と近代「イスラーム」改革思想 |
勝畑 冬実 |
| 折り重なる空間-ポール・ヴィリリオの思想についての一試論 |
平田 周 |
| 現代中国語副詞”正”の語義機能の発展趨勢 ※原題は中国語 |
李 軼倫 |
| 日本植民地期台湾における「水の支配」と抵抗 ―嘉南大?を事例として― |
清水 美里 |
| 研究ノート |
| 条約起草過程におけるNGOの要素~国際刑事裁判所の設立過程を事例に~ |
高岡 創 |
| 生の希求としての文学 レイナルド・アレナス『ふたたび海』 |
伊藤 秋江 |
| 日本の新聞広告文章におけるダイクシス -時間軸を中心に |
ペトリチェンコ イリーナ |
| 「トランスレーション・スタディーズ」と日本における翻訳研究の展望 |
杉山 香織 |
言語・地域文化研究 第14号 (2008.3)
| 論文 |
| パゾリーニによる現代の悲劇―『寓話』読解 |
鈴木 真由美 |
| 移民社会の形成と開発における「仲介者」―清朝統治下の台湾を例に― |
林(佐和田) 成美 |
| 揺れる「現在」の時間・揺れるアイデンティティー ――大江健三郎『死者の奢り』を中心に―― |
史 姫淑 |
| 貴族と「公衆」―エカテリーナⅡ世時代の文化人貴族の役割 |
中神 美砂 |
| 「赤松要の世界経済構造の変動理論をめぐって― 名古屋高等商業学校における研究のはじまりとその展開」 |
大槻 忠史 |
| 韓国語母語話者による日本語破裂音の聴覚的認識 |
金 愛子 |
| Mub?rak and the Muslim Brotherhood The Challenge of a Rising Political Force (1981-2005) |
Housam Darwisheh |
| モンゴル語と日本語の終助詞の対照研究― siu、deと「よ」「ね」について― |
金 罡 |
| マス・メディアにみられる皇室敬語――新聞と週刊誌を中心に―― |
Sri Budi Lestari |
| ボリビアの大衆参加法事業の現状―ボリビア共和国ラパス県アチャカチ市の事例研究― |
福原 亮 |
| 都賀庭鐘『英草紙』の文体意識―中国短篇白話小説集〈三言〉との関係から― |
及川 茜 |
| 研究ノート |
| 台湾人大学生が日本人に対して持つイメージ―異文化接触の形態による影響の違い― |
林 紋守 |
| 「暴力の正当性に関する一考察――メルロ=ポンティ『ヒューマニズムとテロル』を手がかりに」 |
太田 悠介 |
| BURMA CHILD SOLDIERING WORLD CHAMPION |
PALACIO, Fernando Diego |
| 福島方言の「バ」「タラ」「ト」 |
幡 早夏 |
| ブルシャスキー語の時制―相について |
吉岡 乾 |
| 中国の日本語教育の現場における「ら抜きことば」教育の実態調査―中国人の日本語教師及び日本語学習者を対象として― |
張 麗 |
言語・地域文化研究 第13号 (2007.3)
| 論文 |
| ビルマにおけるムスリム住民に対する見えざる「政策」 -国民登録証にまつわる問題- |
斎藤 紋子 |
| インドネシア国民創造の思想における変容の言説背景 -スカルノのゴトン・ロヨン思想とスタルジョの『デサ論』- |
桾沢 英雄 |
| 太宰 治の『燈籠』論 |
金 京淑 |
| ボグド=ハーン政権モンゴル国における教育制度整備の試みとその理念 |
三矢 緑 |
| Honorifics and interpersonal meaning in face-to-face interaction ~a contrastive discourse analysis of Japanese and Polish~ |
カチマレク・ミロスワバ |
| 内モンゴル自治運動における興蒙委員会の役割について |
ガンバガナ |
| 女性モデルと裸婦像-官能性と美の表象に関する一考察(バルザック『知られざる傑作』、ゴンクール兄弟『マネット・サロモン』、ゾラ『制作』の比較分析を通じて) |
髙井 奈緒 |
| 水と反映、そして野生-アンドレ・ジッドの『背徳者』への一視覚Ⅱ |
藤田 和子 |
| Two Authors’ Literary Representations of Middle Class Culture in Post-New Order Indonesia |
澤井 志保 |
| 日常・死・幼年期-マヌエル・バンデイラの詩における時間学 |
福嶋 伸洋 |
| 明代嘉靖後期に於ける海禁政策の実行とその転換 |
増田 真意子 |
| 「叛乱」の記憶-「68年世代」作家ペーター・シュナイダーの小説『レンツ』の時代史的位相 |
山本 裕子 |
| 現代中国における少数民族教育に関する実証的研究 ~モンゴル民族中学校の実態調査から~ |
スチンゴワ |
| 中国少数民族教育に関する一考察 -延辺地区の女性教育と学校文化の事例を中心に |
張 延紅 |
| 研究ノート |
| 内モンゴルの砂漠化における人為的要素に関する考察 -ナイマン旗の事例から |
ナラン |
| ロゼッタ・ロイ『自転車』における記憶の風景 |
越前 貴美子 |
言語・地域文化研究 第12号 (2006.3)
| 論文 |
| An EPP-based Analysis of Wh-movements |
王 維平 |
| 太宰 治の「皮膚と心」論 |
金 京淑 |
| 「ヒュレ」・性・言葉 -ラウール・ハウスマンにおける〈生の造形〉をめぐって- |
小松原 由理 |
| 日本統治下初期台湾における「改姓名」への方策 |
呉 得智 |
| 日本語学習者の作文に対する第一言語の効果 |
石毛 順子 |
| 接触場面の意味交渉における調整行動 |
金 銀美 |
| 「旅」と「血」 -アンドレ・ジッドの『背徳者』への一視角 |
藤田 和子 |
| 詩作と翻訳 -ポール・オースターの詩学の生成 |
矢澤 智生 |
| 徳川政権の改易政策 |
梁 益模 |
| 綏遠省の蒙旗土地改革の再検討 |
リン チン |
| 中国語教育におけるコミュニカティブ・アプローチの有効性について -外国語教授法研究- |
曲 明 |
| 在日朝鮮人と1970年代の韓国民主化運動 |
趙 基銀 |
| 研究ノート |
| ドイモイ(Doi moi 刷新)の確立とベトナム映画 |
野辺 優子 |
| 1923年の旅大回収運動と大連 |
高 紅梅 |
| ポーランド語における敬語表現と人称のカテゴリー |
カチマレク・ミロスワバ |
言語・地域文化研究 第11号 (2005.3)
| 論文 |
| ファム・コン・ティエンにとってのハイデガーと禅 |
野平 宗弘 |
| 台湾における改姓名政策に関する一考察 |
呉 得智 |
| 大連における傅立魚 -ナショナリズムと植民地のはざまで- |
高 紅梅 |
| 第二帝政期ドイツにおける人種衛生学と公衆衛生学 |
馬場 わかな |
| 綏遠事件と日本の対内モンゴル政策 |
ガンバガナ |
| 副詞「よほど」の意味と用法 |
茶谷 恭代 |
| 明日に向きあい続けるために-ヴェロニック・タジョの小説『戦いの場 愛の場』のカップルの場合- |
村田 はるせ |
| 在日留学生と日本人の友人関係親密化過程における異文化間リテラシーの発達 -自己開示を伴う相互交渉という視点から- |
林 紋守 |
| おとぎ話にみる文化ナショナリズム -雑誌『少年世界』の巌谷小波のおとぎ話分析- |
柳 宗伸 |
| 1950年代の内モンゴルにおける民族政策-土地改革、協同組合化、言語問題- |
リン チン |
| 研究ノート |
| モンゴル語ナイマン方言における格の用法 |
ウ・ムングンゲレル |
| 儀礼の「裏舞台」に見るジャワの社会関係 |
塩谷 もも |
| 中国における高等教育改革の動向と大学院教育の現状 |
黄 海龍 |
言語・地域文化研究 第10号 (2004.3)
| 論文 |
| ヨーロッパ標準ポルトガル語のTRATAMENTOにおけるいわゆる「人称の不一致」について |
牧野 真也 |
| 1945~47年の内モンゴル地域における定期刊行物の分析 -内外モンゴル統一運動から内モンゴル自治政府成立までの歴史記録- |
呼斯勒 |
| 相互作用として発話行為を捉えるためのデータ収集に関する一考察 |
謝 温 |
| カナダにおけるバイリンガル連邦公務員の言語選択-アンケート調査の単純集計より- |
矢頭 典枝 |
| 在日留学生の異文化適応研究における社会文化的アプローチの可能性 |
陳 錫金 |
| 19世紀後半オーストリアにおける南部辺境協会(ズュートマルク協会)-シュタイアーマルクのリベラル派たち- |
藤井 欣子 |
| 沖縄における風俗改良と知識人 |
韓 正芽 |
| マレーシア語の主語に関する一考察 |
鵜沢 洋志 |
| 内モンゴル東部ホルチン地方におけるシャマンと医療文化 |
財吉拉胡 |
| 日本資本主義確立期における経済雑誌 ~『実業之日本』を例として~ |
馬 静 |
| 現代漢語の関係節 "V的N" 中に "了" が共起する条件について -動詞の語彙的アスペクトの観点から- |
須藤 秀樹 |
| 研究ノート |
| パスクアーレ・ヴィッラリとダンテ・アリギエーリ協会 |
小田原 琳 |
| ムンセラ・ロッチの『さらばラモーナ』におけるバルセロナの女の系譜-語り始めた女たち- |
保崎 典子 |
| 台湾■南語梧棲方言の音的特徴 (■は“門”の中に“虫”) |
林 虹瑛 |
言語・地域文化研究 第9号 (2003.3)
| 論文 |
| パスクアーレ・ヴィッラリに見る「南部問題」の誕生 -「南部書簡」と「歴史的方法」の分析を通じて |
小田原 琳 |
| ウィリアム・フォークナーの『八月の光』におけるプア・ホワイトの移動と越境 |
三輪 恭子 |
| 半島スペイン語とメキシコスペイン語の単純過去形と現在完了形 現代戯曲における使用 |
鈴木 恵美子 |
| ムンセラ・ロッチ『すみれ色の時刻』におけるメタフィクションの様相について |
保崎 典子 |
| 自由民権運動と公教育 -千葉県を中心に- |
任 鉄華 |
| アントニオーニとポスト・ネオレアリズモ -ネオレアリズモ以後のイタリア映画の状況- |
松本 晴子 |
| クレオールとアイデンティティのアポリア -クレオール性再考- |
中村 隆之 |
| 台湾総督府の南進政策 -1910年代を中心に- |
林 思敏 |
| 日本キリスト教婦人矯風会の廃娼運動 -1900年代における支部の活動を中心に- |
楊 善英 |
| 研究ノート |
| 言語学習における動機づけ測定尺度の展望 |
長沼 君主 |
| 女の都市、男の都市 -メキシコ国内移民のジェンダーと都市体験 |
山本 昭代 |
言語・地域文化研究 第8号 (2002.3)
| 論文 |
| 勅撰三集の押韻 |
黄 少光 |
〈女のエクリチュール〉と〈男のエクリチュール〉との差異を読む
-ローサ・モンテーロの『お前を大切にするよ,女王様のように』において- |
保崎 典子 |
| フランスの防衛政策の転換 -「対米自立」から「対米協調」へ- |
中根 雄也 |
| 中国共産党の文献にみる内モンゴル人民革命党 (1925~34年) |
呼斯勒 |
| ソル・フワナの聖体劇『神聖なるナルシソ』における神話解釈と寓意化 |
中井 博康 |
| 不全なる供犠 E・グリッサン『レザルド川』におけるヴァレリーの死をめぐって |
中村 隆之 |
| 他者の生成-『ルジアダス』にそくして |
神田 工 |
| 東北ベトナムにおけるヌン族ヌン・アン集団の祭祀職能者‘タオ’に関する民俗学的研究 |
チュ・スワン・ザオ |
| 「主体」形成とマレー語の位置 |
井口 由布 |
| 現代日本語の複合動詞「~しつづける」のアスペクト性について |
金 美仙 |
| 「ほめに対する返答」の日韓対照研究 |
金 庚芬 |
| 六条院における明石君の特質 -「唐風」との接点を求めて- |
於 国瑛 |
| 日韓両語における第三者敬語の対照研究 -聞き手による使い分けを中心に- |
金 順任 |
| ベトナムのASEAN加盟 -ベトナムの外交政策における「ドイモイ」- |
レ・クィン・フォン |
| 中国社会保障制度改革 -年金改革の現状と問題 |
呉 仁正 |
| 貝原益軒の思想からみた日本近世社会の女性観 |
高 美正 |
| 研究ノート |
| コード切り替えの関与する会話 -バリ語・インドネシア語事例資料Ⅱ- |
原 真由子 |
言語・地域文化研究 第7号 (2001.3)
| 論文 |
| 叙事詩とナショナル・アイデンティティ -『ルジアダス』にそくして |
神田 工 |
| 状態の変化を伝える言語形式の日・タイ対照研究 |
吉田 一彦 |
| The Colonial Look in the Papers on Malay Subjects |
IGUCHI Yufu |
| 過程を表すIL Y A構文について -能格構造との比較を中心に- |
川島 浩一郎 |
| パスクアーレ・ヴィッラリと「社会問題」 |
小田原 琳 |
| アナ・マリア・マトゥーテ「見張り塔」における象徴的文体について |
佐藤 佐知 |
| ガルシア=マルケスと「暴力の小説」 -『悪い時』をめぐって |
久野 量一 |
| ネズヴァルの詩集『絶対的な墓堀夫』についての幾つかの考察 |
阿部 賢一 |
| 日本語方言におけるコイネー化と再コイネー化 -過去と現在の小笠原諸島における一段動詞命令形- |
阿部 新 |
| ボードレールの諸作品における記憶と表象の概念について -1859-60年を中心に |
陶山 大一郎 |
| メキシコ・スペイン語における単純過去と現在完了の通時的考察 |
鈴木 恵美子 |
| 明治天皇地方巡幸研究 -1872年巡幸と1881年巡幸の比較検討を中心に- |
趙 正圭 |
| 日韓の大学生における待遇表現の対照研究 -述語形式及び呼称との呼応関係を中心に- |
金 順任 |
| 自由民権運動と教員たち -長野県の教員雑誌『月桂新誌』の分析を中心に- |
任 鉄華 |
| 研究ノート |
| コード切り替えの関与する会話 -バリ語・インドネシア語事例資料- |
原 真由子 |
言語・地域文化研究 第6号 (2000.3)
| 論文 |
| 日本語小笠原諸島方言のコイネー (Koine) の可能性 -老年層の動詞・形容詞- |
阿部 新 |
| 非動詞文における名詞限定辞の不在について |
川島 浩一郎 |
| スペイン語における省略節の残留要素の特徴 -対比のシステムの考察に向けて- |
高松 英樹 |
| 統計的手法による韻律的特徴の抽出とその可能性の検証 -句末イントネーションの客観的類型化に向けて- |
佐々木 香織 |
| タイ語の受動態と使役態の現れ方と動詞の分類 |
タサニー・メーターピスィット |
| ビルマ古典歌謡の創作 -チョータチン(弦歌)の〈アライッ〉(「替え歌」)の分析を中心として- |
井上 さゆり |
| ソル・フワナの戯曲『思惑の家』の演劇空間をめぐって |
中井 博康 |
| バフチンとカッシーラー -比較研究の試み- |
木部 敬 |
| グリム兄弟の『昔話集』における神 |
西口 拓子 |
| 中上健次『枯木灘』における〈対〉の形態 |
師玉 真理 |
| 在日定住外国人の人口高齢化 -在日韓国・朝鮮人を中心に- |
金 恵媛 |
| 研究ノート |
| バリ語とインドネシア語との間のコード切り替えと統語構造 |
原 真由子 |
| 中央アジアのイラン諸語にかんするロシア語文献目録 |
島田 志津夫 |
| 19世紀中葉の中部ジャワにおける宗教運動をめぐる言説 -オランダの対イスラム政策とアフマッド・リファイー |
菅原 由美 |
| チェーザレ・ロンブローゾにおける<南部> -人種構成の技法とイタリア南部諸人権の犯罪者性- |
木村 真一 |
| 高学歴女性の性役割に関する分析 -女子学生の専攻選択の変化を中心として- |
李 尚波 |
言語・地域文化研究 第5号 (1999.3)
| 論文 |
| 日系人の待遇表現の体系とそれを支える要因 -アメリカ日系人との比較におけるブラジル日系人- |
山下 暁美 |
| 標準語および東京語の使用と言語意識との相関について |
玉井 宏児 |
| 等位接続詞 mais と非動詞文 oui, si, non について |
川島 浩一郎 |
| 世紀転換期イギリスにおける「退化」と「効率」-フェビアン協会の国家的効率政策への道筋- |
伊藤 茂 |
| 失われた神話を求めて -『昔話集』におけるグリム兄弟の手法- |
西口 拓子 |
| 研究ノート |
| 叙法的な副詞的成文「いいから」について |
奥村 徹 |
言語・地域文化研究 第4号 (1998.3)
| 論文 |
| Perception of /s/-/∫/sounds in English by Japanese Listeners |
内田 洋子 |
| 動詞様態としての態 -イタリア語の si- |
島津 寛 |
| 現代フランス語の動詞dire の構文および意味特徴についての記述的研究 |
秋廣 尚恵 |
| 《le premier ministre Lionel Jospin》は同格か? |
中尾(後藤)和美 |
| スペイン語における《融合形》の衰退とそれを取り巻く音韻変化について |
菊田 和佳子 |
| 「Xは美しいですね」と「Xが美しいですね」の違いについて |
淺山 友貴 |
| 〈始動〉の意味を表す複合動詞 -文脈に見られる局面の違いを中心として- |
朴 敏英 |
| 芥川龍之介『歯車』におけるモダン都市空間 -〈匿名〉・〈転換〉・〈代替可能性〉- |
溝渕 園子 |
| 研究ノート |
| 『ルジアダス』の「愛の島」の諸相 |
神田 工 |
| Supplementary Notes in the Phonology of Proto-Kelao-Lachi |
小坂 隆一 |
| 離反するエロス -「刺青」その夢と現実ー |
蕭 幸君 |
言語・地域文化研究 第3号 (1997.3)
| 論文 |
| スペイン語における間接目的語についての一考察 |
徳永 志織 |
| 「東南アジア」の創造 -オリエンタリズムとしてのモラル・エコノミー論- |
井口 由布 |
| 研究ノート |
| 「悪女と犠牲者のはざまで」 -帝政ロシアにおける売春とその管理体制をめぐって- |
土岐 康子 |
| 'カダイ諸語' の下位分類について -ケラオーラチ語支の音韻特徴- |
小坂 隆一 |
| 活用語尾か代名詞か -アラビア語の接続代名詞をめぐって- |
榮谷 温子 |
言語・地域文化研究 第2号 (1996.3)
| 論文 |
| 現代中国語可能表現の否定形 -「不能」を中心に- |
宮本 厚子 |
| On the Genetic Location of the Hlai Language |
小坂 隆一 |
| 現代クメール語の形容詞の補語 |
上田 広美 |
| 「形容詞述語文におけるアスペクト的表現」 |
淺山 友貴 |
| 否定文における時間性 |
ルチラ パリワダナ |
| 「てある」構文に用いられる動詞に関する一考察 -日本語動詞の分類をめざして- |
ブッサバー バンチョンマニー |
| 何が人びとを対等にするのか -ハンナ・アーレントの《政治》- |
岩崎 久美子 |
| 性の人間論的解明 |
大須賀 史和 |
| 中国明清代民間宗教結社の教義に関する一考察 -黄天道の宝巻を中心として- |
大部 理恵 |
「インディヘナ」あるいは「ミシュテカ」と呼ばれる人びとのアイデンティティ
-メキシコ、オアハカ州、サン・マルティン村の事例から- |
禪野 美帆 |
| 研究ノート |
| 非人称形式 |
島津 寛 |
| 日本語の「ね」・「よ」について |
ソイスダー ナラノーン |
| 劇から演劇へ -カルデロン『おばけ貴婦人』(1629)論- |
古屋 雄一郎 |
| 小説「非人称性」をめぐる考察 -19世紀末スペイン文芸批評において- |
大楠 栄三 |
| 「アルハミア文献としての『パリスとビアナの愛の物語』の研究に向けて」 |
愛場 百合子 |
| 交通網の発展とタイ東北部農村の変容 -ブリーラム県の2つの農村の事例- |
柿崎 一郎 |
言語・地域文化研究 第1号 (1995.3)
| 論文 |
| 「だけ」「しか~ない」と“只”について |
張 建華 |
| カルデロンの演劇言語の記述に向けて |
古屋 雄一郎 |
| 『ラ・レヘンタ』における作中人物の発話を表す語説について -クラリンの自然主義小説観が示す二つの志向の融和- |
大楠 栄三 |
| ヒューマニストかフェミニストか -フェミニズムのパラドックスを超えて- |
山内 惠 |
| タイ村落社会における仏教の一動向 -東北タイの二人の開発僧をめぐって- |
泉 経武 |
| 研究ノート |
| 『説文』古文籀文について |
高久 由美 |
| А.П. チェーホフ「桜の園」(1903)の喜劇性をめぐる一考察 |
田中 城次郎 |
| 中東地域の食文化研究の視点と展望 -B. Fragner の論文の紹介と批判を中心として- |
鈴木 喜久子 |